悩めるアラサーの妹たちへ。昭和55年生まれ、8歳4歳ママの、晩婚・高齢出産のその後。
私は現在45歳。
34歳の誕生日に結婚。36歳で第一子を出産、40歳で第二子を出産した。
子どもはスクスク成長し、8歳、4歳のやんちゃ盛り。毎日が目まぐるしく過ぎていく。
そんなある日の朝、洗濯物を干しながら、約15年前の私のことを思った。
当時33歳。1人暮らし。
「仕事が楽しく充実していて辞めたくない」
「いつでも飲みに行ったり遊びに行ったり、好きに過ごせる今が最高!」
その一方で
「お母さんになりたい」
「でも、そもそも恋人がいない。仮にいたとして、結婚できるのか」
「それは何歳になるのか?」
モヤモヤ、モヤモヤ。
答えのでない時間がただ過ぎていく。
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そんな日々から一転。34歳の誕生日に50日の交際を経て入籍し、その後2人の子どもを出産し、気づけば40代半ば。
あの日、モヤがかかったようにぼんやりとしていた未来に、今私はいる。
最近、アラサー女子たちの悩みを聞くたびに、「わかる、わかる、私もそうだった」と思い起こすことが増えた。
だから、そんな「妹たち」に伝えたいことを、ここに残そうと思う。
①誰も教えてくれなかった。結婚にリミットはないけど出産にはリミットがある!
一番はこれ。
10代20代の頃、あんなに「子どもができたらどうしよう!」と怯えていたのは何だったのか、と思うほど、子どもは授かり物であり奇跡の存在である。
そして、いくら医療が進歩しようとも、基本的に女性の妊娠・出産には、今も昔も変わらずリミットがある。
これ、もっと早く、ちゃんと教えておいてよ!
恋愛の延長としての結婚や、それに至る道のり、結婚式や新婚旅行など「キラキラ面」はメディアでも取り上げられ、少なからず20代の恋愛脳を刺激する。
そして「妊娠」をすっ飛ばして、急に「出産」コンテンツが現れる。
今でこそ、ビジネス誌や女性誌でも妊娠をテーマに扱うことが増えてきたが、10年前は現実よりも「夢物語」の部分しか取り上げられていなかったと、今なら思える。
「結婚したら数年で子どもを授かるでしょう」と、
誰も(当事者含め親や友人たち)が疑問もなく、そう思っていたからだ。
私が結婚したのは34歳。すぐに高齢出産ゾーン突入の年齢。
夫の「今が一番若い」という言葉に後押しされてクリニックに通っていたが、実際に出産したのは37歳と40歳。
(私よりも真剣に考えてくれていた夫の即断には感謝したい)
それでも治療はスムーズに進んだほうだ。一年365日あると言っても、実際に妊娠する可能性のある日は、年に数日しかないという現実。1ヶ月、1年という時間は溶けるように過ぎていく。
「私だけ"おばあちゃん”みたいだったらどうしよう」と、怯えて行った産婦人科は、ところがどっこい、同じくらいの年齢(に見える)人のほうが多かった。
「平成生まれだと若い」と思うほど、そこには「昭和生まれ妊婦」がたくさんいた。
友人の中には、20代初めに結婚し、すでに孫がいる人もいれば、ここ最近やっとママになった人もいる。そんな友人同士で集まって子どもの話になれば、こっちはオムツ、こっちは成人式と、話題がひっちゃかめっちゃかな今。それが昭和55年生まれ界隈の現実だ。
結婚は何歳でもできるし、何度でもできるけれど、子どもを望むのであれば(それも自分で産むのであれば)リミットは必ずやってくる。
今は、「生理があれば産める」と言われている時代だが、考えてみてほしい。
産んで終わり、ではないのだ。
その後に続く、眠れない授乳の日々、這いずり回る子どもを追いかけ回す日々、走ったり飛んだりする子どもを見守り、注意し、走る日々…。
体力に自信のある私でさえ、キツイ。特に授乳期は慢性的な寝不足と首、肩、腰、全身が悲鳴を上げる。ゆっくり歯を磨いたり、足の裏まできちんと洗うなど、自分の身なりを綺麗にするところまで辿り着かない。
義母が同居し、両親の助けをいつでも借りられる、恵まれた環境にいる私でさえ、である。パートナーと2人で子育てなんて、想像を絶する。いくら家事育児を分担するといっても、「母親」は自分しかいないのだ。
下の子は現在4歳。成人する頃には、私は還暦になっている。生きてるのかどうかすらも怪しい、と本気で思っている。
②本当は何が欲しいのか。一度立ち止まって考えてみる時間は必要
32歳のとき、3年間付き合っていた恋人と別れた。大好きな人だった。別れた時には、「この先好きになれる人、結婚したいと思える人に出会えるのだろうか」と、別れた事実以上に、20代の時には感じなかった孤独感にさいなまれた。
スーパーに行けば、買い物を楽しむ家族連れの姿を見るのが苦しくて、早々に立ち去る。夕方になると、賑やかな笑い声や夕飯の匂いが溢れ出てくる家の前を足早に通り過ぎる。小さな子どもの手を引く家族連れを見るたび、私が手に入れられていない現実を、うらやましい目で見ていた。
