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私の家族のこと




・尊敬できる家族がほしい


家族コンプレックスのある私。

過去と向き合ってきたし、
もうまるっと受け止めて
前に進みたいと思っているのに、

それでもふと
「尊敬できる家族がいてほしかった」
と願ってしまう瞬間があります。

花嫁からの手紙の原稿


本当は、結婚式すらやりたくないと
長年思っていたほど、
“幸せな家族”は私にとって
遠い存在だったんだと思います。

自分の中で何度も振り返ってきたけれど、
結局いつも堂々巡りで。

自分だけで受け止められなくて
友達には、その都度オープンに話してきたけど、

“これって不幸自慢になるのかな”
“公開する意味ってあるのかな”
そう思って悩むこともたくさんありました。

それでも、家族のことは
私の人生の大きな部分で。

だからこそ、
一度きちんと整理したいと思いました。

今までは息子のアレルギーのことや、
体重増加のことを書いてきたけれど、
今日は少し、自分自身の話を。

noteの力を借りて、
書いてみることにしました。

・実家の暮らし

父は若い頃の事故で視力を悪くして働けず、
母は、私が小学生になった頃から
昼も夜も掛け持ちで仕事をしていました。

当時の私は
両親がいつも言い合っているのが嫌で
「なんで仲良くできないんだろう」と思っていて。

今思えば、それぞれが
大変だったことはわかります。

お母さんがいなくて寂しい夜もあったけれど、
おじいちゃんとお父さんと弟がいて、

私と同い年の広くてこだわりが詰まったお家に、
お友達や親戚がたくさん来てくれて、
わいわい楽しい時間も確かにあった。

だから、家族のことは好きでした。


・離れ離れ


小学6年生のとき、おじいちゃんが
事故で亡くなりました。

そこから家の空気が一気に変わり
両親を繋いでくれる存在がいなくなった家。

その後、なんだかお化粧をするようになったり
携帯を常に持ち歩くようになった母。

私は母の携帯をのぞいて、
不倫を見つけてしまいました。

今思い出しても、嫌悪感でいっぱいになる
文章たちと内容で。

耐えきれずいとこに話したら、
そこから父の耳にも入り——
元々不仲だった二人は、大喧嘩の日々。

「私が携帯を見ちゃったからだ」
「言わなければよかった」
そう思って、自分を責め続けました。

だけど、母への負の気持ちも止まらなくて
よくわからない気持ちでした。


・10代の私

不倫発覚後の
中学〜高校生の頃は、とにかく苦しく。

学校で涙が溢れて止まらない日もあって、
家では布団をかぶって
RADの「ふたりごと」を聴いて泣いていました。

自分と同じような想いをしている人が
いると思えて、救われたんだと思います。

RADWIMPS ふたりごと


悲劇のヒロインみたいだなと
自分でも思いながらも
ただ「つらい」でいっぱいで
どうしようもなかった。


・選択


「どっちについていくの?」と聞かれたとき、
経済的なことを考えて母についていく選択肢
しかなくて、どうすることもできませんでした。

本当はどちらも選びたくなかった。

引っ越し後、
母の不倫相手が家に来ることもあり
心がぐちゃぐちゃ。

部屋から出たくなくて
でも自分の家なのにと悔しくて。

そんな家に家族みんなが揃う日は
ほとんどなく、

私は塾やバイト、サークルに
逃げるように出かけては、
寝に帰るだけの生活をしていました。

弟をひとりぼっちにして。
どう感じていたのか
想像する余裕もなかったなぁ。

夜ごはんは外食で済ませるか
用意してくれていた、お惣菜か炒め物。

食べるけれど、味わうという感覚はなくて、
ただお腹を満たすだけの時間。

当時は、お母さんが忙しいから仕方ない
用意してくれることはありがたいと
自分に言い聞かせていたけれど、

今思えば、あの頃から
「食べる」ことを大切にできなくなって
いたのかもしれないと、感じています。


・社会人になって


社会人になって家を出ました。

母を許せない苦しみはずっと残っていたけれど、
大人になると少しずつ、
母の気持ちも理解できる部分が増えてきました。

それでもやっぱり、
「私と弟より、自分の欲を優先された気がして」
