80メートルの良心
私は普段から人に親切にしようと思って生きているわけではない。
なにもしなかった事を、忘れられないのが嫌なのだ。
トゲが刺さったような、長く続く僅かな痛みのように――
仕事で移動中に、国道沿いを歩いていた。
少し前まで銀杏が綺麗だった街路樹は、もうすっかり裸になっている。
コンビニの前に車椅子の男性がいる。
邪魔にならないように大きめに避けながら通り過ぎる。
なにやら同じ動きを繰り返し、男性の顔は少し赤いように見える。
街路樹の根元に、車椅子の小さな車輪が落ちて、ひっかかっている、のかな?
気にはなるけれど――
声をかけるタイミングを失って、そのまま50メートル程歩き続ける。
誰だって、自分自身の事は自分でやりたい。
知らない人に助けを求めるなんて事したくないだろうに、そう思ってしまう。
自分でなんとかなる問題かもしれない。
でも、なにかに引っかかって、動けないのかもしれない。
今日このあとずっと、車椅子の男性のことを思い出すのだろうか、
寝る前にも、明日朝起きたときにも――
仕事場までの距離がやけに長く感じる。
暑くもないのに手に汗をかいている。
自分の勘違いだったらどうしよう。
少なくとも変な人だとは思われるだろう。
ええい、ままよ――
早足でコンビニまで戻って、車椅子の男性に声をかける。
やっぱり溝にはまったまま動けなかったようだ。
車椅子を押して、小さな車輪を歩道に乗り上げる。
「ありがとう」
「いえ……」
事件解決だ。
私は普段、人に親切にしよう、と考えて生きてはいない。
でも、ちょっとした親切を、それをしなかったことが、ずっと気になってしまう。
あの人大丈夫だったろうか?
怪我しなかったろうか、無事家に帰れただろうか?
そういう事をずっと考えてしまうのが嫌なのだ。
車椅子の話だって、もう10年以上昔の話なのにいまだに覚えている。
気付いてすぐに手伝って、軽くお礼でも言われたら次の日には忘れていたと思う。
記憶の隅に残る痂皮、
刺さったトゲは、僅かに痛み続ける。
次は80メートルも引き返さなくて済むだろうか――
思い出してイライラしないように、私は人に親切にする。
自分のために、ついでにすこしだけ世の中のために。

