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詩と絵/あがべなお『介護の愚詩(ぐち)』

「書く」ことでしか晴らしようのない糢糊とした靄が、心に垂れ籠めていたのではないでしょうか。

あがべなおさんの詩と絵『介護の愚詩(ぐち)』(ながつき社、2007年)では、紙に書きつける言葉に心を寄り添わせつつも、そこからもう一度、引き離すようにして、書き継がれているようです。言葉は紙の上に収まり、書きつける私を宥めてくれるようでありながら、また紙を離れ、螢のあかりのように明滅し、揺れ散ってゆく。この詩集には「生身の心」が紙にうつされては、紙から剝離し、自分の胸に散り散りに戻ってきては、また離れて靄のように垂れ籠めてゆく、そんな言葉と私の関係の往還の揺らぎが描かれているようです。

言葉への違和(うまく書き表せない、どうしても書き尽くせない)と自身への違和(なぜ私はこうなんだろう)——繰り返される“反省”が、「書く」ということを繋いでゆく……。そもそも「書く」とは、そのような言葉への私の寄り添いと乖離の揺らぎを繰り返し折り重ねてゆくことにほかならないのかもしれません。

あがべさんのこの詩集の全26篇は、noteで閲覧でき、私も含め、高齢の親と暮らす人たちにとっての、慰めや励ましになってくれるのではないでしょうか。「おわりに」と題された後書きの文章も素晴らしいです(公開されていませんが……)。

詩だけではなく、表紙カバーと扉、詩の一篇あるいは数篇ごとの後ろに添えられたご自身の絵には、それらの詩を書かれたときの、あがべさんの表情があらわされているようです。


『介護の愚詩(ぐち)』(2007年1月発行)表紙カバー
この詩集は、あがべさんご自身がISBNを取得され、
「ながつき社」という個人出版社名で出版されています。

ここに一篇の詩と絵を、うつしておきます。


「わからない」p.60-61


「わからない」p.62-63

わからない

愚詩を読み返して思った
自分の気持ちばっか
母はどんな風に感じているのだろう
いつもの見慣れた顔の女が
「わたしは だーれ」なんて・・

えーと、え、えーと
「お、おかあさん」かな
それより お、お腹空いたよ
なーんて思っているのかな

あるいは
わけのわからない不安の
暗い森の中
いきなり現れた女が
「わたしは だーれ」と聞くので
おびえているのかな

わからない
わからない

わかる時が
私にも訪れるのか
母はこんな風に思っていたのかと
わかった時には
ゴメンネったってどうにもならないし
わかった時には
もう人に伝えることが出来ない
のではないかと・・・

わからない
わからない


あがべさんには、60歳の頃、お仲間とともに東海道五十三次の“今”を、実際に歩きつつ綴られた『東海道五十三次 おみな ゆくべし』という詩集(響文社、2022年1月28日 初版第一刷、造本・装幀:稲川方人)もあり、これもnoteで公開されています。あがべさんは現在、横浜詩人会に所属されているようです。




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