ソニーが「車」を作る真意:移動時間をエンタメの「特等席」に変える、2030年の勝負筋――「摩擦」が消えた空間で、私たちはどこへ運ばれるのか
【連載】境界線を溶かす巨人たち:ドメイン再定義が奪い去る「摩擦」と「余白」のゆくえ【第1回】
■「ソニーの車」に覚える違和感
AFEELAのドアを開けた瞬間、私はある「不在」に気づく。
そこには、かつての「新車の匂い」がしないのだ。
革の脂や機械油が混じり合った、あのどこか野性的で、これから道なき道を切り拓くのだという高揚感。そんな「体温」の代わりに漂うのは、最新のハイエンド・ガジェットを開封したときのような、無機質で、過剰に清潔な電子部品の予感だ。ステアリングを握り、エンジンの震えを待つという身体的な儀式よりも、目の前の巨大なスクリーンに触れ、システムを起動したいという欲求が勝る。
この、背筋が少し寒くなるような「違和感」こそが、ソニーが仕掛けた再定義の正体である。
かつて、これほどまでに「正体」の掴みどころがない自動車があっただろうか。
ソニー・ホンダモビリティが提示するAFEELA。そこには、加速性能や燃費、あるいはハンドリングの妙といった、我々が「車」という存在に求めてきた伝統的な評価軸が、驚くほど欠落している。代わりに語られるのは、45個のセンサー、圧倒的な計算能力、そして車内を覆い尽くすディスプレイ。
ソニーの狙いは、もはや「自動車」というプロダクトの覇権ではない。
彼らが真に渇望しているのは、自動運転が普及した未来に生まれる、人類に残された最後の未開拓地――「移動」という名の可処分時間の完全な支配である。
■「感動」という名の、優雅な侵略
ソニーの戦略資料を読み解くと、「クリエイティビティのインフラ」という、一見耳当たりの良い言葉が躍る。映画、音楽、ゲーム。それらを貫く「Kando(感動)」というキーワードは、ソニーという多国籍企業のバラバラなピースを繋ぐ魔法の杖だ。
だが、マーケターとしての視点を少し冷徹に研ぎ澄ませば、別の景色が見えてくる。
ソニーは自社を「感動の供給源」と定義することで、私たちの生活のあらゆる「隙間」を埋め尽くそうとしているのだ。
これまでの自動車メーカーにとって、車は「目的地へ運ぶ道具」だった。そこには、渋滞の退屈や、運転の疲労といった「負の摩擦」が厳然として存在していた。しかし、ソニーにとっての車は、それら全ての摩擦を排除し、自社のIP(知的財産)を流し込むための「没入型の箱」に過ぎない。
彼らがやろうとしているのは、新市場の開拓などという生易しいものではない。リビングルームをテレビで抑え、外出先をスマートフォンで抑え、そして最後に残った「移動空間」という聖域を奪いにいく。これは、ソニーというエコシステムによる、私たちの生活時間への「優雅な侵略」である。
■合理性が切り捨てた「不器用な情熱」
今回のソニーとホンダの提携を、世のコンサルタントたちは「水平分業の理想形」と称賛する。
製造と安全はホンダが担い、ソフトウェアと体験はソニーが担う。投資リスクを抑え、互いのコアコンピタンスを掛け合わせる。確かに、経営判断としてはこれ以上ない「正解」だ。
しかし、かつてのソニーを知るファン――私もその一人だ――として、拭いきれない寂しさが残るのも事実である。
かつてのソニーは、もっと不器用で、もっと狂気じみていたはずだ。ボルト一本、ネジ一個の設計にまでこだわり、他社との互換性など無視して「自分たちの信じる最高」を押し付けてくる。そんな、合理性では説明のつかない「作り手の体温」が、プロダクトに宿っていた。
今のAFEELAには、その体温が感じられない。
戦略という冷徹なフィルターで濾過され、市場のニーズと技術の最適解を繋ぎ合わせた結果、そこにあるのは「極めて正しい、しかし誰の指紋も付いていない」プロダクトだ。この「正解すぎる構造」こそが、今のソニーの強さであり、同時に私たちが失いつつある「手触り感」の喪失を象徴している。
■摩擦のない世界が奪うもの
AFEELAの車内では、センシング技術が私たちの表情や脈拍を読み取り、その時の気分に最適なエンターテインメントを先回りして提供する。イライラしていれば落ち着く曲を、退屈していれば刺激的な映像を。
ここで、私たちは「リカーリングモデル」という言葉の裏側に潜む本質を直視すべきだ。
車を売った後も、ゲームや映画、機能のアップデートで課金を続ける。ビジネスとしては極めて優秀なストック型モデルだ。しかし、それは同時に、私たちの「感情」までもがプラットフォームの一部として組み込まれることを意味しないか。
摩擦は、本来「ノイズ」である。だが、人生の豊かさは、そのノイズの中にこそ宿っていたのではないか。
自動運転がもたらす「自由な時間」を、ソニーが用意した至高のコンテンツで埋め尽くす。そこには、退屈する自由も、窓の外の何気ない景色に目を奪われる余白も、残されていない。
すべてが最適化され、不快な摩擦が排除された空間。
それは、私たちが求めていた「未来」なのか。それとも、ソニーという巨大なゆりかごの中で、感情を飼い慣らされる「心地よい檻」なのか。
■結び:私たちは、どこへ運ばれるのか
ソニーのモビリティ戦略は、既存の「箱」を壊し、中身を再定義する越境の極致だ。
ビジネスパーソンとして学ぶべきは、自社の強みを「製品」ではなく「体験の仕組み」として抽象化する、その圧倒的な構想力だろう。
だが、このコラムを書き終えようとする今、私の胸に残っているのは、戦略への称賛ではない。
2030年、すべてが自動化された車内で、ソニーが提供する「完璧な感動」に身を委ねながら、ふと「新車の匂い」や「ハンドルの重み」を懐かしむ自分自身の姿だ。
あなたのビジネスは、顧客の「摩擦」を消し去ることで価値を生んでいるかもしれない。
しかし、その先に残るのが、誰にも選ばれなかった「空っぽの自由」ではないと言い切れるだろうか。
ソニーという巨人が提示したAFEELAという問い。
それは、合理性が極まった先にある「正解だらけの世界」で、私たちはどうやって自分自身の「生の手触り」を守り抜くのかという、極めて重い挑戦状のように思えてならない。

【根拠情報】
・ソニーグループ:2024年度 経営方針説明会資料(プレスリリース) https://www.sony.com/ja/SonyInfo/IR/library/presen/strategy/pdf/2024/press_J.pdf
・メディア報道(ガジェット通信):ソニーのモビリティ戦略とAFEELAの深掘り記事 https://getnews.jp/archives/3482052/gate
【マーケティングコラム第149回】
#ビジネス #マーケティングコラム #金森マーケティング事務所 #ソニー #ホンダ #経営戦略 #未来予測 #プラットフォーム #DX
■マーケティングコラムのマガジンはこちら
自己紹介
noteお仕事依頼・お問い合わせフオーム
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます!
これからも頑張ります。