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【HSP・内向型の仕事探し】仕事が続かない私が、それでもどうにか働いてきた回顧録

「どこに行っても、ちょっとずつ合わなかった」

それは自分の性格のせいかもしれないし、環境のせいかもしれない。
多分、だいたいの場合は「人間関係」か「プレッシャー」だったように思う。

私はこれまで、いろんな仕事をしてきた。
正社員、派遣、アルバイト、自営業という形態で
飲食、製造、宿泊、農業…ついにはキャンプ場の管理人まで経験した。これだけ並べるとなんだかサバイバルスキルが高そうに見えるが、どの職場も「長くは続かなかった」。

時間に神経質になってしまう私は、時間に追われるとすぐパニックになる。悪口の多い職場は、毎日頭の中が汚れていくような感覚が嫌だった。
静かに暮らしたい。静かに働きたい。でもなぜか、世の中の仕事は、どれも少しずつうるさい。どれも、心をすり減らす音がする。

私はHSP(いわゆる繊細さん)であり、内向型で、
自分で言うのもなんだけど、たぶん私は器用貧乏だ。
作業そのものは問題なくできる。言われたことも理解できる。しかし、それが「仕事」というパックになって渡され、「管理」を必要とされると、しんどくなるのだ。特に納期。

作業能力は問題ないけど、社会人能力は0って感じ。

その結果、履歴書の職歴欄は「今回はどの職歴書こうかな〜」と
カスタマイズ可能になってしまった。

今回の記事は、私がこれまで経験してきた職場の数々を、ひとつずつ回想していきたい。
そこには苦さもあるし、笑い話に昇華できた出来事もある。
同じように「仕事ってしんどいよね…」と思っている誰かが、少し肩の力を抜いて読めるような、そんな読み物になればうれしい。

同じ職種を違う雇用形態でも働いたことがある場合は、複数の雇用形態を記入してある。



飲食店(調理)正社員・アルバイト

「社長のアイスを食べて怒られた」

厨房なら黙々と調理をしていればいい。誰とも喋らず、目の前の作業に集中することが、逆に評価される。そんな空間が、私には向いている気がしていた。

——というのは、思い違いだった。

仕込みも1分1秒の争い、営業も1分1秒の争い、片付けもまた1分1秒の争い。昼から夜中までずっと、時間と怒声に追いかけられる。まさに戦場だった。

もちろん、毎日サービス残業。
そしてなぜか「接客」もセットでついてくる。
厨房希望で入ったのに、気がつけばフロアに出され、笑顔で「いらっしゃいませ〜」をやっている。

それでも、人間関係には恵まれていた。
若いスタッフが多く、仲の良い人も多くいた。営業後にくだらない話で笑い合い、仕事が辛いと励まし合い、そんな時間が、数少ない救いだったかもしれない。

そんな日々のなか、今でもよく覚えているのは
社長のハーゲンダッツを食べて怒られた日のことだ。

寮の冷凍庫にあったハーゲンダッツ。何日か前に、社長や社員たちが寮に来て、宴会していた時の余りだった。

「連絡きたら、買い足しておけばいいか」

そして、社長夫人から「冷凍庫にアイス忘れたから取りに行くね」
と連絡が来たのに、買い忘れたのである。

家に帰る途中、スマホが鳴った。
雪の降る夜道。誰もいない深夜1時。右手のスマホを、冷たくなった耳にあて、説教を聞いた。

左手はポケットの中でぎゅっと丸まり
雪が、じんわりと肩に積もっていた。

人生で怒られたことのある「アイス」は、後にも先にもこれだけだと思う。

事務所(事務)派遣

「電話に出ようとするフリを3ヶ月」


事務の仕事は、基本的には好きなほうだった。

黙々とパソコンに向かって数字を打ち込んだり、検索をかけたり。
誰にも話しかけられず、脳の三分の一だけを使って作業する感じがちょうどよくて、無理なく仕事できた。

ただ、ひとつだけどうしても好きになれなかったものがある。

電話だ。

事務職というのは、なぜか電話対応を求められる。
でも私は、電話というものが昔から苦手だった。
鳴った瞬間、ビクッとする。自分の電話を人に聞かれているのも嫌だ。
内容がわからないと焦るし、何度聞き返しても聞き取れないと空気が凍るし、何より声が震えるのが自分でわかる。

だから私は、電話に出ないことにした。

誰かが電話をとった瞬間に受話器に手を伸ばし
「あ〜出ようと思ったのに〜」って顔をし続けた。
3ヶ月間、一度も電話に出ることなく契約満了を迎えた。

たぶんバレていたと思う。

あと、閉鎖的な空気も苦手だった。
ああいう「静けさに支配された空間」に長くいると、
どこかジワジワむず痒くなってくる。

今でも事務の仕事は気になる。
電話対応さえなければ。

宿泊施設(調理)正社員・アルバイト・派遣

「16時間働くと、足し算ができなくなる」

宿泊施設の仕事は、波が激しい。

閑散期はとにかく平和。静かな厨房で、のんびりと下ごしらえ。やたら大きいまな板と、ちょっと古びた包丁。のんびり働けて悪くない
——そう思っていたのは、たぶん6月の閑散期。

