選択的夫婦別姓は「家制度」を救う?
さて、25年度予算も成立し、これから法案の審議が本格化する。その焦点の1つが、「選択的夫婦別姓」が実現するかだ。これは、論点が多数あるので、何度か分けて書いていきたいと思っている。
その論点の1つが、この産経の記事にあるような、「選択的夫婦別姓」とは、「強制的親子別姓」ではないかということだ。
これ以外の論点についても、選択的夫婦別姓に反対する「保守派」が主張することは、要するに日本の伝統的な「家制度」が崩壊するということだ。
以前から何度も書いているように、我が家は「選択的夫婦別姓法」が成立しても、別姓にはならない。それはカミさんの意向だ。
一方で、夫婦別姓を選択する方に反対しない。一言でいえば、隣の家がどうかなんて知らんことだ。
また、保守派が主張する「通称使用」だが、確かに社会に浸透している。しかし、それは実質的に「選択的夫婦別姓」が社会に定着していることを示していると考えている。
現在、夫婦同姓とは「戸籍上」だけの問題ではないか。その戸籍というのは、私は結婚から15年、一度も必要な時がなく、一度も取りに行ったことがない。
つまり、戸籍とは役所に置いてある紙切れ一枚の問題で、日常生活では仕事など「夫婦別姓」の場面が多い。一方、子どもの学校では自然に、「夫婦同姓」となる。そのあたりは柔軟に対応しているのが現状で、社会もそれを認めている。
どちらかといえば、その日常生活で戸籍があることで、めんどくさいことが多々あるというわけで、経団連までが言い出しているくらいなのだから、現状の合わせて、早く変えた方がいい。
さて、本題に入るが、冒頭紹介した記事のように、「強制的親子別姓」だとか、「ファミリーネームがなくなる」とかいうのだけれど、いや、親子別姓を選べることで、ファミリーネームの消滅を防げるんじゃないのと、ふと思ったんだよね。
この記事だ。前にみてへーって思ったの探した(笑)。
少子化が進むと、一家の子どもの数が減るので、一人っ子や二人とかいう家が増える。3人以上とかって、なかなかいなくなる。
一人っ子で、女子一人とか、二人で、女子2人とか、男子がいない家が多くなるわけだ。ちなみに、うちも女子一人。
それで、現在の強制的夫婦同姓制度下では、結婚の際に旦那側の姓を選択するのが7割を超えるという。
うちも、結婚したら基本的に「旦那の姓になって、うちを出ていく」と思っている。
保守派は、養子をとって妻側の姓を名乗らせればいいという。しかし、時代は変わりました。少子化で昔的な「家を継がない次男、三男」は激減。この令和の時代に「養子なんてねえ」って考え方も一般的だ。
要するに、端的な事例でいえば、「上久保」という姓は、このままだと私の代で消える。親父は9人兄弟なので、一族郎党はたくさんいるが、「次男・上久保政夫家」はこのままだと、私の代で終わりだ。
それは、時々考えることありますよ。
元々、私は人生いろいろあって晩婚なので、独身の時は妹の子どもの一人に「上久保」を名乗ってもらえんかなーとか、思ってたこともあった。
結局、結婚しても、やっぱり「上久保消滅」の危機は変わらず。
こういう家、日本に山ほどありませんか?いや、いずれ苗字が「佐藤」だけになるっていう話があるくらいだから、みんな思ってるんですよ。
言い出せないだけでね。
今、女性が「結婚して姓が変わるなんて嫌だ」と言い始めてますが、その両親が、「娘がよその家に入って、うちの家が消えるのは嫌だ」というのは、まだ言い出していない。でも、本音はそこにある家は少なくないはずだ。
私はそうだもん。
繰り返すが、うちは選択的夫婦別姓法が成立しても、夫婦同姓で行くと決めている。しかし、本音では、娘には夫婦別姓を選択してほしい。そして、子どもの一人には「上久保」を引き継いでほしいと思っている。これ、本音(笑)。
そして、私は一応「子どもを二人持てる政策」を打ち出してます。名付けて「ダブルインカム・ツーキッズ政策」(笑)。
この縁戚同士で子どもを融通し合うというか、それぞれの家を守ることは、日本社会では普通に行われていたことだ。
その代表例の1つが、保守派の名門中の名門一家である
「岸・佐藤・安倍家」
