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「おかわいそうに」はもう結構

28歳のふりをしながら生きる3歳の「私」は、常々思います。

大人と名乗る生き物って、人を「かわいそう」にするのが大好きで仕方ないのだなと。

3年前、私はテレビを観ることをやめました。と、言うと語弊がありますね。何も考えずにただ笑えるだけのバラエティー番組や、最近ハマっているラップに触れられるフリースタイルダンジョンですとか、そういうものは観るので。

「私」は、ニュースを観ることをやめたのです。「おかわいそうに」ばかりが溢れているニュース。そして、それに対して「おかわいそうに」と言う人たちの真意を探ってしまう「私」に疲れたからです。つらい事件、悲しくなる事件は、日々どこかしらで常に起きているのでしょう。だから「私」はニュースを観ません。

ですが「私」だって感情がありますから、話を聞けば「つらいだろう」「悲しいだろう」というような感想は抱きます。それなのに「私」は「おかわいそうに」がとても嫌いです。

どうしてなんだろう?と考えた時、一つ思い当たることがありました。11ページ目の今回は、世に溢れている「おかわいそうに」がどうして嫌いなのか?その理由について綴っていこうと思います。

▼登場人物一覧

幼い日の「私」

3歳で母・ママを失った私は、父であるパパの実家で、祖父母とパパ、そして私の4人で「家族」をすることになりました。当時のことは何も覚えていません。ママのことすら、私は何も覚えていないのですから。

そして、それほどに幼くして母親を亡くした「私」は、大人にとっては「おかわいそう」な存在だったようです。

こうして書きながら思い出してみると、どこへ行っても「おかわいそうに」と言われていたな、と思います。この「大人にとって」というのは、他人だけではなく、パパの母親である私の祖母にとっても、同じだったようです。祖母はどこへ行っても、誰に対してもすぐに「この子は3歳の時に母親が事故で亡くなって」から会話を始めました。それを聞いた大人たちは、誰も彼も「まぁ、おかわいそうに」「まだこんなに小さいのに」と言いましたが、肝心の「おかわいそう」らしい幼かった「私」は、その言葉に対して何も思っていなかったでしょう。

だって「私」は、自分を不幸ともかわいそうとも思ったことがなかったので。

「私」は果報者である

わざわざ言うことか?とも思いますが、雨風を凌ぐことができて、暗闇が怖ければ明るくすることもできる家がある。食べるもの、着るものを選べる選択肢がある。こんなに幸せなことがあるでしょうか?選べる自由があるからこそ、好き嫌いができるのだと「私」は思います。

外はともかく、家(部屋)の中では暑い寒いをコントロールすることができて、嫌いなものは食べない。趣味に合わない服は着ない。どれも選べる自由があるからこそできることであって、その自由が許されない状況下にあれば到底無理な話です。

「私」は、この自由を制限されたことはありません。だからこそ、とても幸せな環境で育ててもらったと思っています。ですから、幼い日の「私」はママを亡くしたことに対して「おかわいそうに」と言われても、ピンときていなかったのでは?そもそも、大人たちの言うその言葉の意味を分かっていなかったはずです。何も分からなかった幼い日の「私」も、今現在の「私」も、不幸だったことはないのですから。

ただ、大人たちは「私」を「おかわいそう」な子どもにするのが好きだったのだろうな、と姿形だけは大人になり、知りたくもないようなことまで知ってしまった今の「私」は思うのです。

「私」を最初に「おかわいそう」にした人

話が少し逸れますが「私」を最も「おかわいそう」な少女として扱ったのは、パパの母親・祖母だったろうと思います。ただし、そこに真心があったとは思えません。あの人は「幼いうちに母親を亡くした孫を引き取って育てているおばあちゃん」である自分が好きなのであって、そのブランドになっていた扱いやすいお嬢ちゃんを卒業した「私」のことは「癲狂院にでも入ればいい」と平気で言ってのけた人なので。癲狂院とは、今で言う精神科ですが、祖母がどういう意味でこう言ったのかはお察しです。

「癲狂院-てんきょういん-」については、こちらの記事で詳しくお話ししています。

まぁ、ある時から祖母には嫌悪感を抱くようになっていった「私」は、いつまでも「おかわいそうなお孫さん」という生きたブランドではいませんでしたが。

その後の人生で関わることもないだろうし、すれ違ったとしてもお互いに気づきもしない、無関係もいいところの他人に対する「この子は3歳の時に母親を亡くして」というセリフ。これを誰より身近で聞いていれば、どういう意図を持ってそんな話をするのか?成長するごとに理解します。飽き飽きでした。

