救いは誰にでも必ずある

今回は「私」の大親友・リーちゃんとの、忘れられない思い出と共に「理解者を得ることを諦めないで」という「私」の思いを綴っていきたいと思います。

▼登場人物紹介

リーちゃんは「私」の情けなさ、ダメっぷりをこれでもかというほどに知っていながらも、彼女はいつでも「私」を認め、褒めてくれもすれば、時には叱ってもくれます。真の理解者として「私」の至らなさすらも真摯(しんし)に受け止めてくれる、本当に懐の広い人です。

▼「私」については、以下のリンクからどうぞ。

「私」と「リーちゃん」

「私」はリーちゃんのことを家族であるかのように頼っていますが、彼女の方も「私」のことを「まぁちゃんは私の誇り。自慢の大親友」だとまで言って、双極性障害を抱える、一般的には「普通」とは言えない「私」を疎(うと)むこともせず「私」という「個」をいつだって尊重してくれます。

そんな私の大好きな、そして、尊敬せずにはいられない大親友のリーちゃん。いつも彼女に助けられていますが、その中でも忘れられない出来事がありました。

「私」だけではなく、自分自身に不安を感じている人にこそ、彼女のような素敵な人が世の中にはいる、と伝えたい。

その一心で、彼女の人柄も含めて、彼女との忘れられないエピソードをお話しさせていただきたいと思います。

「私」と「大親友」のファーストコンタクト

実を言うと、私はその時のやり取りをハッキリとは覚えていないのですが、それでも、そういう経緯がきっかけとなった、ということだけは記憶に残っています。

話が飛びますが、私は結婚式の時、友人代表のスピーチをリーちゃんにお願いしました。その中で、彼女は私とのファーストコンタクトに触れたのですが、ハッキリと記憶に残してくれていたリーちゃんの話からするに「当時の私は、本当に素直な気持ちで、リーちゃんと仲良くなりたかったんだな」というのがよく伝わってきました。

私たちの出会いの場は、学び舎……の食堂でした。寮制の中高一貫校だったので、帰宅日を除けば「何をするにもずっと一緒」というのが当たり前の環境であり、そうとなれば同室の生徒同士は大体が仲良くなっていきますし、いくつものお友達グループが自然とできあがっていくのも当然のこと。

しかし、初めのうちはリーちゃんと大親友になるだなんて、思いもしていませんでした。それはリーちゃんの方も同じで、むしろ彼女は、割と賑やかなグループにいた「私」のことを怖いと感じていたらしく「絶対に友達になれない」と思っていたそうなのです。

それなのに、どうして大親友にまでなることができたのか?

きっかけは、寮の食堂での「私」の発言でした。「なのに覚えてないの?大親友なのに!?」と思われるかもしれませんし、私もアララ?と思いました。なんてったって、自分自身の発言がきっかけであったのですから。しかし、今思い返してみると、その時のやり取りをハッキリと覚えていないのは「私」からすれば、何かを考えて行動したのではなく、本当に素直な気持ちに従っただけのことだったからこそ、サラッと声をかけたのだと思います。

食事を受け取るために並んでいた列で、いきなり苗字を呼び捨てにして「私、仲良くなりたいと思ってたんだよね」と

このことを結婚式でのスピーチで、リーちゃんは笑って話していましたが、続いた「笑顔でそう声をかけてくれたことが、すごく嬉しかった」という言葉には、私はもちろんですが、リーちゃんまで泣いていました。

大親友・リーちゃんという人

自慢の大親友・リーちゃんは、何事においても絶対に手を抜かない芯のある人で、それこそが彼女の魅力の一つだと思います。ただ、努力家すぎて肩の力を抜く、ということがとても苦手な不器用な面もあるので、そこだけは、彼女に支えられっぱなしの身で生意気ではありますが、ちょっと心配になってしまいます。

