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なぜ人は、死の瀬戸際に迷うのか?

医師「お父様は今非常に重篤な状況にあります。ここからもう1段階悪くなれば、病に命を取られてしまいます。ただ、人工呼吸器などの機械に頼れば、生きながらえるかもしれません。」

あなたのお父様が、お母様が、家族が、大切な人が、突然死の瀬戸際に立たされることがあるかもしれない。

あるいは、あなた自身がその瀬戸際にいるかもしれない。

死の瀬戸際に迷うこと

そんな時、動揺する心を他所に、医師からは、「どうしますか?」と短調に聞かれたり、「こうした方がいいと思いますよ」と一方的におススメされたりするかもしれない。

こんな状況を、考えたことはあるだろうか?
こんな状況に、出会ったことはあるだろうか?

特に救急という現場に身を置く私は、こういう現場に対処することが仕事の主体でもある。

なかなか人生の中で、死の瀬戸際に立たされることなんてない、そうそうあってたまるもんじゃない。でも、生きている限り必ずその機会は訪れる。

「助けて欲しいです。でも延命は、、、」

助けを願わない場面はほとんどない。

ただ、ここで頭をよぎるのが、「延命」だ。
「延命」とはなんだろうか?

尊厳を守る、ただそれだけのために

人にはさまざまな尊厳がある。人としての価値、人間が人間らしくいきる権利だ。

「人間らしく」?

人間らしいとはなんだろうか?

あなたは、どうある状態が人間らしい?歩くこと?食事を摂ること?ゆったりと景色を眺めること?おしゃべりをすること?

それは、自分1人の力でできないといけない?他人の力を借りることはどう?社会のサポートを受けることはどう?

この、人間らしく生きること、「生き甲斐としていること」を損なうことが、あってはならないことだろう。

ではなぜ迷うのか?

なぜか?
こういったことを日常で考えないからだ。

当たり前である。安寧な日々でも、切羽詰まった日々でも、「死の瀬戸際に立ったら/立たされたらどうしよう?」などとはなかなか考えない。

「私の尊厳ってなんだろう?」と考えることはなかなかない。

自分ですら考えないのだ。家族といえど他人、知る機会などなかなかないだろう。あえて話すなど、よっぽどでないとない。本来は、人生会議をしておくべきだが。

どうやって考えるのか?

どうやって考え、選ぶ必要があるのか?

その治療の先は?家族の、大切な人の尊厳が損なわれることにならないか?許容できるリスクなのか?

それを「本人に代わって」考えなければならない。元気だった時の性格を考えて「本人ならこう思うだろう」と考えないといけない。

これが代理意思決定者だ。

そう簡単にはいかない

かといって、そう簡単に話は進まない。

だから常に、家族のみでなく医療者も、悩み、考え、選び抜くのだ。

どうすればよいのか?
一辺倒な答えはあってはいけない、人の数だけ価値観があるのだから、迷うことが人生へ向き合うことだと思っている。

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