吃音者になり、吃音者の人生(まとめ)
この話は僕が吃音になった時から、吃音者として生きていく話だ。
吃音は元々あったわけじゃない。
小学生3年生まで普通に話せていた。
少し人見知りで引っ込み思案なところがあるくらいで。
元の性格は明るく、最近では「根明のマイナス思考」と、自分のことを思っている。
このマイナス思考も、吃音になったから生まれたもので、本当はプラス思考なんだと思う。
吃音が治り、やりたいことやって
「なんとかなる」
「なんとかさせる」
魂で、前向きに頑張れているからだ。
現在43歳。
今、ポジティブに変わってるところ。
それは沢山の人から愛を貰い、人に必要とされること、友達と笑った数が積み重なってきたからだ。
そんな経験で、自己肯定感の低さとマイナス思考が変わろうとしている。
ポジティブに思っていると、ポジティブな仲間が増えて、ポジティブな言葉が溢れて、前向きに物事が進む。
だけど、自己肯定感低い人や、マイナス思考の人を放っておく訳ではない。
(そういう考えもあるよね)と、思うようになった。
今は辛い。辛いが本音。
過去の傷が癒えない。
そういう方もいる。
色んな考え方があっていいと思う。
気持ちが楽になりたくて弱音吐くのも正解だし、空気を壊したくなくて本音を今は隠すのも正解。
吃音になり、色んなことが見えた。
人の醜さ、理解のなさ、評価点、信頼すること。
知らないから笑ってしまう。
吃音を知っていても、知識のなさから強さを求めてしまうこと。
吃音の方や、吃音の友達や恋人がいる方。
みんなに届くように、僕の吃音の人生を話させて下さい。
■吃音症(どもり)の僕
僕が吃音になったキッカケは、兄の不登校でした。
母がヒステリックになり、怒鳴り合い、取っ組み合い、引きずり回したり、ゲーム機が投げられたり、ベランダに閉じ込められたり。
そんなバトルをずーーーっとしていて、「学校いきなさーーい!!」って叫んでる母の声は、いまだに耳に残っています。
兄は小学5年から不登校気味になり、休み、遅刻、早退、脱走は続いたけど、なんとか小学校を卒業をしました。
でも中学1年の夏休み明けから、急に全く行けなくなりました。
兄も頑張ったと思う。
あの怒りまくった母に対して、学校行くの無理と、信念を貫き通したこと。
それだけ、兄は兄で、心が壊れそうだったんだろう。
大人になって分かった事なんだけど、兄は発達障害でした。
それで、生きにくかったみたいです。
兄が14歳の頃かな。
母はバセドウ病になったり、更年期障害になったり、辛い思いをして、ひきこもりの兄にやっと歩み寄れるようになって、何をしてあげられるか考え始めました。
僕はその親と兄のバトルの恐怖で、いつも胸が痛く震え、言葉を一語一語失い、小学3~4年生で、立派な吃音症になってしまったのでした。
吃音症になった僕は、半年間くらい、特に国語の音読の授業では毎回、公開処刑されていた。
「い、い、い、い、いつまで」と、どもって読むと、教室は爆音の笑い声。
それまで僕は友達に悩んだ事がなかったから『えっ!?友達なのに、笑うんだ』というショックと、何より『僕の声は、身体は、何が起きているんだ!?』と脳みその中がクエスチョンだらけだった。
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