洋画初心者に向けた洋画スターターセットを自分なりに考える
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YouTube番組「銀幕にポップコーン」で、映画初心者に向けたスターターパックを五本だけ選ぶという企画を見た。
面白い企画で、これは相当難しいぞと思った。
映画好きならば、あるあるネタだと思うのだが、自己紹介の際に「映画が趣味です」と言うと、かなりの確率で「オススメの映画教えて!」という言葉が返ってくる。
脊髄反射的に飛び出す無神経な人の気持ちがわからない質問である。
せめて「最近観た映画で」とか、「ホラー映画で」とか、何か条件をつけてくれれば答えようがある。
相手は字幕を読むのか。ホラーは平気なのか。長尺は無理なのか。暴力描写は苦手なのか。
そういう前提を全部すっ飛ばして、こちらの人生から一本を引き抜かせようとするな。
しかも、自分の本当に好きな映画を言ったところで、たいてい話は広がらない。知らないからだ。無趣味な人間はたいてい会話がつまらない。
ただ、そこで腹を立てて終わっていたら、未来の洋画ファンを一人失うことになる。
洋画初心者に渡すべきなのは、こちらが愛している映画そのものではなく、その人が映画を好きになるための入口だ。
映画史的に重要な作品はたくさんある。
だが、重要であることと、入口として機能することは別である。
まず、映画を観る時間が楽しいと思えることだ。
目的地は同じでも、登り口はいくつもある。富士山を、静岡側から登るのか、山梨側から登るのか。
映画も同じだと思う。
私自身、映画を観る習慣が身についたきっかけは『ダークナイト』だった。
都市の悪夢のような質感を辿るようにして、『時計じかけのオレンジ』やキューブリックへ向かった。最初から古典を勉強したわけではない。
好きになった映画の背後に、別の映画があると知ったから、過去へ進んでいった。
いま自分に届く映画に撃ち抜かれ、そこから過去へ遡っていく。
では、自分なら何を選ぶのか。
そこで、番組に習い五本選ぶなら、五つの違う入口を作りたいと思った。
まず、映画を物語だけでなく、画面で観るための入口が必要だ。
映画には作家がいる。カメラの位置、構図、音、空間、色彩、それらを通して観客の感覚を支配する存在がいる。映画作家というのを知るための入口だ。
次に、いわゆる「洋画」としてのアメリカ映画の入口が必要だ。スピルバーグ、スコセッシ、コッポラの世代。ニューシネマ以後の文法を引き受け、現代のハリウッド映画の基礎を作った監督たちである。洋画を語るなら、この山脈を避けて通ることはできない。
映画は今も更新されている。だから、現代映画への入口も必要だ。いま映画好きが何を新しいと感じ、何に反応し、何を語りたくなるのか。その空気に触れるために、A24作品から一本という入口を置きたい。
映画館で金のかかったゴージャスな大作を浴びる快楽も外せない。映画を観るにあたってちょっとした観光感覚は必要だと思う。
大きなスクリーン、爆音、スター、ロケーション、VFX。現実では行けない場所へ連れていかれる感覚。
それもまた映画の本質だと思う。
そして最後に、洋画の表現が激変した時代の90年代の作品を挙げたい。
映画初心者に渡す五本は、単なる好きな映画五本ではない。
作家性へ進むための一本。
アメリカ映画の王道へ進むための一本。
現代映画へ進むための一本。
大作映画の快楽を知るための一本。
そして、過去の映画へ向かうための一本。
一本目に必要なのは、作家性への入口だ。
映画を観る習慣がない人にとって、映画はまず物語である。話が面白いか、登場人物に感情移入できるか、オチに納得できるか。
それは大事だが、映画の面白さはそこだけではない。
映画の画面の快楽。構図、色彩、音、空間、編集。
物語を理解する前に、画面だけで「これは何かおかしい」と思わされる瞬間がある。
その入口として、キューブリックはやはり強い。
問題は、キューブリックから何を選ぶかである。
普通に考えれば『2001年宇宙の旅』なのかもしれない。キューブリックを語る上で避けて通れない。
ただ、あの映画には、水槽を眺めるような時間がある。
