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『星は決して墜ちぬ』

星は堕ちぬ、魂は屈せず。古代、誇りを懸けた民の抵抗叙事詩

神々がまだ人と交わりし古墳時代。
朝廷の圧倒的な力に「まつろわぬ民」とされた星の民がいた。
日本書紀に悪神と記された首長・天香香背男と豪族・両面宿儺。
彼らは本当に逆賊だったのか?
星神信仰と神剣を拠り所に、愛する民と誇りを守るため、若き首長・香香背男は絶望的な戦いへと身を投じる。
歴史の闇に葬られた、魂が震える壮大な物語。


序章:星影、凶兆を孕みて


 尾張の山々は、夜のしじまに墨絵よりも深く沈んでいた。幾重にも連なる稜線が、星明かりすら拒むように折り重なる。風が止むと、常闇にも似た静寂が谷底に満ち、時折、木々を揺らす夜風の音だけが、乾いた葉を擦り合わせ、獣の忍び寄る気配のように闇に響いては消える。雲の切れ間から覗く月光は、研ぎ澄まされた刃のように冷たく、湿った岩肌や苔を鈍く照らし出していた。人の世の理など届かぬ、神々の息遣いだけが潜む場所。
 その山懐に、古くから「岩室(いわむろ)」と呼ばれる洞(ほら)がある。苔むした巨岩が天然の門をなし、その奥は冥府へと続くかのように昏い。ここは、この地に生きる「星の民」が、天上の星神と交感し、祭祀を執り行ってきた聖域。大和の威光など、この峻険な山々を越えては届かない。
 洞の入り口に立つ一対の石灯篭は、痩せた炎を心許なく揺らすのみ。その微かな光を頼りに足を踏み入れれば、夏であっても肌を刺す冷気と、濃密な湿気がまとわりつく。洞内に滴り落ちる水滴の音が、黄泉路へと誘う拍子のように、やけに大きく反響する。土と苔の匂い。そして、微かに漂う獣脂の焦げる香りが、ここが現し世と隔絶された神域であることを五感に刻み込む。
 「……やはり。今宵の星々は、ひどく騒がしい」
 張り詰めた静寂を破ったのは、水面下で震えるような緊迫感を帯びた、しかし凛とした女の声だった。星見(ホシミ)――星の運行を読み解き、神託を降ろす巫女。この星の民の行く末をその双肩に負う、まだ若い女性である。清浄な白麻の衣を纏い、洞窟の中央、濡れた岩盤の上に彼女は端座していた。衣の裾は湿り、岩から伝わる冷気が容赦なく体温を奪う。   
 だが、その背筋は、見えぬ天を支えるかのように、真っ直ぐに伸びていた。
 洞窟の天井には、星の民が代々描き継いできたであろう、複雑怪奇な星図が広がっている。無数の星を示す箇所には古びた鉄の釘が打ち込まれ、黒ずんだ麻糸が幾筋も垂れ下がり、星見の座す場所まで手繰り寄せられていた。 「星の釘」。天と地を結ぶ、か細くも確かな絆。古き民は、この糸を通して、万物の理、人の世の行く末を星々に問い、その厳かなる答えに耳を澄ませてきた。
 「あらたな影が…いえ、もはや影などという生温いものではありませぬ。黒々とした、巨大な顎(あぎと)を持つ波濤が…すぐそこまで。大和(やまと)が動くのは、避けられぬ定めなのでしょうか」
 星見は伏せた瞼の下で、星々の放つ激しい不協和音に耐えていた。それは遠いざわめきではない。耳元で鳴り響く警鐘。肌を粟立たせる明確な凶兆。彼女は細く息を吐き、祈りという名の舟に意識を乗せ、荒れ狂う星々の声の奔流へと、さらに深く漕ぎ出そうとする。
 微かな風が洞内を吹き抜け、まるで溜息のように麻糸をふるふると震わせた。石灯篭の火影が大きく揺らめき、岩壁の星図が、不吉な生命を得たかのように蠢いて見える。
 その時、洞の入り口から、湿った地面を踏みしめる重い足音が近づいてきた。躊躇いのない、まっすぐな歩み。星見はゆっくりと瞼を開き、音のした方へ静かに顔を向けた。外の冷気を纏い、洞の闇を背負うように立つ人影。
 「星見。こんな刻限まで、やはりここにいたか」
 低く、落ち着いた声。だが、その響きの奥底には、鋼を打ち延ばすような硬質な覚悟と、それを裏打ちする深い憂いが滲んでいた。天香香背男(アメノカガセオ)――星の民を率いる若き首長。肩にかかる濡れた黒髪。わずかに寄せられた眉根。年若く精悍な顔には、本来あるべきはずの屈託のない輝きはなく、代々この地を守ってきた者の末裔としての、そして多くのものを失った者としての、苦悩の影が深い。降り出した霧雨の中、夜警に出ていたのだろう。彼の纏う粗末な鹿皮の衣からは、湿った土と、微かな鉄のような血の匂いがした。