また別のページでお話ししようかと思いますが、血が繋がっているというだけでは「家族」にはなれないと「私」は思っています。ですから、私は先の項目で「家族をすることになった」と記しました。

実際に「私」は、もうこの世にはいない祖母のことを「家族」だったとは思いません。もしかしたら祖母の方は私を可愛がっていたつもりだったのかもしれませんが、少なくとも肝心の「私」にそれは伝わっていませんから。もしも祖母が夢枕にでも立って「私はあなたのことを愛してたわよ」と言ったとしても、私は「それはそれはようござんした」と皮肉って返します。

亡くなった人の悪口なんて言うもんじゃないのでしょうが、私は今でも祖母のことが嫌いです。実の母親のことを娘が嫌っているのは、パパにとっては辛いことだったでしょうし、今でもそうだろうと思いますが、私も私で「前世だか前前世だかは知らないけれど、蛇だったんじゃないかしらね」と思うほどには執念深い質です。祖母は都合良くすべて忘れて逝ったようですが「私」は自分がされたことも、言われたことも忘れませんし「もう死んでしまったんだから水に流しなさい」なんて、たとえ尊敬するパパにだって言われたくないのですから。

「私」は「おかわいそう」じゃない

それでも、私が3歳の時にママがいなくなってしまったことは事実なので、幼い子どもを目の前にそんな話をされれば、まともな大人は「おかわいそうに」と思うでしょう。

けれど、確かにママがいないことは悲しいことであっても、それを悲しむにしたって「私」にはあまりにもママの記憶がないのです。パパと二人でママの話をきちんとしたのは、2016年のこと。たった3年前の25歳扱いされていた時のことで、それまでの20年以上、まともにママに関する話をしたことがなかったのです。

ですから、誰からママの話を聞いても「ママがいたのは私が存在している以上、本当なのは分かる。でも何も覚えていないから、これだと言えるような、自分が納得できる言葉でママに対する感情を表すことができない」と思っていて「私」にとっての「母」とは、教科書に登場する歴史上の人物くらいに遠い人だったのです。

それなのに、ママがいないことを自分よりもずっと賢い存在だと思っていた大人たちが「おかわいそうに」と言うので、何も知らない子どもだった「私」は、そういうものなんだと思っていました。

ただ「私」は前述した通り、苦しい環境下にいたことはありませんし、誰かからすれば不幸なのかもしれない双極性障害であろうとも「私」はそれを不幸と思ったことはありません。

だって、誰より尊敬できるパパがいます。どんなに忙しくても、どんなに疲れていたとしても、いつだって私を優先してくれました。今だってそうです。

私に「お母さんがいないからできない」と惨めな思いはさせまい。そうして、祖父・おじいちゃんは力を尽くしてくれたし、おじいちゃんに手を引かれたちっちゃな私は、今度はおじいちゃんの手を引けるほど大きくなったけれど「まぁちゃんはワガママなところがあるかもしれないけど、どうかよろしくお願いします」と夫にお願いしたほど、私のことを心から可愛がってくれています。

「私」自身はなんとも平凡で、特筆すべき何かを持っているとは言えませんが、確かな愛情を注いでもらいました。今でも「私」は、確かに愛されています。

こんな私を「私の自慢だよ」と言ってくれる大親友を筆頭に、それぞれのかたちで「私」に寄り添ってくれる友人たち。愉快で痛快なママの弟・ノリおじちゃん。ワガママな孫をお願いしますとお願いされて、それに「知ってるんで大丈夫です!」と返す、嘘がつけない夫・のりんこくん。

振り返れば、今でも私を見守ってくれているだろうと思う、ママのママ・おばあちゃんも、私が二番目に尊敬する私の母・ママだっていました。「私」が愛している人たちも「私」のことを愛してくれています。

「私」は「おかわいそう」でしょうか?

少なくとも「私」は、自分を「おかわいそう」とは思いません。何かにつけて「おかわいそうに」とまとめられるのは、もう結構。それは十二分に味わいました。

だからこそ「私」は、なんでもかんでも「おかわいそうに」でまとめるような、無粋で無遠慮な大人にはなりたくありません。ですから「私」は、ニュースは観ないことを選びました。それで情報に疎くなり、損をしたりする可能性も、人から「何も知らないのね、いい歳した大人なのに」と批判されることもあるでしょうが、自分のことは自分で守るしかないので、別に構いません。

今のところ「私」は3歳なので。

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世の「普通」に抗う表現者>松本ゴッホちゃん(3歳) 私という「個」を応援してくださると嬉しいです。このnoteで行っていきたいあなたの「進化」のお手伝いにて、恩返しできればと思います。