鰊が戻り、学校ができ、水田が広がった――明治の上ノ国に差し込んだ「新時代の光」
「続上ノ國村史」をひもとく 第12話 第二節 明治・大正・昭和のあゆみ 二、戸長役場(続き)
久しぶりの、明るい話だ
第6話から第11話まで、明治初年の激動を追ってきた。
箱館戦争、借上金、凶作、鰊一割上納、漁民一揆、目まぐるしく変わる行政の支配——。 苦しい話が続いた。
第12話は、少し違う。
「浜は活気をおび」「新時代の光がさし始めた」——村史にそう書かれた時代の話だ。
鰊が戻ってきた
第4話で記したことを覚えているだろうか。
「鰊の夢さめた上ノ国村は、閑古鳥鳴く寒村となっていた」
その鰊が、明治九年ごろから回復し始めた。
村史にこう記されている。
この期間には鰊漁が回復して浜は活気をおびた。
第3話で記した「千石場所」の記憶を持つ漁師たちが、また浜へ出た。 網を引く声、魚を運ぶ足音、浜辺の賑わい。
あの静まり返った「閑古鳥の浜」が、もう一度動き始めた。
果樹の苗木が届いた
鰊漁の回復と時を同じくして、農業への新しい動きもあった。
明治九年、七重勧業課から村ごとに果樹の苗木が下附されたりして、農業への関心も高まり、水田も少しずつ開かれていた。
七重勧業課とは、開拓使が北海道の農業振興のために設けた機関だ。 そこから村ごとに果樹の苗木が配られた。
「下附(かふ)」——お上から下ろしてもらう、という意味だ。 政府が上ノ国の農業を後押しし始めた。
苗木を受け取った村人たちは、どんな気持ちで土に植えたか。 第4話で記した中須田の水田開拓の記憶が、まだ村に生きていたはずだ。
八幡宮が「郷社」になった
明治九年十月、上ノ国にとってもう一つの重要な出来事があった。
九年十月、郷村社が定められて上ノ国八幡宮が郷社に列した。
上ノ国八幡宮。 第2話で触れた、1462年に武田信広によって建立された北海道最古の神社だ。
この神社が「郷社」に定められた。
郷社とは、明治政府の神社制度における格付けのひとつで、地域の中心的な神社として位置づけられるものだ。
七ヵ村統合への歩みをみせた。
七つに分かれていた村が、八幡宮を中心にひとつにまとまっていく流れが、ここから始まった。 上ノ国という地名は、この七ヵ村が明治三十五年に統合されてできたものだ(第3話参照)。 その統合への下地が、八幡宮の郷社指定によって整い始めた。
勝山学校、創立
そして明治十一年(1878年)、上ノ国に学校が生まれた。
十一年には上ノ国に勝山学校が創立されて、新時代の光がさし始めた。
「新時代の光がさし始めた」——村史のこの表現が好きだ。
学校ができるということは、子どもたちが文字を学ぶ場所ができるということだ。 それまで読み書きのできる人間は限られていた。 名主・笹浪兵右衛門のように「万手控日記」をつけられる人間は、少数だった。
勝山学校の誕生によって、上ノ国の子どもたちが学ぶ権利を得た。 その光が、この村の未来を変えていく。
郡区町村編成法と戸長役場の整備
明治十二年(1879年)、全国的な行政改革があった。
明治十二年、郡区町村編成法が出され、全道各支庁ごとに準備がなされた。
そして十二月、支庁分署が廃止され、代わりに郡役所が置かれることになった。
檜山、爾志二郡役所は十三年一月一日をもって開庁した。
明治十三年元日、新しい行政機関がスタートした。
上ノ国に三つの戸長役場
上ノ国村内には、三つの戸長役場が置かれた。
上ノ国村には、北村、大留、上ノ国の三ヵ村、木ノ子、汐吹二ヵ村、石崎、小砂子二ヵ村の三戸長役場が置かれた。
まとめると次の通りだ。
戸長役場管轄村上ノ国戸長役場上ノ国・北村・大留木ノ子戸長役場木ノ子・汐吹石崎戸長役場石崎・小砂子
その後、木ノ子・汐吹と石崎・小砂子が合わさり、最終的に二つの戸長役場になった。 戸長には中西俊次郎と伊藤連三が任じられた。
村用係が廃され、総代人へ
この制度改革で、村政の仕組みも変わった。
村々の村用係は廃され、総代人二人ずつが上げられて村政に参与し、学務委員も置かれた。
第11話で記した「村用係」(旧名主)という役職が廃止された。 代わりに各村から二人の「総代人」が選ばれ、村政に参加した。
さらに「学務委員」も置かれた。 学校教育を担う役職だ。勝山学校の創立と時を同じくして、教育の仕組みも整えられていった。
漁夫が水田を耕した
この話で最も印象的な記述を、最後に紹介したい。
共同社の新村地区の水田開拓が着々と進んでいたが、海岸では鰊漁が盛んでたくさんの漁夫が入りこんでいたから、それらの漁夫を使用して造田し、米作に意を用いる漁業者も現れていた。
漁夫が水田を耕す。
これは不思議な光景だ。 海の男が、田んぼの仕事をする。
しかし考えてみれば合理的でもある。 鰊漁の繁忙期は限られている。漁のない時期に漁夫たちを雇い、水田を広げる。 第4話で失われかけた「北海道米作の希望の灯」が、こんな形で再び燃え始めた。
漁業と農業。海と陸。 上ノ国はその両方を生かそうとしていた。
「新時代の光」が指すもの
この話を振り返ると、四つの光が差し込んでいる。
鰊が戻った(産業の光)、果樹の苗木が届いた(農業の光)、八幡宮が郷社になった(文化の光)、勝山学校ができた(教育の光)。
第4話の「閑古鳥鳴く寒村」からの、長い道のりだった。 その道のりの先に、この明るい時代がある。
村史が「新時代の光がさし始めた」と書いたのは、単なる修辞ではない。 長い暗闇の後に差し込む光だからこそ、その明るさが際立つ。
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