 「カガセオ様…。申し訳ありません。星々の乱れが、どうしても気にかかり…」
 星見の言葉に、カガセオは静かに頷き、手にした松明を岩壁の窪みに立てかけた。揺れる炎が、星見の白い横顔を照らす。その表情に浮かぶ深い憂慮の色を見て、カガセオは己の胸の奥、古い傷が疼くのを感じた。この若き巫女もまた、自分と同じく、逃れられぬ宿命の重荷を背負っている。
 「昼日中から、里の見張りが妙に落ち着かぬ様子だった。西の尾根筋で、獣ではない、人の動く気配があったと。数は知れぬが、ただの迷い人ではあるまい。星見、そなたには何が見える? 何が聞こえる?」
 問いかける声には、抑えた怒りと、切迫した焦りが隠せない。星見は再び瞼を伏せ、まるで重い石を吐き出すように答えた。
 「はい…。恐ろしいほど、鮮明に。星々は警告しております。再び、大和の濁流が、この谷を呑み込もうとしている、と。それは…かつての、あの夜を…繰り返すほどの…」
 声がかすれ、言葉が途切れる。洞内に、ぽたり、ぽたりと、水滴が落ちる音だけが際立って響いた。それは、忘れたくとも忘れられぬ記憶の扉を、執拗に叩く音にも似ていた。数年前の、あの夜。大和の圧倒的な軍勢。燃え盛る炎、血の匂い、絶え間ない絶叫。父が、母が、そしてまだ花のように幼かった妹が、目の前で…獣のように殺されていった、あの血塗られた夜の記憶。
 「父上…母上……ユキ…」
 カガセオは無意識のうちに、亡き家族の名を唇に乗せた。腰に帯びた一振りの古びた剣――父の形見であり、星の民の魂とも言われる十握(とつか)の剣(つるぎ)の柄を、指の関節が白くなるほど強く握りしめる。星々の神威を宿すと伝えられるこの剣。だが、今の自分には、その真の力を十全に引き出す術も、資格もないように思われた。(もし、あの夜、この剣が…いや、もし自分が、もっと強かったなら――)詮無い後悔の毒が、今もなおカガセオの心を蝕む。
 星見は静かに立ち上がり、膝についた土を丁寧に払った。そして、そっと右手を伸ばし、カガセオの硬く握りしめられた拳に触れた。その指先から伝わる微かな震えが、彼の内なる激情を物語っていた。
 「カガセオ様…。星々は、たしかに危機を告げています。しかし、それは終わりを告げているのではございません。星の光は、どれほど厚い雲に覆われようとも、決してその輝きを失いはしないはず。我らは星神の子。闇が深ければ深いほど、星は強く輝き、必ずや、我らが進むべき道を照らし出してくださると、私は信じております」
 巫女としての強い信念を込めた言葉。カガセオは苦い笑みを浮かべながらも、張り詰めていた肩の力が、わずかに抜けるのを感じた。「……ありがとう、星見。そなたの言葉が、今は何よりの…重しだ。だが…もし、万が一にも、再びあの夜のようなことが起これば、俺は……今度こそ…」
 声が詰まる。首長として、この里を、民を守り抜かねばならない。その重圧は、山々そのものがのしかかるかのようだ。
 星見は、カガセオの瞳の奥に揺らめく深い絶望の淵を覗き込みながらも、静かに、しかし岩をも穿つような強い意志を込めて囁いた。「今度こそ、誰も失わせはしませぬ。私も、この身に宿る力の限りを尽くし、星の声を聞き届け、未来を読み解いてみせます。ですから…どうか、カガセオ様だけが、その重荷の全てを背負い込まないでくださいませ」
そ の時、洞窟の外から、切羽詰まった男の声が夜気を切り裂いて響いた。 「カガセオ様! 荒狭(アラサ)様が、夜明かし台でお待ちです! 急ぎの報せが!」
 運命の歯車は、静かに、しかし確実に回り始めている。カガセオは星見に力強く頷き返し、松明を手に取ると、迷いなく洞の出口へと足を向けた。星見も、白い衣の裾を翻し、小走りについていく。
 外へ出ると、肌を刺すような冷気が二人を迎えた。見上げれば、いつの間にか雲は切れ、数えきれぬほどの星々が、凍てつくような、しかしどこまでも澄み切った光を放って、漆黒の天蓋に鏤められていた。だが、その荘厳なまでの美しさが、今はなぜか、ひどく張り詰めた、切迫した響きを帯びて感じられる。戦の気配が、星々の輝きをも歪め、地上に不吉な影を落としているのだろうか。
 カガセオは心の奥で、父の最後の言葉を反芻する。『星は決して堕ちぬ。我らが、我らの魂が、それを信じ続ける限りは』――。だが、その信念を証明するために、我々はこれから、どれほどの痛みと喪失に耐えねばならぬというのか。