だということは、保守派の皆さんはよく再認識しておいてもらいたいものだ(笑)。
岸信介元首相は、佐藤家の次男として生まれ、中学3年の時、婿養子だった父の実家、岸家の養子となった。
弟・佐藤栄作元首相は三男。岸・佐藤氏とも官僚になり、戦後首相となった。
ところが今度は、岸信介に息子・信和が子宝に恵まれなかったため、娘の陽子と安倍晋太郎(元外相)の三男・信夫(安倍晋三元首相の弟)が、岸家の養子となり「岸信夫」(元防衛相)となった。
このように、「親子別姓」「兄弟別姓」で岸・佐藤・安倍の名門政治一家を存続させてきたのだ。
この「親子別姓」「兄弟別姓」は家を守り合ったのは、日本のどこにでもあった話。例えば、うちの親父は9人兄弟だが、弟(私の叔父)は婿養子に行って、「兄弟別姓」である。
日本に子どもがたくさんいた時代の話だが、繰り返すが、少子化の現在では難しい。しかし、選択的夫婦別姓になれば、かつてのように、子どもも交えた家族間の話し合いで、消滅するはずの「家(姓)」を守り、維持していくことができるのではないか。
なにより、現在の「強制的夫婦同姓」の制度下では、男子の子どもがいる家と、女子しかいない家の間で、ものすごい差別があると思うんだよね。
女子しか子どもがいない家では、子どもが結婚相手の家の姓を名乗り、事実上相手の家の家族になる。子どものいなくなった家は、いずれ消滅するしかない。
財産相続でも、事実上相手の家に持って行かれるわけだよね。細かい話はあるとしても、基本的には。
圧倒的に、男子の子どもがいる家が優位的な立場になる。なにより、男子の子どもを持つことが重要になるので、男女差別を拡大し続けることになる。
男子を授かろうとする、ある種の危険な「優生思想」が広がりかねない。
なによりも、「家制度」を重視する保守派にとって、「家(姓)」がどんどん消滅していく制度を維持することに、なんの意味があるのだろうか?
私は、保守派が守りたいものがなんなのか、時々わからなくなる。伝統を守るというのはいいし、否定するつもりはない、しかし、それで日本が衰退し、亡国に向かうことが明らかなのに、必死に固執することになんの意味があるのかわからないのだ。
「強制的夫婦同姓」へのこだわりもその1つではないかと思い始めた。
「伝統」があることはいいことだ。世界の多数の国が、戦後独立した国だ。一度伝統が切れて、あらたに作り直すのは大変なことだ。
なにもない、ゼロから積み上げていくのは困難を伴るのだ。
一方、「伝統」とは、高いスターティングポイントから始められることにメリットがあるのであって、それを基盤に新しいものを生み出してこそ、意味がある。
伝統を守ること自体が目的化すると、社会は窮屈にあり、小さく小さくなり、衰退していくことになる。
さて、まとめますか。
要するに、「選択的夫婦別姓制度」は、導入されれば「家制度」を守る側面もある。
「強制的夫婦同姓制度」下で、70%以上の夫婦が旦那側の姓を選択する現状で、少子化で娘しかいない家も増えている。その家の姓は消滅していくしかない。家制度の崩壊の崩壊を招く。
少子化の時代、養子も現実的ではない。
家制度の伝統を守れったって、家(姓)が減っていく制度を必死に守ったって、意味がないじゃないか。
この状況で、日本の多様な家(姓)を守っていくには、選択的夫婦別姓制度を導入し、娘が結婚後も結婚前の姓を維持する、または子どもの「強制的親子同姓」「強制的兄弟(姉妹)同姓」を柔軟なものに変えることだ。子どもの1人がお母さん側の姓を名乗るなど、柔軟な対応が可能となり、家(姓)の消滅を防ぐことができる。
実際、この制度が導入されたら、共働きの女性が利用するだけじゃなくて、娘しかいないという家庭が、家(姓)を残すために、娘の結婚時に相手方に別姓選択を頼むみたいな利用方法をとる人が、案外多いんじゃないかと思うよ。
いや、こっちのほうが圧倒的に多いのかもしれない。
選択的夫婦別姓推進側も、女性の権利拡大の観点から主張しがちで、この論点は取り上げられてこなかったように思う。
これは、反対派と推進派のはざまにある、隠れた重要な論点なのである。
反対派も推進派も、ぜひ一度ご検討願いたいものである。
