第五話 「苦しいね」と言ってくれた場所
私は子どもの頃、とても病気がちな子どもでした。
……いや。
今振り返ると、「病気がち」という言葉だけでは、少し違うような気がしています。
私は、人よりもいろいろなものを感じやすい子どもだったのかもしれません。
食べられないものが、たくさんありました。
パイナップル、メロン、そば、生卵、納豆、エビなどの甲殻類。
近づくだけで皮膚が赤くなったり、痒くなったりする草もたくさんありました。
ブタクサ、ハウスダスト、動物の糞や猫などの毛は、小児喘息の原因にもなりました。
さらに、アトピー性皮膚炎もひどく、物心がついた頃には、身体のどこかが苦しいことが、私にとっての「普通」になっていました。
食べ物を口にしても、身体が受けつけずに吐いてしまうことがあります。
けれど、子どもの私は、なぜ吐いてしまうのかをうまく説明できません。
吐くと、父に怒られました。
時には、殴られることもありました。
アトピーで身体が痒くてたまらず、血が出るまで掻いていると、
「掻くな!」
と大人に叱られました。
もちろん、「掻いてはいけない」ことくらい、子どもの私にも分かっています。
それでも、我慢できないほど痒いのです。
けれど、痒みを感じていない人には、その苦しさはなかなか伝わりません。
そんな私ですから、病院にはよく連れていかれました。
けれど、不思議なことに、私は病院がそれほど嫌いではありませんでした。
……これも、少し語弊があります。
苦手に感じる病院もありました。
入り口に立っただけで、空気が重く感じられたり、視界に薄い膜がかかったように見えたりする場所もありました。
当時の私には、その違いを説明することはできませんでした。
ただ、
「ここは苦手だ」
「ここは安心できる」
という感覚だけは、はっきりとありました。
小学校三年生の頃、私は急性腎炎で二週間ほど入院することになりました。
たしか、七月の初め頃だったと思います。
今のような異常な暑さではなかった時代です。
病室の窓を開けると、夏草の爽やかな香りを含んだ風が、静かに入ってきました。
空気がとても澄んでいたのを覚えています。
家の空気と何が違うのかと聞かれると、うまく説明できません。
けれど私には、水道水と富士の天然水くらい違って感じられました。
毎朝、決まった時間になると、看護師さんが体温を測りに来てくれました。
血液検査のために注射をすることもありました。
「ちくっとするよ」
そう言いながら針を刺すのですが、とても上手で、ほとんど痛みを感じませんでした。
看護師さんが近くに来ると、清潔なシャンプーのような香りがしました。
子ども心に、少しドキドキしたことも覚えています。
病院では、お医者さんや看護師さんが、私の身体に何が起きているのかを分かってくれていました。
アトピーで痒そうにしていると、
「かわいそうに。痒いよね」
そう言って、薬を塗ってくれました。
家では、
「掻くな!」
と叱られていた私にとって、その言葉は薬と同じくらい、心に効いていたのかもしれません。
入院中、私は絵を描いたり、文章を書いたり、プラモデルを作ったりして過ごしていました。
もともと、何かを作ることが好きな子どもでした。
病室の中で創作に夢中になっていると、二週間はあっという間に過ぎていきました。
家に帰りたくない。
そんなふうに思ったことさえあります。

病気になりたかったわけではありません。
注射や検査を喜んでいたわけでもありません。
それでも病院には、私の苦しさを分かってくれる人がいました。
そこでは、身体の不調を責められることがありませんでした。
私にとって病院は、病気を治すためだけの場所ではなく、安心していられる場所でもあったのです。
一方で、小児喘息の発作は、本当に苦しいものでした。
病院の先生からは、
「中学三年生までに治らなければ、大人の喘息へ移行するかもしれない」
と言われていました。
私は、その言葉にドキドキしながら、長い間、喘息と付き合っていました。
当時、家では、
「精神的なものだ」
と言われることもありました。
たしかに、不安や嫌な予感がした時に発作が起きることもあったので、精神的な影響もあったのかもしれません。
けれど、子どもが自分の心を思いどおりに整えることは、簡単ではありません。
軽い発作の時は、呼吸をするたびに、
ヒューヒュー。
そんな音が聞こえてきます。
息はしづらいけれど、歩くことも、話すこともできます。
しかし、発作がひどくなると、肩を大きく上下させながら、一息ごとに体力を奪われていきます。
走っているわけでもないのに、全力疾走した直後のような呼吸の乱れが、いつまでも続くのです。
息を吸いたい。
でも、吸えない。
「し……ぬ」
「く……苦しい」
言葉にしようとしても、それさえ途切れてしまいます。
幼い私は、本気で思っていました。
今日、死ぬのかもしれない、と。
私が育ったのは、九州の静かな場所でした。
辺りには草むらが多く、夏の夜には、虫たちの声が聞こえていました。
けれど、冬の夜には、凛とした静けさがありました。
静かだからこそ、自分の呼吸音だけが、はっきりと聞こえます。
ヒューヒュー。
ゼーゼー。
横になると、さらに息がしづらくなるため、座ったまま眠ろうとします。
けれど、苦しくて眠ることはできません。
喘息だけではなく、アトピーで身体中が痒い。
ガリガリと肌を掻く音と、途切れそうな呼吸音だけが、夜の静かな部屋に響いていました。
そんな私の隣で、母は眠っていました。
苦しくてたまらない私が声を出すと、
「うるさい!」
「眠れないから静かにして!」
そう怒られることもありました。
子どもの頃の私は、
どうして分かってくれないんだろう。
そう思っていました。
けれど今振り返ると、違う景色も見えてきます。
母は、毎日を生きるだけで精一杯だったのだと思います。
家族を支えるために働き、疲れきって帰ってきて、ようやく眠りにつく。
その隣で、私の呼吸は一晩中、ヒューヒュー、ゼーゼーと鳴り続けています。
今思えば、仕事を終えてようやく眠りについた母は、私の呼吸の音で何度も目を覚ましたのかもしれません。
心配する気持ちもあったでしょう。
眠れない苛立ちもあったでしょう。
どうしてやればいいのか分からない苦しさも、あったのかもしれません。
もちろん、だからといって、子どもの私の苦しみが消えるわけではありません。
あの時の私は、本当に苦しかった。

ただ、大人になった今は、子どもの頃には見えなかった母の苦しさも、少しだけ想像できるようになりました。
物事は、一つの方向から見ただけでは、その全てが分からないことがあります。
子どもの私から見れば、母は「苦しさを分かってくれない人」でした。
けれど別の方向から見れば、母もまた、誰にも苦しさを分かってもらえないまま、必死に毎日を生きていたのかもしれません。
病院は、病気になる怖い場所だと思う人もいるでしょう。
けれど、幼い私にとっては、
「痒いよね」
「苦しいよね」
と、分かってもらえる場所でした。
ほんの一言でも、自分の苦しさを分かってもらえるだけで、人の心は少し安心できる。
私はあの病室で、そのことを言葉ではなく、身体で知ったのだと思います。
七月の病室に吹き込んできた、夏草の香り。
看護師さんの、清潔なシャンプーのような香り。
痛くない注射と、
「痒いよね」
という優しい声。
あの二週間が、今でも明るい記憶として残っているのは、病気が治ったからだけではないのでしょう。
そこに、自分を分かってくれる人たちがいたからです。
みなさんにも、子どもの頃、
「この人だけは、自分のことを分かってくれた」
そう思えた人はいましたか。
そして反対に、あの頃は分からなかったけれど、大人になってから初めて見えてきた、誰かの事情はありませんか。