 星見は、前を見据え、闇へと踏み出すカガセオの背中を見つめながら、改めて強く祈る。(どうか、この里の民が、再び血の海に沈む未来が訪れませんように――)その言葉にならぬ切なる願いを胸に秘め、二人は夜の闇へと駆け出していった。
 物語は、この星影揺らめく岩室から始まる。外には、深く険しい山々が屏風のように連なり、その向こうには、まだ形を見せぬ大和朝廷の軍勢が、静かに、しかし確実に、その牙を研ぎ澄ましている気配があった。夜風が、ひときわ強く吹き抜ける。それは、近づく嵐の前の静けさを破るように、二人の衣を激しく揺らした。彼らの行く手に待つ運命は、まだ誰にも見通せない。ただ、天上に輝く無数の星々だけが、そのすべてを知っているかのように、冷たく、厳しく、そしてどこか憐れむような光を、地上に投げかけ続けていた。

第一章:血の記憶、揺らぐ心


 岩室から戻ったカガセオが、息を切らせて「夜明かし台」と呼ばれる見張り台への石段を駆け上がると、夜明け前の生ぬるい風が汗ばんだ額を撫でた。空には鉛色の雲が低く垂れ込め、星々の気配さえ感じられない。不吉な夜だ、とカガセオは舌打ちした。石段の途中、焚き火の燃えさしが赤い熾火となって明滅し、頼りない光を投げかけている。
 「……遅かったな、カガセオ。星見殿と一緒だったか」
 台上で腕組みをし、闇に溶け込むように佇んでいた男が、振り向きざまに低い声で言った。荒狭(アラサ)。大柄な体躯には、古傷が獣の爪痕のように無数に刻まれ、背に負う大剣は、抜き身でなくとも荒々しい気を放っている。カガセオが最も頼る戦士であり、同時に、その煮えたぎるような激情を持て余すこともある、里一番の猛者だ。声には、いつもの焦燥に加えて、抑えきれぬ苛立ちが火花のように散っていた。
 「ああ。星見が星々の乱れを気に病んでな。岩室に籠っていた。…それより、何かあったのか? 伝令の者の顔色がなかったぞ」 カガセオは荒い息を整えながら問いかける。荒狭は石造りの手すりに片肘をつき、眼下に広がる里の、闇に沈む家々を睨みつけた。その闇の奥から、微かに病人の咳や、空腹を訴える赤子の夜泣きが聞こえてくる気がした。
 「……はっきりとした敵影が見えたわけじゃねえ。だがな、昨夜、西の尾根を見張っていた若い衆が、妙な物音を聞いたそうだ。一度や二度じゃねえ。獣とは違う、複数の何かが動く気配…。すぐに消えたというが、間違いなく人の動きだ」
 「人の動き…か。こんな夜更けに、わざわざ」カガセオは眉根を寄せ、思考を巡らせた。「大和の斥候と見るべきか。あるいは…」
 「あるいは、寝返った近隣の犬どもが、手引きをしてるのかもしれん!」荒狭は、吐き捨てるように言った。その声には、骨の髄まで染み込んだような憎悪が滲む。「奴ら、こっちの様子を探りに、夜陰に乗じて嗅ぎ回ってるに違いねえ! 里に入る荷も、この十日で半分以下だ。塩はもうほとんど底をついた! 干し肉も作れん! このままじゃ、戦う前に飢え死にだぞ、カガセオ!」
 荒狭の言葉は、苦い現実を容赦なく突きつける。見下ろす里は深い闇に沈んでいるが、その中には、飢えと不安に喘ぐ民の息遣いが満ちている。眠れぬ夜を過ごす者、病に伏せる者、そして、いつ来るとも知れぬ襲撃に怯えながら、錆びた槍を握りしめる者――。このか弱く、しかし懸命に生きる灯を守ること。それが、父から受け継いだ首長としての己の務め。そう言い聞かせるたびに、あの血塗られた夜の記憶が、鋭い爪で胸の奥を掻きむしる。
 数年前の、大侵攻の夜。 それは、まだカガセオの父が、誇り高く里を率いていた頃。星の民は大和の支配を拒んでいた。だが、ある晩、油断と――そして、一つの偽情報が、破滅を招いた。 『東の谷に、朝廷の別動隊が集結』――その報を信じた荒狭は、手勢を率いて東へ急行した。だが、それは罠だった。主力を引き剥がされた里の守りは脆く、西の山陰から大和の本隊が怒涛の如く押し寄せたのだ。敵の先頭には、名の知れぬ将軍と、巨大な剣を携えた異形の武神の影があったと、生き残った者は語る。
 (燃え盛る屋敷の中、血の海に倒れた父の姿。最後の力を振り絞り、震える手で十握の剣を差し出し、「民を…頼む…」と掠れた声で言い残し…。なすすべもなく敵兵の刃に散った、母と、まだ名を呼ぶことしかできなかった幼い妹ユキの、最後の表情…)
 「……守れなかった…。俺が、愚かだったばかりに…!」