夏になった。

繁忙期になると、勤務時間が一気に倍増する。気がつけば、16時間労働である。
朝6時から夜10時まで。休憩なし。

しかもその年、私はまだ20歳だった。
料理の知識も経験も乏しかった。そんな私が、なぜか厨房を1人で任されることになった。今考えるとわりと狂気の沙汰である。

「夏 旬 料理 レシピ」とググるか、クックパッドを開き、
先出し、造り、焼き物、鍋、椀物、デザートまで、
ほぼ自力で20人前を作っていた。

16時間労働が3日目ぐらいになると、足し算ができなくなった。
「○○コースは何人だから……3、6、……あれ? 9だっけ?」
脳がバグっていた。

ちなみに、宿泊施設の厨房というのはわりと自由度が高い。
小規模なところだと、何を作るか自分で決められる。その点はおもしろかった。でもだからって20歳に厨房全部投げるのはどうなんだ。

結局、私は宿泊施設の仕事を2か所経験したけれど、どちらも繁忙期になると人が足りなくなり、足し算ができなくなるほどの長時間労働になる。

「絶対もうやらない」と、心に決めている数少ない仕事のひとつだ。

スキー場(調理)アルバイト・派遣

「6シーズン続いた。私の最長勤続記録」

スキー場の厨房は、すこぶるゆるい。
誰も過剰に怒鳴らないし、始業時間も終業時間も、ちゃんと時間通り。
怒鳴られないだけで「ここは天国かもしれない」と思った時点で、私の労働人生がなかなか荒れていたことに気づく。

働いている人たちも、なかなか濃いメンバーだった。
世間で言う「普通」とか「安定」みたいな言葉から、ゆるやかに脱線している人たち。人生の方向性がちょっと斜め上で、それが居心地よかった。そんな集まりだったからこそ、私も自然体でいられたのかもしれない。

この仕事は、6シーズン続いた。
正確には、冬だけだから「6年」ではないけれど、私の中では堂々の最長記録である。仕事内容も適度に単純だけど、苦になるほど単純ではない。人の目も気にならないし、忙しすぎもしない。
「仕事って、こういう感じでいいのかもしれない」と思えた職場だった。

——ただし、暮らしを除く。

問題があるとすれば、寮生活である。

スキー場のバイトはたいてい寮付き。自宅から通えないので、寮に入るのが前提だった。相部屋の時期もあれば、運良く個室のときもあったけれど、どっちにしても「仮住まい」であることに変わりはない。

私は、自宅が好きだ。
「自分だけの空間と時間」がないと生きていけない。
共同生活はじわじわとHPが削れていく。

でも、仕事は本当に合っていた。
だから今でも、「冬だけまた行って、夏は仕事せずにのんびり暮らそうかな」
と妄想を膨らませている。


茶農家(農業)アルバイト

「マインドフルネスは茶畑にあった」

仕事内容だけで言えば、今まででいちばん好きな仕事だった。

お茶農家での作業は、意外と体力仕事だ。
優雅な茶摘みはしない。
畑で茶葉を刈り、トラックで運び、工場で製茶。

無になってお茶を刈っていると、重たいものを持ったり、体を動かしたりするのも、なぜかそんなに苦じゃなかった。

「黙って動く」ことが日常のメイン業務になると、心が整ってくる。
マインドフルネスとか瞑想とか流行ってるけど、日中に畑で汗を流してたら、大抵のことは気にならなくなる。

作業後、夜。
疲れ切った体で製茶工場に移動し、昼間に摘んだ茶葉を機械で加工する。
お茶の香りに包まれた工場は、とても癒やされる空間だ。
オーナーは「お疲れさま」と言ってお茶まで出してくれる。

そして工場での作業は9時頃終わり、帰宅してすぐシャワーを浴びてベットにつく。明日も早いのですぐに寝たい。

だがしかし、疲れすぎているのに、眠れなかった。

工場で出されるお茶はカフェインが入っているのだ。
出されたものは断れない。

ベッドに横になっても、目を閉じているのに脳だけ起きてる感じ。
何かのバグかバツゲームみたいだった。

さらに、忙しい時期になると月に300時間働いていた。
もう一度言うけど、月に300時間である。
よく生きて帰ってこれたと思う。

それでも、農業の求人を見ると、ちょっと心が動く。
ああ、やっぱり楽しかったんだな、と。

最近は水耕栽培とか、室内農業とかいうワードを見ては、
「夏でも涼しい農業とか、できないかな……」と妄想している。

ガソリンスタンド(接客)アルバイト

「バイト初日、ディーゼル車にガソリンを入れるという試練」

楽しかったかと聞かれると微妙だが、
意外と苦ではなかった仕事のひとつが、ガソリンスタンドでの接客だった。

仕事内容はシンプルで、特に難しいことはない。
給油して、窓を拭いて、お釣りを渡す。決まった作業を淡々と繰り返すだけ。風に揺れるのぼり旗を眺めたり、遠くの雲を追ったりしていた。

