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「学校に行けない日々も、大切な時間──不登校を考える5つの物語」 第3話「マラソンとしての再登校」



👩‍🦰こんにちは、カミヤサラです。
この前ランニングを始めたんだけど、1kmで息切れしてコンビニに逃げ込んだ。
でも、なんとかまた外に出て歩いて帰ったとき、「あれ、これって再登校に似てるかも」って思ったの。


一気に走れなくてもいい

再登校って、マラソンみたいなものかもしれない。
スタートを切ったからって、最後まで走りきれるとは限らない。
歩いたり止まったり、時には脇道にそれたり。
それでも「また走りたい」と思える日が来れば、それでいいのかもしれない。


ゴールの設定は誰のため?

• 学校は「出席できるようになること」がゴールだと言う。
• 親は「卒業まで行ければ」と願う。
• でも子ども自身にとって、そのゴールは本当に同じなんだろうか?

マラソンで言えば、沿道の人が勝手に「あと10kmだよ」と叫んでいるようなもの。
本人にとっては、いまの1歩の方が大事なのかもしれない。


つまずく瞬間

ある子は1週間続けて登校できたけど、翌週からまた行けなくなった。
親は「振り出しに戻った」と感じ、学校は「不安定」と評価した。
でも、マラソンならどうだろう。
一度止まっても、その場で呼吸を整え、再び歩き出すことができる。
ゼロに戻ったわけじゃなく、途中で休憩しているだけ。


休むことも走りの一部

「走り続けなきゃ意味がない」というのは、きっと大人の論理だ。
マラソンには歩く区間があってもいい。水を飲む時間があってもいい。
不登校からの再登校も同じで、止まること自体が回復の一部なのかもしれない。


伴走者の役割

• 学校や親は“監督”ではなく“伴走者”であること。
• ペースを決めるのは子ども。
• 大人の役割は「いつでも水を手渡せる場所に立っていること」。

ただし、マラソンの走り方は人それぞれ。
型にはめすぎれば、逆にバテてしまうこともある。


CTA

再登校はゴールにたどり着くことが目的なのか。
それとも「途中で自分のペースをつかむこと」が意味なのか。
きっと答えは一つじゃない。
だからこそ「伴走する姿勢」を、私たち自身に問い直す必要があるのかもしれない。

読んじゃったでしょ?じゃあ、あとは一緒にやるだけ。


安全ガイドライン(出典表記や注意書き)
• 本記事は特定の学校・家庭を批判するものではなく、一般的な比喩を用いた視点の提案です。
• 文科省「不登校児童生徒数調査(2022年度)」等の統計を背景にしています。
• 個々の状況には必ず個別性があるため、単純な適用や断定は避けてください。


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