 荒狭が、まるで傷口を舐める獣のように、低い呻き声を漏らした。彼の頬を走る古い刀傷が、苦悶に歪む。あの戦で、彼は腕利きの戦士であると同時に、夫であり、父であった。だが、愛する妻と、まだ歩き始めたばかりの息子は、彼の目の届かぬ場所で、無惨に殺されたのだ。自責の念と、朝廷への憎悪が、彼という人間を形作っていた。
 「荒狭…。もう、自分を責めるな。あれは…誰のせいでもない。強いて言うなら、大和の力を見誤り、油断した我ら星の民、全ての…」
 カガセオは言いかけて、言葉を呑んだ。そんな言葉が、荒狭の癒えることのない傷に、何の慰めにもならないことを知っていたからだ。夜明け前の冷たい風が、言葉を失った二人の間を吹き抜けていく。
 ふと、下の広場の方がざわついているのに気づいた。朝餉の配給の時間だろう。だが、聞こえてくるのは、いつにも増して切羽詰まった、怒声とめそめそとした泣き声が混じったような音だった。
 「……様子がおかしい。行ってみよう」カガセオが促すと、荒狭も無言で頷き、二人は重い足取りで石段を降り始めた。
 広場には、すでに人だかりができていた。中央の配給台には、見るからに乏しい量の粟と、色褪せた干し菜が置かれているだけだ。人々は、痩せこけた頬をこわばらせ、その僅かな食料に飢えた獣のように手を伸ばし、怒りと絶望の声を上げていた。
 「これだけか! 骨と皮ばかりの子供に何を食べろって言うんだ!」 「黙れ! お前のところばかりじゃない! 病の親父が熱を出してるんだ! 少しでいい、分けてくれ!」 「ああ…星の神様も、もう俺たちを見捨てなさったのか…」
 嘆きと呪詛の声が渦巻く中、腕に古い火傷の痕を持つ、かつては屈強だったであろう男が、やけくそになったように叫んだ。 「こうなったら、大和に降るしかねえ! 誇りだのなんだの、そんなもんで腹は膨れんのだ!」
 その言葉は、乾いた薪に火を投げ込んだ。「何を言い出すか!」「裏切り者!」「お前とて、家族を殺されただろうが!」非難の声が男に集中し、掴みかかろうとする者まで現れる。一触即発の、危険な空気。
 その時だった。 「――騒ぐな!! 見苦しいわ!」
 荒狭の怒声が、雷鳴のように広場に轟いた。彼は、配給台を蹴り飛ばさんばかりの勢いで人垣を押し分けると、降伏を口にした男の胸ぐらを掴み上げた。 「貴様ら、それでも星の民か! 飢えがなんだ、死ぬのが怖いか! 誇りを捨てるくらいなら、俺は…!」 彼の目は怒りに燃え、振り上げた拳はわなわなと震えている。だが、その拳が振り下ろされる寸前、彼はぐっと唇を噛み締め、男を突き放した。その瞳の奥には、怒りと同じくらい深い、どうしようもない悲しみと無力感が揺らめいていた。民を叱咤しながらも、彼らを救う術を持たない己への憤り。
 その張り詰めた空気を断ち切るように、静かな、しかし芯のある声が響いた。 「…落ち着きなさい、荒狭」
 カガセオだった。彼はゆっくりと輪の中心へ進み出た。その登場に、騒いでいた人々も思わず口をつぐみ、視線を集める。彼の若々しい顔には、夜を徹しての苦悩と疲労が色濃く浮かんでいたが、その瞳には、未だ首長としての威厳が宿っていた。
 「皆の苦しみは、痛いほど分かる」カガセオは、集まった一人一人の、疲れ果て、希望を失いかけた顔を見渡し、静かに語り始めた。「食料は乏しく、明日の見通しも立たない。不安に苛まれるのも無理はない。…だが」 彼は、わずかに声を強めた。 「希望まで捨ててはならぬ。我らは、まだ生きている。この里には、まだ星神の加護がある。そして、飛騨には、共に戦うと誓ってくれた宿儺(スクナ)殿がいる。道は閉ざされたように見えるかもしれぬ。だが、必ず、必ず道はある。私が、このカガセオが、必ず見つけ出す。だから…どうか、もう少しだけ、耐えてほしい。信じてほしい」
 彼は、深く、深く頭を垂れた。その真摯な姿に、人々は言葉を失った。すすり泣く声が、あちこちから聞こえ始める。それでも、広場を満たす重苦しい絶望感が、完全に消え去ることはなかった。
 カガセオは顔を上げ、民の視線を一身に受け止めた。その若き肩にのしかかる、里全体の運命の重さ。彼は無意識のうちに、腰に帯びた古びた剣の柄 ――父の最後の温もりと、星々の力が宿るとされる、しかし同時に己の身を蝕む諸刃の力を持つ、その剣に、そっと手を触れた。
 (守らねばならぬ…何としても。父が、母が、ユキが、そして荒狭の家族が流した血を、宿儺殿の信頼を、決して無駄にはしない。この誇りを、民の命を、この剣に懸けてでも、俺が…!)