最初のうちはずっと立っているのがつらくて、足が痛くて仕方なかった。足の裏が「悲鳴」というより「諦め」の声を出していた。けれど、インソールを入れたら意外とどうにかなった。

ただ、問題は、常連さんである。

こちらのことは完全に初対面でも、向こうは「顔見知り」として接してくる。

ある日、レシートに名前の記入をお願いすると、
「俺のことがわからんのか!」と怒られた。
いや、知らんがな。私はバイト初日である。

ただ、それ以上に印象的だったのは、またしてもバイト初日の出来事だ。

その日、新人は私を含めて2人。まだ綺麗な制服、ぎこちない動作、緊張で胃のあたりがずっとムズムズしていた。そんな私たちを置いて、指導係の先輩が突然どこかへ行ってしまった。理由はよく覚えていないけれど、とにかく「え、残されるんですか」状態で、2人きりで現場に放り出された。

そしてやってきた、1台の車。

「・・・行く?」
「・・・行こうか」

無言のアイコンタクトで動き出した。1人がノズルを差し、1人はボタンを押す。チームワークは完璧だった。

完璧すぎて、一緒に間違えた。

給油がほぼ終わろうとしたそのとき、社員さんがものすごい勢いで走ってきた。「ストップ! ストップ!!!」と叫びながら。

何事かと思ったら、目の前にある車はディーゼル車だった。
そして、我々はガソリンを入れていた。

いろんな偶然と無知とが重なって、
「新人2人で、初日にディーゼル車にガソリンを入れる」という、そこそこの事故をやらかしたのだった。

でも、そんなことがあっても、不思議と心までは削られなかった。足は痛かったけど。

移動販売(全般)自営業

「移動販売なのに、ほとんど移動しなかった話」

カフェを開業してみたいという夢も当時はあり、
「自由に働けたらいいな」「全部自分で決められたら、ストレスも減るかも」

そんなふうに思ってはじめたのが、移動販売だった。

キッチンカーではなく、もっと簡易的なテント形式。作るものも、ドリンクだけで、できるだけ手間の少ないものを選んだ。仕込みもメニューも接客の仕方も、全部、自分で決めていい。

なんて最高なんだろう。もう人間関係に悩まなくていいし、指示されたことをやるだけの働き方からも卒業だ!

そう思っていたのも、最初の1ヶ月くらいだった。

自営業は、何から何まで「自分でやる」ことの連続だった。場所を探して、主催者に連絡をとり、SNSで宣伝して、仕込みして、準備して、荷物を車に詰めて、設営して、販売して、片付けて、また車に詰めて……という、体力と段取り力のフルコース。

特に「場所を探す」という行為が、思っていた以上に難しかった。
新しい場所を開拓しようか、と思っても、ここでまたひとつ問題があった。

—— 人の多い場所が、そもそも苦手だった。

開業してから気がついた。「あれ? 私、人混みが苦手なんだった」と。

あと、知らない人とコミュニケーションを取るのも苦手だった。初対面の主催者や同業他社、常連さんとの距離感も、なかなか難しかった。

移動販売ってそもそも、人の集まるところに「自分から」出ていく仕事だった。これはもう、向いてないにもほどがある。

その結果、どうなったかというと、
「移動販売なのに、ほとんど移動しない」という現象が起きた。

一度出店してまあまあ人が来てくれた場所に、延々と通い続けたのだ。新しい場所に行くたび、胃がキリキリしたので、結果的に「慣れた場所オンリー」の営業スタイルが完成していた。

商売としては、ぜんぜんダメだったと思う。でも、「やってみたかったこと」を一回ちゃんとやってみた、という意味では、満足している。

工場(食品製造)正社員

「悪口製造工場。耳が腐るかと思った」

ここも、「シングルタスクで黙々と作業できる」という理由で選んだ仕事だった。

作るのは加工食品。工場というより工房という規模で、ひたすら同じ作業を繰り返す。楽しくもないけど、苦でもない。黙ってさえいられれば、ちょうどいい仕事だった。

同じ作業を延々と繰り返すと、ちょっとした工夫を見つけるのがうまくなる。どこに材料を置けば動きやすいか、どうやったらきれいに早く仕上がるか。そういう「作業効率アップごっこ」は、地味に楽しかった。