たまらなく悲しかったんだと思います。

本当はただ、
1番に大切にしてほしかった。
1番に愛してほしかった。

そのことを“当たり前”として
過ごせなかったことが
何よりさみしかった。


・恋愛への影響


言葉を信じるのが怖くて
幸せな家庭像が描けなくて
「結婚したら」の未来の話も苦手で。

どこか天邪鬼な反応ばかりしてしまったし、
「どうせ永遠の幸せなんてない」と身構えていました。

同じように傷を抱えている人に惹かれて
不安な恋愛が多かった。

それでもなんだか相手と向き合うことで
自分の痛みを分け合えている気がしていました。


・人との出会いで変われたこと


友達夫婦の姿、
仕事で出会った保護者の方たちの
“助け合いながら暮らす姿”に触れる中で、
頑なに自分が傷つかないようにしていた心が
少しずつほどけていったと思います。

そして、
「今を大切に生きる」旦那に惹かれて、
まっすぐな言葉を信じられるように
なっていきました。

生まれ育ってきた家族と、
自分がつくる家族は、
全然違うんだとよくやく
分かるようになってきました。


・経験がもたらしてくれたもの


母を許せなかった気持ちが強かったからこそ、
人に対する負の感情を持つ苦しさを知って
あえて持たないようになりました。

「この人はここが素敵だな」と
自分の中でいいところを見つけて、
好きでいる方が気持ちが楽だったから。

それでも、そこを「いいね」と言ってもらえると、
「苦しみも自分の優しさに変えられたんだよ」
と過去の自分に伝えたくなります。


・ハートフルネスタッチケアの言葉


学びの中で出会った文章がありました。

『ふれあうことは、愛すること。
愛は目に見えない。
だから迷う。
不安になる。

親子でも。
いや、親子だからこそ。

でも——
“確かにここにある”と
10年後、20年後もお互いが信じられる愛がある。

そんなタッチケアを、今。』

この言葉を読んだときに
信じられる愛が持てなかったと思っていたけど
見つけたい、持っていたいと思いました。

・向き合いたいこと

ハートフルネスタッチケアの学びを進める中で、
どうしても自分の家族のことや、
それにかかわる自分の思考の癖を取り払えず、
少し違和感を感じることもありました。

それでも、この学びを体感していきたい――
ふれたいと思いました。

息子と私だけでなく、
産後からうまくいかなくなった旦那と私、
そしてお父さん、お母さんと私。

自分が親になり関わる機会が増えた中で、
大好きだと思いたいのに、大切にしたいのに、
それが心からうまくできなくて
苦しいことも山ほどあって。

・みえてきたもの

スピーチ原稿②

結婚式をするにあたって、
家族と向き合う機会だと思い、
スピーチを書くときにも
たくさん振り返りをしました。

こんな風に愛を感じる瞬間が、
確かにあったこと。

今も、息子を可愛がってくれる
両親の姿を見ていると、
小学生までの自分が
愛されていた気がすることに気づけました。

つい辛かった記憶や、してほしかったことで
埋め尽くされそうになるけれど、

ひとつひとつ思い出せたときには、
それも「愛だった」と
感じられるようになりました。


・今後のこと

両親の姿を反面教師にして生きてきた私は、
武装だらけになっていたのだと思います。

無計画ではいたくない、先を考えていたい、
子どもには嫌な思いをさせたくない、
たくさんの選択肢を作ってあげたい――

そう思うあまり、
旦那に対してもそれを求めすぎて、
自分の正解や理想を押し付けてしまったり、

両親のような部分が見えると
拒否反応が出ていました。

過去の自分、息子、旦那――
全部をごっちゃにしてしまいそうに
なっていたんだな、と気づいて。

31年間、よく頑張ったよ、私。

ある意味、自分のままに生きる両親が
羨ましかったのかもしれません。

だから「なんくるないさ」を持っている旦那に
惹かれたのかもしれません。

ゆっくり、ゆっくり。
今のままでいいんだよ。

私のままで、みんなのままで、いいんだよ――
そう心から思えるようになれたら嬉しいと
今の私は思っています。

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