 その決意を胸に秘め、カガセオは再び民衆へと向き直った。彼の瞳には、深い苦悩と、それを乗り越えようとする鋼のような覚悟が、ない交ぜになって宿っていた。夜明け前の、星も見えぬ鉛色の空の下、その若い首長の姿は、これから始まるであろう過酷な運命に、たった一人で立ち向かおうとしているかのようだった。

第二章:飛騨より吹く風


 夜明け前の冷気が肌を刺す。星の里を囲む木々の梢が、ようやく白み始めた東の空を背景に、墨で描いた細い枝を震わせていた。重い木戸が軋みながら開き、輝夜(カグヤ)は、供とする五人の若者と共に、まだ明けきらぬ闇へと足を踏み出した。背後で再び木戸が閉まる鈍い音が響き、故郷と隔てられたことを実感する。風にはもう冬の気配が混じり始めていた。
 「…では、行ってまいります」
 振り返ると、門の内側に、大岩のように仁王立ちする荒狭の姿があった。彼も同行すると言って聞かなかったが、カガセオの厳命で留守居役となったのだ。その無骨な顔には、不満よりも深い心配の色が浮かんでいる。
「ああ…。飛騨までの道は蛇のように険しい。両面宿儺(リョウメンスクナ)とかいう男も、一筋縄ではいかん相手だ。…お前のような小娘に務まるか分からんが…」荒狭は言葉を濁し、吐き捨てるように続けた。「…くれぐれも、命を粗末にするな。いいか、絶対にだ」
 ぶっきらぼうな物言いは変わらないが、その声の奥に滲む、柄にもない気遣いに、輝夜は小さく息をついた。この男も、失う痛みを知りすぎている。
「ご心配なく。私も星の民の戦士のはしくれ。それに、宿儺殿には、かつて父上やカガセオ様がお救いした恩義があるはず。無下にはされますまい」輝夜は努めて明るい声で言った。「…荒狭様こそ、里を…姉上たちのことを、頼みます」
 姉、星見の名を口にすると、胸の奥がきゅっと締め付けられる。巫女として里の運命を一身に背負う姉。自分にできることは、この足で道を切り開き、希望を持ち帰ることだけだ。
 輝夜は踵を返し、荒狭の重い視線から逃れるように、軽い足取りで西へと向かった。供をするのは、彼女が手ずから育て上げた「輝夜衆」の若者たち。山野を駆けることに長け、獣のように気配を消す術を心得ている。一行は、朝靄の立ち込めるブナの原生林の中を、音もなく進んでいく。湿った腐葉土が足音を吸い込み、冷たい空気が肺を満たす。時折、鳥の声だけが、張り詰めた静寂を破った。
 (この尾根を越え、あの涸れ沢を下れば、飛騨へ抜ける獣道があるはず…)
 幼い頃から何度も歩いた道だ。だが、今は空気が違う。風の音、木々のざわめき、遠くで響く獣の声。その全てに神経を尖らせながら、輝夜は慎重に先頭を進む。道は次第に険しくなり、苔むした岩が剥き出しになった急峻な登りが続く。吐く息が白い。
 昼近く、一行が霧の立ち込める峠に差し掛かった時だった。先を行っていた部下の一人、最も耳の良い若者が、鋭く息を呑み、身振りで輝夜に合図を送った。
 「輝夜様…! 前方の崖下、霧の中に…十数名。息を潜めています。武具の擦れる微かな音が…」
 輝夜は即座に身を屈め、岩陰から崖下を凝視した。霧が薄く流れ、一瞬、谷底の様子が見えた。黒っぽい鎧を纏った男たちが、木の根方や岩陰に身を隠し、じっとこちらを窺っている。その数、ざっと見ても十を超えている。…大和の伏兵か! この道を知られていたとは!
 (まずい…迂回する間もない!)
 輝夜が後退の合図を送ろうとした、その瞬間。崖下の敵の一人が、甲高い声で叫んだ。「そこかっ!」 ビュンッ! 風を切る音と共に、一本の矢が輝夜のすぐ傍らの岩を穿った!
 「散開して退け! 合流地点は日没後、西の岩清水で!」
 輝夜は低く鋭い声を飛ばすと同時に、身を翻して駆け出した。五人の部下たちも、一斉に四方へと散る。後方からは、「追え! 逃がすな!」という怒声と、複数の足音が迫ってくる。木の葉を踏みしだく音、枝を薙ぎ払う音が生々しい。
 輝夜は、心臓が喉までせり上がってくるのを感じながら、獣のように急斜面を駆け下りる。木の幹を盾にし、茨の茂みを強引に抜け、ひたすらに足を動かす。追手の足音がすぐ背後に迫る。振り返る余裕はない。
 (このままでは…!)
