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逢坂山フィールドワーク雑記11/24

第?回逢坂山フィールドワークです。
びわ湖鉄道歴史研究会の方と行っているフィールドワーク。京都国道事務所が公開してくれた昭和初期の工事写真などを元に調査しています。
京津国道改良工事 工事アルバム

集合は大谷駅ですが、西大津駅から歩いて少し地形を確認。

その前に

告知:「車石・車道」展

12月3日(水)~12月7日(日)
河原町五条下る東側「ひと・まち交流館1階」にて開催されます。

午前9時半~午後4時半(初日は午後1時から最終日は午後3時まで)
毎日午後2時からギャラリートークがあるそうです。

れきはく等の協力もいただいて、車石に関する貴重図面の展示もあるそうなので非常に楽しみです。


関寺

逢坂の関がどこにあったかというのは色々と議論のある所らしく、石碑は峠の上に立てられていますが、大津側のふもとにある関寺は逢坂の関のそばにあったと言われており、関所としてそれなりの人員を配備する必要性からすると峠の入り口付近であるこのあたりに有ったと考えるのが妥当だと思います。

関寺は970年以前の創建だが、976年の地震により倒壊、1012年から恵心僧都源信らが復興にとりかかります。その時資材運搬のため清水寺から遣わされた牛が迦葉仏の化身であるという夢のお告げがあり、大勢の人が訪れ、藤原道長・源倫子なども参詣したそうです。(関寺縁起https://sekidera-choanji.com/about/)車は後世の牛車を参考に描いたものか?

伊勢参宮名所図会 5巻 [1] - 国立国会図書館デジタルコレクション

牛は関寺の再建が終わるとともに亡くなり供養のための塔が建てられました
現在関寺は無く、長安寺にあります
牛塔
逢坂峠の東側は吾妻川が削った谷となっている。吾妻川は本来の位置から変えられており地形的に当初はもっと西よりを流れていたと思われる。したがって、谷の出口で川の西側に関を作るのが合理的であり、三角で囲ったあたりにあったのでは?
関寺から見下ろした街並み 京阪電車の進む先が逢坂峠であり、正面の山裾は旧東海道線が作られ、その廃線敷地が現在国道1号になっていて周辺が宅地化しているが、もともと山はもっと迫っていたものであり、このあたりに関所を置くのが良さそう
紅葉 大津百町と言われた街並みはだいぶ変わりました
とびだしキケン蝉丸ぼうや

八新

昔この辺りに八新という大きな料亭があったそうで、上の写真の建物群があるいはそれか?
奥にどこにもつながらない踏切があり中に進むと・・・
見事な紅葉 きっと料亭の庭だったのでしょう。手前のくぼ地は池だったのかな?逢坂山を借景にした庭園が思い浮かびます

名神交差ポイント

追分で名神をくぐる箇所 上はS7.1.28の写真 京津電気軌道は元々道路を横切り画面右端の道路上を走っていたがこの工事により中央に築造中の新線に移転された。その左側の高盛り土は旧東海道の廃線敷。法裾の石積みが旧東海道線のものであるか、この工事により作られたものかは議論のあるところ。
S6.5.19工事着手前 左から国道を横切り大津方向を目指す京津電軌 左の壁は旧東海道線の橋台
付近の祠にある車石 両面使いタイプ 通常より薄いように思う
すごい勢いで迸る湧き水 走り井もこうだったのかも

逢坂山7本トンネル

湖西線・東海道線合わせて7本のトンネルが逢坂山に入っていくポイント 湖西線はトンネル途中で合流して入り口3本から出口2本になるそうです。へー
これを毎日通って通勤しているのか なんか凄い
新逢坂山トンネルT10 花崗岩の盾状迫石とイギリス積レンガのハイブリットタイプ
トンネルの上の解説板 これは東海道本線の説明ですね。という事は他の3本が湖西線
逢坂山ー長等山エリアはトンネルが集中 明治13年の旧逢坂山トンネルに始まり、琵琶湖疏水①、琵琶湖疏水②、京阪、新逢坂山、名神蝉丸、湖西線、161号と16本のトンネルが貫いている

本日の疏水

琵琶湖疏水 第一トンネル西口(国宝)
朝に見た第一トンネル東口 こちらは桜中心で紅葉はあんまり
山科大築堤 ビューポイント
秋の疏水船 紅葉真っ只中のこの時期は料金が高い でもチケットは完売とのこと

本日は以上です。



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