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僕は、魚だった。2

みんなは、この地球で生きにくくない?

僕は、人間だ。
絶対に人間だ。人間として、何十年も生きてきたし。

でも、その何十年の中の後半から
今にかけて
この地球で、とても生きにくくなった。
そんなことに気づいてしまった。

だから思った。
僕は、宇宙人だと。
それなら説明がつく。

そう思ったけど
それは説明がつかなかった。

なぜなら、宇宙人ができることを
僕にはできないからだ。

宇宙人何かすごいことできそうな気がするよね。

宇宙人はものすごくテクノロジーが発達している、そう教えられた。
昔から今もそういうことになっている。
なのに、いろんなすごいことが
できている実感が全くない。

宇宙人ができると思われる
あれや、これ
できない。
そもそも、やろうとさえしてないんだけどね。笑

僕が宇宙人なら、僕の親も宇宙人だ。
そして、おじいちゃん、おばあちゃんも宇宙人だ。

でも、父親は40年以上1つの会社で一生懸命働いてくれた。家族のために。わがまま聞いてくれたし。
すごくいい父親だった。
僕は父親が好きだった。
そんな父親は、普通の人間として
3年前に他界した。
宇宙人らしいところは、1つも覚えがない。むしろ、ザ人間だった。

では、母親はどうだろう?
ひょっとしたら、母親が宇宙人で父親が地球人のハイブリットだった可能性もある。

でも、母親もとても優しい、ザ人間だった。とても人に感謝して、家族にも感謝して。とても素晴らしい母親だった。ピンク色が好きだったな。
80才を過ぎても、認知症でも、ピンクが好きと言っていたな。ピンクの洋服を買ってあげるととっても喜んでいた。おばあさんなのにとても可愛い笑顔で何度もありがとうと言っていた。
そんな母も昨年、他界した。

そんな素敵な両親だった。

宇宙人は、そうじゃないよね?

宇宙人なら、毎日毎日、洗濯や掃除パートに食事を作ってくれたりしないよね?

嫁姑との関係で、イライラしたり、時に泣いたりしないよね?

て、事は
僕はハイブリットじゃない。

それならおじいちゃんはどうだった?
もう今は、この世にはいないけど
おじいちゃんを思い出してみた。

僕が子供の頃だから
時代は、昭和。
おじいちゃんと言えば、頭の中に浮かんでくるのが、庭の片隅で、お風呂のための薪を斧で割っていた姿だ。

おじいちゃんが亡くなる前は、足を痛めて外に出れなくなり、縁側でずっと外を眺めていた。
出かけようよと言っても、足が痛いからここにいるわと言ってずっと家にいた。

おじいちゃんのことも大好きだった。
頑固なおじいちゃんだったけど
大好きだったなぁ。
庭の柵を作ったり、竹を切って竹馬を作ってくれたし、竹とんぼも作ってくれた。

宇宙人なら、そんなことしないよな?

宇宙人なら、自分の足も直せただろうし。
だから、やっぱり、ザ人間だ。

おばあちゃんはどうだろう?
なんとなく予測がついている。

でも、流れ状考えてみた。

おばあちゃんは、その地区では有名な元気の良い、怖いことで有名なおばあちゃんだった。
小さい頃からよく怒られた。
多分母親よりも怒られた。
父親よりもおばあちゃんのほうに怒られた回数の方が圧倒的に多かった。
でも怖くはなかった。
なんだかんだ言って優しかった。
だから、僕はおばあちゃん子だった。

おばあちゃんが作った焼きそばは
毎回違う。
同じ焼きそばなのに、時にシャビシャビ、時にカチカチ。
ラーメンもそうだ、時に、のびのび。
ときには、麺しかない位だった。

具が入っている時もあれば、全く何もなかった。焼きそばやラーメンの時もあった。

歳をとっても、ずっとパートで小さな工場で働いていた。
内職もやっていた。

これは完全に宇宙人じゃない。
これが宇宙人になったら、ものすごい宇宙人だ!

ただ、僕が大人になって感覚でわかったことがある。
おばあちゃんには、霊感があった。
それを誰にも言う事はなかった。

でも、大人になって、僕は
気づいたんだ。

おばあちゃんのエネルギーは
思い起こせば、紫だったなぁと。

その紫からのエネルギーを感じ取ると
霊感のエネルギーに変換された。

だからおばあちゃんは、未来予測がついていたし、その忠告を僕たち子供たちにたくさん教えていたんだと今なら理解できる。
おばあちゃんは多分いろんなことが見えていたんだと思う。

あ、ちょっと宇宙人の可能性が出てきたぞ。

おばあちゃんが少し
ほんの少しだけ宇宙人の可能性が出てきた。

おばあちゃんがハイブリットだったのかもしれない。
でも、、、
たとえ、ハイブリッドだとしても
おばあちゃんの人生は、ザ人間だ。

やっぱり人間だ。

そう思うと、僕は宇宙人ではない。

では、なぜこの地球で生きにくいんだろう。
違和感だらけだ。
違和感に感じると、さらに違和感を
感じるようになる。

違和感の中で本当に生きている。

でも、その違和感を拒否できるわけでもなく、その違和感の中に突入している自分がいる。

家族の中に違和感は無い。
僕は大自然が好きなので、都会を離れて大自然に触れに行くことが多い。

大自然の中にいると、違和感を感じない。

日常の嫌なことからも解放される。
生きている実感を体感できる。

思いっきり空気が吸える。
思いっきり太陽の光を浴びることができる。きれいな川の流れに癒される。
風や雨さえもそんなに嫌だとは思わない。むしろこれが自然だな。

そう思う。そう感じる。

違和感は家の中にはなかった。
なら、外にある。
でも、自然界には違和感は無い。

ならどこにあるのか?

社会だ。

社会の中で違和感を感じる。
確実に感じる。

空気が吸いにくい。
ストレスに包まれる。
背伸びをしなきゃいけなくなる。
何が本当か?
何が正しいのか?
何が必要なのか?

わからなくなる。

空気がうまく吸えない。

この状態は何か?

僕は陸で溺れている。
だから僕は魚だった。

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