 彼女は、走りながら腰の短剣を抜き放つと、身を捻り、背後の追手に向かって投げつけた! キラリと光る刃が闇を切り裂く。短い悲鳴が聞こえた気がしたが、確かめる間もなく、さらに速度を上げて深い森の奥へと逃げ込んだ。
 どれほどの時間、そうして走り続けたのだろうか。息は切れ、足は鉛のように重い。だが、追手の気配は、いつしか完全に消えていた。輝夜は、大きく肩で息をつきながら、苔むした大木の根元に崩れるように座り込んだ。部下たちとは、完全にはぐれてしまったようだ。声を出せば、まだ近くに潜んでいるかもしれない敵を呼び寄せることになる。左腕に、いつの間にか浅いが長い切り傷ができていることに気づき、顔をしかめた。
 (…仕方ない。今はただ、飛騨を目指すのみ。皆、どうか無事で…)
 傷口を布で固く縛り、方向を見定め、再び歩き出す。追手を撒くために大きく経路を外れたが、沢の音と、遠くに見える特徴的な岩山の形を頼りに、記憶の中の地図を辿る。空腹と疲労が、じわじわと体力を奪っていく。
 やがて、霧が晴れ、細い川の流れが目の前に現れた。川岸には、風雨に削られた巨大な岩が、まるで巨人の骸のようにごろごろと転がっている。その間を縫うように、かろうじて道らしきものが続いている。ここが、飛騨へと続く古道に違いない。
 安堵しかけた、その時だった。 「…止まれ。何奴だ?」
 岩陰から、錆びた鉄のような声がかかった。同時に、槍や弓を構えた屈強な男たちが、音もなく姿を現す。その眼光は鋭く、纏う空気は荒々しい。飛騨の兵に違いないが、その顔には疲労と警戒の色が濃い。
 輝夜は、咄嗟に身構えた。だが、相手の一人、顔に深い傷跡を持つ中年の男が、輝夜の姿を認め、わずかに目を見開いた。
 「…む? あんたは…星の里の…確か、輝夜とかいう娘御じゃなかったか?」
 その声には聞き覚えがあった。檜山(ヒヤマ)だ。以前、宿儺が星の里に匿われた際、彼の傍らにいた男。
 「…檜山殿。ご無事で。危うく敵かと思いました」 輝夜は、張り詰めていた緊張の糸を緩め、息をついた。 檜山も、警戒を解きながら苦笑する。  「いやはや、こっちも肝が冷えたわ。近頃、大和の犬どもがやけに嗅ぎ回っておるんでな。見慣れぬ者は、まず敵と思うてしまう。…して、娘御、なぜ手負いで一人なのだ? まさか…星の里に何か…」
 輝夜は、道中の出来事を簡潔に話した。檜山は眉間の皺を一層深くし、重々しく頷いた。 「やはり、奴ら動き出したか。こちらも同じよ。宿儺様も、大和の本格的な動きが近いと見て、警戒を強めておいでだ。…ちょうど良い刻限に来たな。宿儺様も、カガセオ殿と話がしたいと仰せだった。さ、こちらへ。陣へ案内しよう」
 檜山に導かれ、川沿いの道を少し遡ると、岩壁を背にした場所に、粗末ながらも堅固な仮陣が築かれていた。丸太を組んだ柵が巡らされ、物見櫓が周囲を睨んでいる。陣の内外には、傷つき、痩せた兵士たちが、しかしその目には鋭い光を宿して忙しなく動き回っていた。漂ってくるのは、血と汗と、そして乏しい食料を煮炊きする煙の匂い。活気があるとは言い難い、逼迫した空気だ。
 柵をくぐり、陣の中央へと進むと、そこに、山の主のような威容で、一人の巨漢が立っていた。傷だらけの黒い鎧。岩塊のような筋肉。背には三尺を超す大剣。そして、その顔――戦で刻まれた無数の傷が、まるで第二の貌を形作っているかのように、常人ならざる凄みを放っている。両面宿儺。その威圧感、覇気は、以前に会った時よりも、さらに研ぎ澄まされているようだった。
 「…ほう。星の里の娘か。名は輝夜と申したな。息災であったか」
 宿儺は、地響きのような低い声で言った。その双眸は、ただ鋭いだけでなく、深く、相手の魂の底まで見透かすような光を宿している。
 「前に見た時は、まだ戦を知らぬ小鳥のようであったが。ずいぶんと、修羅場を潜った顔つきになったものよ」
 輝夜は、その圧倒的な存在感に息を呑みながらも、毅然と膝をつき、礼を取った。 「両面宿儺殿。ご壮健そうで何よりです。我が首長、天香香背男の命により、参上いたしました」
 「ふん。カガセオの若造も、達者か」宿儺は鼻を鳴らした。「して、何の用向きだ? わざわざ命懸けで、この飛騨の山奥まで来たからには、ただの挨拶ではあるまい」
 「はっ。大和朝廷の動きが、にわかに活発化しております。我らが里も、いつ大軍に襲われぬとも限りませぬ。つきましては、改めて宿儺殿と我ら星の民との盟約を確かなものとし、共に朝廷に対抗する手立てを講じたく…」
輝夜が言い終える前に、宿儺は「やはりな」と、苦々しく呟いた。近くにあった切り株にどっかりと腰を下ろす。その動きだけで、周囲の空気が重く揺れた。 「こちらの耳にも入っておるわ。蛇のように執念深い将軍が、星の里と、この俺を目の敵にしておると。…奴らが本腰を入れ、フツヌシ、タケミカヅチの武神どもまで動かせば、この飛騨の守りも、長くは保つまい。それに…」 彼は、厳しい表情で続けた。「見ての通り、今の我らには余裕がない。兵は疲れ、食料も武具も、もう幾日もつか…。同盟を結んだとて、そちらにどれほどの助けとなれるか…」
 「それでも!」輝夜は、思わず声を上げていた。「それでも、我らは諦めません! 星の民と飛騨が手を組めば、必ずや活路はあるはず! 宿儺殿、どうか、今一度お力をお貸しください!」
 宿儺は、しばらくの間、黙って輝夜の顔を見つめていた。その目は、輝夜の覚悟を値踏みするかのように鋭い。やがて、彼は、ふっと息を吐き、重々しく口を開いた。
 「…良かろう。俺も、再びカガセオらと共に戦う覚悟はできている。朝廷に膝を屈するくらいなら、この飛騨の土となるまでよ。それに…」 彼は、わずかに目を細めた。「俺は星の民に、大きな借りがあるからのう。あの時、カガセオの父親に命を救われていなければ、今の俺はここにはおらん。その恩義、今こそ返す時であろう」
 その言葉に、輝夜は張り詰めていたものが切れ、安堵の涙が込み上げてくるのを必死に堪えた。「…ありがたきお言葉。カガセオ様も、必ずや…」
 「だが、勘違いするな、娘」宿儺は、厳しい声で遮った。「同盟は、互いが力を出し合ってこそ成り立つもの。俺の力は、これだ」 彼はゆっくりと立ち上がり、背負っていた大剣を、こともなげに抜き放った。次の瞬間、彼がただ眼光を鋭くし、剣を構えただけで、周囲の空気がビリビリと震え、風が唸りを上げた! まるで、宿儺自身が、嵐の中心となったかのようだ。離れた場所にあった武具掛けの槍が、カタカタと震え、数本が地面に倒れた。 「だが、この力も、万能ではない。兵糧なくして戦はできぬ。カガセオに伝えよ。盟約は違えぬ。必ず、俺も星の里を助ける。だが、そのためには、そちらからの支援も必要になる、と。互いに、命を預け合う覚悟がなければ、この戦、勝ち目はないぞ」
 その声には、揺るぎない覚悟と、指導者としての重みが滲んでいた。輝夜は、改めて身の引き締まる思いで、力強く頷いた。
 (この方となら…! この方とカガセオ様が力を合わせれば…!)