まだ映画を観る身体ができていない人にとっては、その静けさが退屈として届いてしまう危険がある。
『時計じかけのオレンジ』や『フルメタル・ジャケット』も、もちろん傑作だが、映画の強度より先に「嫌なものを見せられた」という感覚が勝ってしまうかもしれない。
そこで『シャイニング』である。
『シャイニング』は、まずホラー映画として観られる。
閉ざされたホテル、狂っていく父親、不気味な双子、血の洪水、迷路、扉の隙間から顔を出すジャック・ニコルソン。難しい理屈を知らなくても、怖い映画として成立している。
画面は徹底的に設計され、左右対称の構図、奥へ伸びる廊下、整いすぎた空間、不穏な音、反復されるイメージ。
キューブリックの画面は、古典でありながら古びていない
。むしろ、現代の「映え」やネットミームの感性とも相性が良い。
作品を観たことがなくても、あの顔、あの廊下、あの双子だけはどこかで見たことがある人も多いはずだ。
映画とは、物語だけではない。画面が怖い、美しい、狂っている。
一本目として、『シャイニング』を置きたい。
二本目には、いわゆる「洋画」としてのアメリカ映画の入口を置きたい。
日本で洋画と言うとき、その中心にあるのはアメリカ映画である。
特にスピルバーグ、スコセッシ、コッポラの世代は避けて通れない。
ニューシネマ以後の文法を引き受け、現代ハリウッド映画の基礎を作った監督たちである。
『ゴッドファーザー』や『グッドフェローズ』を挙げるべきなのかも。
観れば間違いなく面白い。だが、観させるまでが難しい。
マフィア映画、長尺、古典的名作というだけで、映画初心者には少し圧がある。
じゃあスピルバーグか。
『ジョーズ』や『ジュラシック・パーク』の驚きは技術革新と深く結びついていた。
もちろん今観ても面白いが、巨大生物やVFXを浴びるほど見ている現代の若い観客に、当時と同じ衝撃で届くかはわからない。
しかし、『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』では重すぎる。
そこで、この世代のもう一人に行きたい。
スピルバーグでもスコセッシでもコッポラでもない。
名前は知らなくても、イメージを知っている映画がある。
白いスーツ。銃を構える男。成り上がりと破滅。
豪邸、ドラッグ、金、暴力。ヒップホップや『グランド・セフト・オート』のようなゲームにも影響を及ぼした、ギャングスターのイメージ。
ブライアン・デ・パルマの『スカーフェイス』である。
『スカーフェイス』は、単なるギャング映画ではない。
映画がスクリーンの外へ漏れ出し、音楽、ゲーム、ポスター、ファッション、ミームへと拡散していった作品である。
映画は映画館の中だけで完結しない。
別のカルチャーに侵食し、何十年もかけて別の形で生き延びる。
アメリカ映画の王道を、上品な名作としてではなく、欲望のアイコンとして知る入口。それが『スカーフェイス』である。
三本目には、現代映画の入口が必要だ。
過去の名作だけを並べても、初心者向けのスターターセットにはならない。
映画は今も更新されている。今、映画好きが何を新しいと感じ、何に反応し、何を語りたくなるのか。
その空気に触れる一本が必要である。
ここではA24の作品が相応しいと思う。
日本では、監督名よりもスタジオ名が先に届くことが多い。
ジブリ作品、京アニ作品、ピクサー作品。
ならば、A24という名前から洋画に入ることにも、それほど違和感はないはずだ。
A24は、現代の映画ファンにとって一つの感性のブランドである。
不穏で、おしゃれで、少し変で、ポスターが強く、SNSで語りやすい。
しかもアカデミー賞や映画祭とも接続している。現代映画の入口として、これほど便利な名前もない。
ただし、A24から何を選ぶかは慎重に考えたい。
『ヘレディタリー/継承』や『ミッドサマー』はA24らしい。
しかし、ここまで『シャイニング』『スカーフェイス』と来ると、暴力や狂気の方向へ寄りすぎる。
映画には、恐怖や破滅だけではない入口もあるはずだ。
映画には、発見をする喜びがある。
新しい映画、新しい作家、新しい表現。これまで見過ごしていた世界の見方に気づくこと。
映画を好きになるとは、そういう発見を重ねることでもある。