けれど、この仕事が続かなかった理由は、シンプルだった。

ずっっっとしゃべっているのである。

勤務時間、8時間。そして休憩中も、誰かがずっとしゃべっていた。最初は「仲がいい職場なんだな〜」ぐらいに思っていたのだが、しばらくすると、その会話の8割くらいが悪口で構成されていることに気づいた。

「◯◯さんってさ〜」
「昨日さ〜」
「聞いた?あの人のこと」

とにかく誰かの噂と不満と愚痴で、空気がどんどん濁っていく。耳に入れまいとしても、対面で作業しているのでどうしても聞こえてしまう。気づけば、頭の中がその「声」でいっぱいになっていた。

「食品製造工場」ではなく、完全に「悪口製造工場」である。
耳が腐るかと思った。

黙々と働きたい。目の前の作業に集中していたい。ただそれだけだったのに。

最後の方は、仕事おわりに散歩をして、静かな音のない空間で、耳を休めて浄化させていた。


キャンプ場(広報・事務)業務委託

「在宅で時給3000円の神案件」

キャンプ場の管理人的な仕事を正社員としてやっていたときの縁で、広報・事務の仕事を業務委託というかたちで請けることになった。

やることは、公式LINEの配信、メルマガの管理、データ集計など。
「なんて私向きな仕事なんだ」と内心小さくガッツポーズ。

しかも、すべて在宅で、自分のペースで進められる。時給換算で3000円以上になっていて、「これって神案件では?」と、ほくそ笑んでいた。

本来こういう仕事をしたかった。場所に縛られず、黙って作業できて、成果物で評価される。まさにHSPと相性抜群の働き方だった。

ただ、ひとつだけ、相性の悪い業務があった。
オンラインミーティングである。

画面越しでも「話す」という行為には変わりがない。自分の意見を即座に求められる。テキストのようにじっくり考えて、時には書き直すとはいかない。アドリブが苦手な私にとって、それはもう、一発テストみたいなものだった。

だから私は、「想定される質問と、それに対する回答リスト」を作った。
A4用紙にびっしり。直前まで読み込んで、頭の中でリハーサルしておく。

でも、ミーティングとは恐ろしいもので、毎回どこかで「想定外の質問」が飛んでくる。

そのたびに私はこう切り出す。
「ちょっと質問とはズレるかもしれないんですけど〜」

そして、強引に準備していた別の答えに持っていく。
質問と答えがズレているのは百も承知だが、それでも「答えられない沈黙」という事態は防げる。

ミーティングが終わると、どっと疲れる。
椅子に背中を預けて、何も言わなくていい世界に戻れたことに安堵する。

オンラインミーティングから解放されたいと思っていた頃、ちょうど正社員のお誘いがかかった。そして私は、「神案件」すら手放してしまった。

工場(技術職)正社員

「普通の働き方を目指して、たどり着いた場所」

そのお誘いというのが、こちらの仕事である。

当時の私は、30歳手前。ずっとふらふらしていた自分に、そろそろ「ちゃんとしなきゃ」という焦りがあった。周りと比べて、取り残されているような気がしていたのだ。

「安定した仕事に就きたい」「みんなと同じように働きたい」
そんな気持ちが募って、「神案件」を手放し、この仕事を選んだ。
今思えば、あのときの私は「普通」に憧れていたのだと思う。

仕事内容は、製造業の技術職。自分で考えて設計し、自分の手で機械を操作する。決められたスケジュールに沿って作業を進めるのではなく、自分でスケジュールを組めるのは新鮮だった。納期さえ守れば、途中のプロセスはわりと自由。特にCADは面白かった。

しかも、覚えることが尽きない。毎日が新しい知識で埋まっていく。正直、これは楽しかった。

けれど、問題は「責任の重さ」だった。

ときどき特急案件がねじ込まれ、予定は崩れ、急ぎの作業に追われながら、失敗の許されない精密な作業を求められる。誰も怒鳴ったりはしないけれど、「これひとつがダメだと、全部やり直しになるからね」という静かなプレッシャーが、ずっしりと肩に乗っていた。

機械を稼働させながら次の製品の設計。毎日、仕事は終わらなかった。
定時を過ぎても、帰る人はいなかった。

でも、それでも、「ちゃんと働いている自分」になれた気がして、最初はそれで満足していた。心が削られていることには気づかないまま。


これが私の職歴。転職回数だけは、一丁前にベテランである。
12年でよくこれほど仕事を変えられたものだ。

そんなこんなで、今は1日6時間のパート勤務。
ほどよく働き、ほどよく休む。

「そんなことで辞めるな!」と言われそうなエピソードのオンパレードだけど、私はよわよわです。つよつよにはなれません。

でも、その分、よわよわなりの働き方を、少しずつ見つけてきた気がする。


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