 胸の内に、熱いものが込み上げてくるのを感じていた。まだ若く、力も経験も足りない自分。だが、この飛騨で得た宿儺の言葉、彼の覚悟、そして里の希望を、必ず持ち帰らねばならない。
 (いつか、私も…強くならねば。姉上のように、カガセオ様のように、そして…この宿儺殿のように、皆を守れる、強い戦士に…)
 密かな決意を胸に、輝夜は宿儺の陣営の様子を注意深く観察し始めた。どうすれば、この苦境にある同盟者を支えられるのか。朝廷の大軍が本格的に動き出す前に、打てる手は何か。時間は、あまりにも限られているように思えた。 飛騨の山々に吹く風は、乾き、そして冷たかった。それは、これから始まるであろう、血と涙の激しい戦の匂いを、確かに孕んでいた。

第三章:大和の宮廷、蠢く野心


 日の光を受けて甍(いらか)を輝かせる壮麗な大和の宮。新たな都の活気が満ち、きらびやかな衣を纏う官人や豪族たちが行き交う。だが、その華やかさとは裏腹に、権力と陰謀の匂いが、澱んだ水のように宮廷の隅々にまで漂っていた。
 蘇我足人(ソガノタリヒト)は、陽の当たる表通りよりも、正殿から少し離れた古い回廊の陰翳を好んだ。漆の剥げかけた柱が並び、昼間でも薄暗いその場所は、彼の内なる思考を巡らせるのに都合が良かった。新参者や成り上がりが華々しく振る舞うのを冷ややかに見送りながら、タリヒトはこの場所で、大和の未来を、そして何より自らの一族、蘇我氏の栄達を確固たるものにするための計略を練っていた。
 (星の民…。いつまでも天津神(あまつかみ)の威光に服さぬ、忌まわしき土着の輩め。そして飛騨の宿儺…まつろわぬ神々の残滓。これらを完全に平らげることこそ、大和の秩序を盤石にし、我が名を帝の御前に高く示す道)
 柱に背を預け、タリヒトは眉間に深い皺を刻んでいた。鋭く尖った顎、薄い唇。その怜悧な顔立ちには、冷酷さと共に、この国を一つの強力な意志の下に束ね上げんとする、歪んだ使命感にも似た光が宿る。数年前の星の里への大侵攻は、彼の差配で行われた。しかし、首長の天香香背男カガセオや、荒くれ者の荒狭を取り逃がした。その失態が、彼の矜持を傷つけ、星の民への憎悪をさらに掻き立てていた。
 その時、回廊の向こうから、衣擦れの音と共に静かな足音が近づいてきた。タリヒトは、気配だけで相手を察し、ゆっくりと顔を上げた。柔らかな生成り色の衣を纏い、穏やかな物腰で歩んでくるのは、建葉槌命(タケハツチノミコト)。織物の神として知られ、朝廷内では異端とも言える和合の道を説く男。力による支配こそが秩序の礎と信じるタリヒトにとっては、目障りであり、理解しがたい存在だ。
 「タリヒト殿。このような陰でお一人とは。…もうすぐ軍議が始まりますぞ。もしや、また、かのまつろわぬ民への苛烈なる策でも練っておいでか?」
 タケハツチは、人好きのする笑みを浮かべて問いかけた。しかし、その穏やかな瞳の奥には、容易ならざる知性と、タリヒトの真意を探るような鋭い光が宿っている。
 タリヒトは、隠すことなく鼻で笑った。 「ふん。貴殿こそ、かの蛮族どもをやけに庇われるご様子。織物の神らしく、また『多様な糸を、それぞれの色を活かしつつ、一つの美しい布へと織り上げる』などと、夢のような戯言を奏でるおつもりか。だがな、タケハツチ殿、弱き糸、乱れたる糸は、時には断ち切らねば、布全体の秩序が保てぬこともあるのだぞ」
 「断ち切ることだけが道ではありますまい」タケハツチは、静かに、しかしきっぱりと言い返した。「力で押さえつければ、いつか必ず歪みが生じます。真の和合とは、互いの違いを認め、時間をかけて解きほぐし、新たな絆を紡いでいくこと。血を流さずしてそれを成し遂げてこそ、帝の御代の輝きとなりましょう」
 「和合だと? その甘言で、貴殿はいったい何を得ようとしておいでか」タリヒトは嘲るように言った。「奴らは力で屈服させるのが最も手っ取り早く、確実だ。武神であるフツヌシ様、タケミカヅチ様のお手を煩わすまでもなく、この私と蘇我の兵で十分。貴殿の出る幕はない」