環境を変えようと引っ越しをして、「2年契約が終わる時には結婚してここを出ていくぞ!」と決意したものの、それはなかなか進展しなかった。
一年後にできた恋人は、妻と別居・離婚調停中の人だった。(交際中に離婚が確定したが喜べた記憶はない)彼はもう結婚には意識が向いていなかったし、子どもについても「特にいらない」と言っていたと思う。
その頃には、親からの結婚・子ども圧力も少なくなり、私も「このまま結婚せず、子どももつくらず、2人で気ままに過ごしていくのも良いかな」と思い始めていた。
そんな頃、20代の頃からの知人と話す機会があり、近況を報告すると、
「あなたは、それでいいの?」と言われた。
そう問われて……それでいい、のだと、思おうとしていたことに気づいた。
それから真剣に考えてみた。私が本当に望むものはなんだろう。
その答えは
「お母さんになりたい」
だった。そもそも1人では叶わない夢。叶うかどうかもわからない夢。
だけど、このままではきっと叶わないであろう夢。
その嘘偽りのない気持ちを恋人に打ち明けてみた。言葉で話すと本意が伝わらない気がして、長々と手紙に書いた。
今思うと、脅迫めいていた気がするし、急に何があったの?と驚かれたのも無理はないと思うけれど、当時の私には、その答えを悠長に待っている余裕はなかった。
恋人からの答えは、「自分は結婚や子どもについて今は考えていない」というものだった。素直に気持ちを打ち明けてくれたことには本当に感謝している。このままの関係で良い、と私があきらめていたのなら、まだ仲良くしていられたのかもしれない。
でも、私の決断は、その「今」だったから「いつかそう思える日」を待つ心の余裕はなかった。
私たちはお互いの望む道を選び、私はその後、以前から知り合いだった今の夫とスピード婚をすることになる。(その話はまたいつか)
自分が本当に求めていることは何か。
自分が幸せになれることは何か。
アラサーの皆さんは、一度よく考えてほしい。
今自分が置かれている状況(仕事やキャリア、恋人や家族との関係)は、いったんすべて置いておいて、純粋に自分自身がどうしたいか、何が欲しいのか、と考える時間が必要だと思っている。
その中で「子どもを産む」選択があるのなら、その方向に舵を切るのは、早いほうがいい。
③生きていればいいじゃない。高齢子育てゆえの余裕
さて、そうしてめでたく「2人の子どものお母さん」になった私だが、妊娠・出産が順調だったこともあり(もともと健康体で生理痛なども軽かった)、できるなら、もっと産みたかった。
夫は農業を営んでいて、食べることに困る心配は、まずない。だから、時間が許すならばあと1人や2人いてくれたら、という気持ちもあった。でも、それには、もう残された時間はない。
ちなみに、「お母さん」になりたかった私だが、それは漠然とした思いであって、決して「子どもが好き」だったわけではない。むしろ、目の前に子どもがいたとして、どう扱っていいか困っていたし、なるべく避けていた。
好きかそうでないかは、別として、今なら赤ちゃんを連れたお母さんがいれば、つい話しかけてしまうし、子どもたちやその友達とも、それなりに話ができるようになっている。
(赤ちゃん言葉は使わない、が子育ての上での夫婦共通のルールだった)
だから、もし「子どもが苦手」と感じていて悩んでいる人がいたとしたら、それは、全然気にしなくて良い、と断言できる。
好きか嫌いかの感情は別にして、産む、育てる、という生き物としてのDNAは誰もが持っているものだと思う。私は自分の人生の経験として、「妊娠・出産」そしてその後に続く「子育て」というものをしてみたかったのだ。
強調したいのは、「不安は体験する前にしかない」ということ。
実際に、「絶対に仕事に復帰する!」と言っていて、周りもそう思っていたバリキャリ女子が「産まれたら可愛くて仕事ができない」と、コロッと気持ちが変わってスッパリ仕事を辞めたこともあったし、逆に「子どもとずっといたい」と言っていた人が、一年を待たずに復帰するパターンもあった。
「案ずるより生むが易し」とは、まさにである。
私が初めて母になったのは37歳。もういいだけ遊んできたし、部下を育てる経験もしてきた。自分の中で大切にしたい軸もはっきりしていたから、子育てにおいて、細かいことに一喜一憂する必要もなく、またその体力もなかった。
「生きていてくれればそれでいいか」くらい、ゆるい。
もちろん、ある程度の年齢になるまでの手助けや見守りは必要だけれど、おおらかな気持ちで子どもと接せられているのは、年の功だと思っている。
成長するごとに悩みは深刻になるだろうし、意見をしたくなる時もあるだろう。でも、最終的には「生きていてくれれば」しか、望みはない。
