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悪役令嬢転生MBA~趣味は事業再生、特技は市場分析ですの~18

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18・幕間:午前二時の亡霊


 午前二時。
 世界から音が消える、最も深く、冷たい時間。
 私は、執務机の上に積み上げられた書類の山を、もう一度だけ確認した。  食材のロット管理表、スタッフの配置図、緊急時の避難経路、そして、万が一の事態に備えた法的対抗措置の草案。
 完璧だ。どこにも隙はない。  明日の収穫祭、クラウディアがどんな手を使ってこようとも、この防壁(ディフェンス)を破ることはできない。論理的に、確率的に、私の勝利は確定している。

「……ふぅ」
 小さく息を吐き、ペンを置く。
 カタリ、と乾いた音が、静寂に包まれた部屋に過剰に響いた。

 その音が、スイッチだった。
 張り詰めていた糸が緩んだ瞬間、背後の闇から、ぬらりとした「何か」が這い寄ってくる気配を感じた。

(――ああ、まただ)
 視界が、ぐらりと歪む。
 豪華なリヒトハーフェン邸の執務室の風景が、ノイズ混じりの映像のように明滅し、別の風景と二重写しになる。
 無機質な白い天井。
 鼻を突く消毒液の臭い。
 そして、耳元で怒鳴り続ける、男の声。

『お前なんて、代わりはいくらでもいるんだよ』
『またミスか? 給料泥棒が』
『数字も読めないのか、無能』

 かつての上司の怒声が、鼓膜を直接殴りつけてくる。
 胃の奥から、強烈な酸っぱいものが込み上げてくる。私は口元を押さえ、洗面台へとよろめいた。  吐くものなどない。夕食など喉を通らなかったからだ。  それでも、身体は何かを拒絶するように、痙攣を繰り返す。

「……ぅ、っ……はぁ、はぁ……」
 鏡の中の自分を見る。
 そこに映っているのは、自信に満ちた「海鮮男爵」ではない。
 顔面蒼白で、脂汗を浮かべ、瞳孔が開いた、怯える小動物のような少女だ。

(怖い)

 思考の防波堤が決壊し、黒い感情が雪崩れ込んでくる。
 もし、明日失敗したら?
 もし、私の読みが外れて、また全てを失ったら?
 あの時と同じように。誰にも認められず、誰にも愛されず、ゴミのように捨てられて終わるのか?

(私は、本当に償えているの?)
 脳裏に、アルフレッドの顔が浮かぶ。
 私が無実の罪を着せ、人生を狂わせた少年。
 今、私は領地を豊かにし、多くの人を救っているつもりでいる。けれど、それは本当に「善意」なのか?
 ただ、自分が生き残るために、MBAという武器を使って、綺麗事を並べているだけではないのか?
 私の本質は、結局、あの頃の――自分の保身のために他人を蹴落とした、醜い悪役令嬢のままなのではないか?

「……いや……いやぁ……」
 震えが止まらない。
 指先が氷のように冷たい。
 心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。過呼吸の発作だ。
 誰もいない。
 レオンハルトも、セバスチャンも、イザベラ様もいない。
 この闇の中で、私はたった一人だ。

『ほら見ろ、お前はいつだって一人だ』
 長谷川梓の亡霊が、鏡の向こうで嘲笑う。
 逃げ出したい。
 布団を被って、耳を塞いで、朝が来なければいいと願っていた、あの独身アパートの夜のように。

 ――ガツン!
 鈍い痛みが走り、私は我に返った。
 無意識のうちに、自分の額を、鏡に叩きつけていたのだ。
 冷たいガラスの感触。じんじんと熱を持つ額の痛み。
 それが、私を現実に引き戻した。

「……私は」
 私は、洗面台の蛇口を捻り、氷のように冷たい水を顔に叩きつけた。
 一度。二度。三度。
 化粧が落ち、素顔が露わになる。
 濡れた顔を上げ、もう一度、鏡を睨みつける。
 まだ、震えている。
 顔色は死人のようだ。
 けれど、瞳の奥の光だけは、消えていない。

「私は、エリザベート・フォン・リヒトハーフェン」
 呪文のように、自分の名を呟く。
 長谷川梓ではない。負け犬ではない。
 数千の領民の命を背負い、国を相手に喧嘩を売ろうとしている、誇り高き悪役令嬢だ。

「……恐怖(リスク)は、制御(コントロール)できる」
 震える手で、タオルを握りしめ、顔を拭う。
 そして、鏡に向かって、口角を無理やり持ち上げた。
 引きつった、不格好な笑み。
 それでも、泣き顔よりはマシだ。
「さあ、笑いなさい、エリザベート。明日は、あなたが主役の舞台なのだから」

 私は、仮面を被り直す。
 鋼鉄の理屈と、虚勢で塗り固めた、最強の仮面を。

 午前三時。
 亡霊は、鏡の奥へと消えた。
 私は執務机に戻り、再びペンを執った。
 夜明けまで、あと三時間。
 戦いの準備は、まだ終わっていない。

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金森努@マーケティング・研修講師/コンサルタント ありがとうございます! これからも頑張ります。