たとえ、人が嫌がるような仕事でも、リーちゃんは進んで引き受けるような人です。自分がどんなに苦労していても、目の前に困っている人がいたら、それを見て見ぬふりなどできない。その姿勢こそが、私が彼女のことを心の底から信頼できる理由の一つであるし「自分よりも人のこと」が信念であるかのような生き方が「私」を勇気づけてくれる。だからこそ、リーちゃんは私が誇らしく思える、自慢の大親友なのです。

「私」の絶望の日・2016年6月1日

私が3歳の時に亡くなった母・ママの死について、私がきちんと知ったのは今から3年前の2016年、6月1日のことでした。

▼この記事の『本当の3歳だった「私」の2月28日』で少し触れています。

暗黙の了解的に、私と父・パパと、ママの話をしたことはありませんでしたが、二人でカウンセリングを受けた際に「ママのことを知りたい」とこぼした私の言葉を受けて、私が3歳だった1995年の2月28日に、何が起きたのか?どうしてママは死んでしまったのかを知りました。

しかし、その内容があまりにもショックで、私はその日の夜、リーちゃんに泣きながら電話をかけました。ママが急にいなくなってしまったことは、パパこそが一番傷ついたであろうと思っていたからこそ避けていた話題だったので、真相を知った私の感情を、パパにぶつけるわけにはいかない。かと言って、自分一人では抱えきれない状態で、私は思わずリーちゃんに頼ったのです。

「私がいたから、ママは死んじゃったのかな」

ママの死の真相を知った「私」は、それだけで頭がいっぱいで、自分が今こうして呑気(のんき)に生きていることが、パパにはもちろん、たくさんの人に申し訳なく思いました。そして、私はリーちゃんに嗚咽(おえつ)を漏らしながらも、言ったのです。

「死んじゃったのがママじゃなくて、私だったらよかったのに」

リーちゃんはこれに対して、こう言いました。

「確かにママが亡くなったことは、悲しいことだよ。でも、私はまぁちゃんが生きていてくれるのが本当に嬉しい。自慢の大親友だから。だからね、二人一緒に長生きしまくって、おいしいものいっぱい食べて、いっぱい笑ったり泣いたりしようよ。まぁちゃんと一緒にやりたいこと、私、たくさんあるんだ。だから、一緒に生きていこうよ」と。

あの日、あの夜のりーちゃんへ

リーちゃんのその言葉がなかったら「私」の心はあの時、もしかしたら死んでしまったのではないかと思います。

「自分には価値がない」「自分が生きているだけで、人に迷惑をかけている」「私がママの代わりに死んでいれば、何もかもうまくいっていたはず」

そんな気持ちでいっぱいで、ただただ苦しく、そして、そのぐちゃぐちゃに煮込まれた感情の正体には「私」が双極性障害という病気を患っていることも、関わりがなかったとは言えないであろうな、と今振り返ってみると思います。あまりにも、感情の振れ幅が大きかったからです。

けれど、冒頭にお話ししたように、リーちゃんは自分自身の存在に自信を持てない「私」に「まぁちゃんは私の誇り。自慢の大親友」だと、その夜にも言ってくれました。一般的には「普通」とは言えない「私」を、そうした「個」として受け入れてくれているのです。

あの夜、彼女が「私」にかけてくれた言葉は、私を絶望から救ってくれました。

双極性障害を抱える「私」には、自分のことを好きになることが、とても難しいことに思えます。どうしたって、人に迷惑をかけてしまうようなことがある。それを自覚している分だけ、申し訳なくてたまらないからです。

それでも、こんな「私」を大親友と呼んで尊重し、大切にしてくれるリーちゃんという人と出会うことができました。「私」がこうして前向きになれるのは、リーちゃんの存在があるからです。

ですから、今現在、何かしらに苦しんでいる人たちにも「きっとこんな出会いが、自分にもいつかはやってくるはずだ!」という希望を、捨ててほしくはありません。

あの日の、あの夜のリーちゃんへ。

「私」を助けてくれて、本当にありがとう。

いいなと思ったら応援しよう!

世の「普通」に抗う表現者>松本ゴッホちゃん(3歳) 私という「個」を応援してくださると嬉しいです。このnoteで行っていきたいあなたの「進化」のお手伝いにて、恩返しできればと思います。