「親」とは、「木の上に立って見る」と書く。
昨年長女が学校でこの漢字を習った時に、「ママが木から降りてきたら注意してよ。木の上から見てるくらいでちょうどいいと思うから」と、お願いしておいた。
「うん、わかった!」と元気に応えてくれたが、彼女に注意されることは今のところない。
④親、自分、子ども、地域の役割が全部のしかかる40代
親世代であれば、20代で結婚&出産、30代で子育て、40代には自分の仕事、50代でジジババになる、のが人生の王道だったと思う。
今は王道がなく、結婚ひとつ、仕事ひとつとっても、さまざまな選択肢があって、選びたい放題、という難しさもまた抱えている。
30代で結婚、40歳で第二子を出産した私は、40半ばになっても、未だ「子育てゾーン」から抜け出すことができない。
還暦になって、ようやく下の子が成人。孫が見られるなんて夢の世界の話だ。
加えて、40代は仕事もバリバリに忙しい年代。会社に勤めているのであれば、それなりのポストや責任ある立場を任されていることもあるだろうし、フリーであっても、まだまだ稼がなくてはならない。
親はまだ元気だとしても、子どもが巣立つ頃には、介護の心配をしなければならないフェーズに入るだろう。
加えて、地域社会などの公な場でも、何かしらの役割を持たされる年代でもある。
私が住んでいるのは、田舎の地方都市だから、地域とのつながりも色濃い。
昔の40代なら、子どもたちも巣立って、そうした役回りを引き受けるのにも余裕があったかもしれないが、今の40代は子育て真っ最中である。
町内会、公的な役職2つ、保育所の保護者会、小学校のPTAと、
「毎月1回くらいの集まりだから」が積み重なって、スケジュールを埋める時もある。(それはもちろん全力で引き受けるけれど)
だから、なんだかとにかく毎日が忙しいのだ。
これに、子どもの習い事の送迎や、体調を崩した際の対処などしていたら、「自分の時間」は、家事のすきまにしかない。
少なくとも、こうした時間は「10年」は続く。
⑤友達は乳幼児から高齢者まで
良いこともある。
最近気づいたのだが、子どもが生まれたことで交友関係が広がった。私が今、友達(と言って良いかどうかは置いておいて)と呼べる存在は、下は0歳。保育所に通う次女と同年代の子の兄弟姉妹である。
次に長女や次女と同じ年代の保育所・小学生の子たち。その兄弟姉妹の中学生。農場で営むゲストハウスにやってくる、修学旅行の高校生。
仕事で企業の広報周りの支援をしていたり、取材や協業している人たちは、大抵が20代、30代だ。
そして、自分と同世代。
今年の春、市の文藝誌の編集部に入ったら、そこでは45歳の私が「若手」だった。諸先輩たちは、60代、70代。
こう考えると、日々赤ちゃんからシニアの方までと話す機会があるということ。こんなことは今までの人生でなかった。年代ごとにそれぞれ違う次元で生きていたからだ。
それが子育てや自身の年齢を重ねていくにつれ、会社組織に属していなくても、自然と人のつながりが広くなった。
小さな赤ちゃんを抱えるママたちは、かつての私であり、
知識も教養もある上品なシニアマダムたちは、いつかの私である。
その人生の流れを一番感じられているのが、45歳の今だと思う。
⑤さらに15年後の未来をどう描くか
仕事のキャリアをどう描くか、人生をどう描くか。
立ち止まって考える時が、人生には何度かあると思う。
それが、私にとっては32歳のときだった。
子どものことを考えると、決して早かったとは言えないが、私にとっては、そこがベストタイミングだった。
そして、「決めて」しまえば、人生はその方向へ進んでいくものなのだ、ということにも気づけた。
たとえば、どのように働いていたいか。どんな風にどこで暮らしていたいか。誰と一緒にいたいか。
その思いが本物であれば、きっと導かれるようにその方向に流れていく。人生とはそういうものなのだと、この年になれば悟るようになる。
45歳の今。朝起きて、夜眠るまで、いっときも止まることがないバタバタの毎日を、それでも愛おしく思う。もう5年もすれば、懐かしく振り返ることだろう。
これから60歳までにやりたいこと。理想の暮らしの形。アラサーのあの頃ほど真剣ではないけれど、また今、ぼんやりと思い描いている。そして、私が決めた通りに、人生は進んでいく。
世のアラサーの妹たちに告ぐ。
他人のことは気にせず、未来への悲観もせず、純粋に「自分」の気持ちに寄り添って声を聞いてみてほしい。
きっとそこには、あなたしか知らない、あなたの心の声があるはずだ。
その光を見つけて、信じて、歩き出してみよう。
困難な道かもしれないが、それもいつかは思い出になる。
どんな決断をしたとしても、あなたの人生はあなたのもの。それを慈しめるのはあなたしかいない。
私があの日、一歩を踏み出したように。
あなたが踏み出したその先に、輝く未来があることを祈っている。