その意味で、A24から選ぶなら『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』を入れたい。
舞台はフロリダの安モーテルであり、中心にいるのはそこで暮らす子どもたちである。大きな事件が起きる映画ではない。
その小さな世界が驚くほど色彩豊かで鮮やかに描かれる。
貧困を描きながら、ただ暗い映画にはならない。
子どもたちは走り回り、アイスを食べ、知らない場所へ入り込み、道端、階段、駐車場、夏の光。
そうしたものが、映画の中で突然輝き始める。
映画には、知らない世界を発見する力がある。
『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』は、その喜びを教えてくれる。
四本目には、大作映画の入口を置きたい。
大きなスクリーン、爆音、スター、現実では行けない場所へ連れていかれる感覚。
少し観光したような気分になる、それもまた映画の本質だと思う。
この枠は、5本のルールを破って2本挙げる。
まずは『007 スカイフォール』である。
ハリウッド大作の王道のアクション映画であり、ゴージャスな作品で、すべてのロケーションが絵画のように立ち上がる。
危険と金と色気が混ざった、映画でしか味わえない旅行である。
宇宙のゴージャスなら『プロジェクト・ヘイル・メアリー』である。
こちらは地球を離れ、非現実そのものへ向かう。存在しない場所を作り、観客をそこへ運ぶ大作映画の力がある。
『007 スカイフォール』は、地球上のゴージャス。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、宇宙のゴージャス。
どちらも方向性は違うが、どちらもゴージャスである。映画には、これだけ金をかけないと見られない景色がある。
五本目には、90年代の映画を置きたい。
90年代は古典というほど遠くはない。
けれど、二十世紀末の終末感、新しい作家たちの登場。
会話が変わり、音楽の使い方が変わり、暴力の描き方が変わり、物語の順番も崩れていく。
少しひねくれたものになっていった時代である。
この時代なら、『パルプ・フィクション』、『ファイト・クラブ』、『アメリカン・ビューティー』、『シックス・センス』。
どれも強い入口になる。
それでも、最後に薦めたいのはポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』である。
初心者に優しい映画ではない。だが、最後の一本なら、これくらい大きな映画があってもいい。
『マグノリア』は、過去が現在に襲いかかってくる映画である。
登場人物たちは、みな過去から逃げられない。いまを生きているようでいて、過去に縛られている。
ポール・トーマス・アンダーソンは、この映画であまりにも大きなものを撮ろうとしている。
物語、撮影テクニック、大スター、編集、ポップミュージック、全部を一本の映画に詰め込もうとしている。
映画には、人生のどうしようもなさを丸ごと受け止めようとする力がある。
最後の入口として、『マグノリア』を置きたい。
これはやはり名作五選ではない。
映画を物語だけでなく画面で観るための『シャイニング』。
映画がカルチャーの外へ漏れ出していくことを知るための『スカーフェイス』。
現代映画に触れ、発見するための『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』。
映画館でゴージャスな非現実を浴びるための『007 スカイフォール』、あるいは『プロジェクト・ヘイル・メアリー』。
そして、過去の映画へ向かうための『マグノリア』。
映画を観るという行為は、すなわち過去の映画を観るということである。
演劇やライブと違い、映画は公開された時点で過去のものとなる。
どうしても遅れて来た者の寂しさがある。
どれだけ楽しもうとしても、それはすでに過ぎ去った祭りの後追いなのだ。
しかし、初めてその映画を観る瞬間、過去の映画は自分の現在となる。
私たちは、暗い部屋で、スクリーンに向かって、過去への眼差しを向ける。
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