 苛立ちを露わにするタリヒトに、タケハツチは淡い笑みを崩さぬまま、「力だけでは、人の心までは従わせられませぬよ」と、静かに、しかし重い一言を残し、しなやかに身を翻して立ち去っていった。
 タリヒトは、その背中を忌々しげに見送りながら、吐き捨てる。(ふん、理想ばかりを語る青臭い神め。現実の厳しさを知らぬ者に、この国の舵取りが務まるものか)
 昼下がり、タリヒトは正殿の一室で開かれる軍議に出席した。豪族、武将、官人たちが居並び、武具の硬質な音と、張り詰めた空気が満ちている。上座には、経津主神(フツヌシノカミ)と武甕槌神(タケミカヅチノカミ)が鎮座していた。もはや神話の存在ではなく、大和朝廷の軍事力の頂点として、現実にこの場にいるのだ。フツヌシは、その手に持つ巨大な神剣の切っ先を床に向け、退屈そうに目を閉じている。タケミカヅチは、鋭い双眸で居並ぶ者たちを睥睨し、わずかな動きも見逃すまいとしている。彼らが発する尋常ならざる神気に、歴戦の猛者たちでさえ息を殺し、居住まいを正していた。
 タリヒトが深く頭を垂れると、フツヌシが、閉じた目のまま、まるで地の底から響くような低い声で言った。 「タリヒトよ。例のまつろわぬ者どもの件、どうなっておる。我らをいつまで待たせる気だ。先の戦で仕留め損ねた責めは、貴様にあるのだろう?」
 その声には、抑えきれない神としての苛立ちと、人間への侮りが含まれていた。タリヒトは、内心の屈辱を押し殺し、恭しく答えた。 「はっ。申し訳ございません。しかし、今度こそ、かの者どもを完全に鎮圧いたします。周辺豪族への調略は最終段階にあり、星の里は間もなく干上がる寸前。同時に飛騨を叩けば、両面宿儺とて抗う術はありますまい」
 すると、タケミカヅチが、冷たく光る目でタリヒトを射抜いた。 「また小細工を弄するか、蘇我の者よ。我らの力をもってすれば、そのような回りくどい手を使わずとも、一息に捻り潰せるものを」
 「もちろんにございます!」タリヒトは慌てて言葉を継いだ。「最終的には、両柱の神威をもって、奴らを根絶やしにしていただくのが、この国の礎を盤石にする道と存じます。されど、かの者ども、特に星の民は、星神などという土着の神への妄信に凝り固まり、地の利を盾に抵抗を続けるやもしれませぬ。無用に我らの兵を損ない、神々の御手を煩わせるよりも、まずは策をもって敵を弱らせ、確実に勝利を手にするのが肝要かと…」 タリヒトは、彼らの自尊心をくすぐりつつ、自らの策の利点を説く。
 フツヌシは、わずかに目を開け、興味なさそうに神剣の柄を撫でた。「ふむ。まあ、よかろう。戦の前の座興としては、悪くないかもしれぬな。好きにするがよい。我らは、貴様が舞台を整えた後に、一薙ぎにするだけのことよ」 タケミカヅチも、不満げに唇を歪めながらも、「…長引かせるなよ。我らは退屈が嫌いなのでな」と、吐き捨てるように言った。
 神々の承認(あるいは黙認)を得て、軍議の空気は固まった。他の豪族たちも、武神の意向を忖度し、タリヒトの策に異を唱える者はいない。タケハツチは、ただ静かに目を伏せ、その場の決定を見守っていたが、その指先が、衣の袖の中で微かに動いたのを、タリヒトは見逃さなかった。(あの男、何を企んでいる…?)
 軍議が終わると、タリヒトは足早に部屋を出た。廊下でタケハツチとすれ違ったが、互いに視線を合わせることもなく通り過ぎる。
 開け放たれた縁側に出ると、強い日差しが目に痛い。タリヒトは、すぐに配下の官人を呼びつけ、低いが鋭い声で命じた。 「周辺豪族への使者を急がせよ。星の里への兵糧の道を完全に断て。僅かでも抜け道があれば塞げ。逆らう者、躊躇う者には、蘇我の名において厳罰を下すと伝えよ。官位剥奪、所領没収も厭わぬとな」 官人が緊張した面持ちで「はっ!」と応じ、駆け去る。
 (これで星の民は袋の鼠よ。後は、宿儺との繋がりを断ち、孤立させれば…)
 ふと、庭の木陰に、タケハツチの姿が見えた。静かにこちらを見つめている。あの男の存在が、タリヒトの心をわずかに苛立たせる。和合などという甘言で、この国の秩序が守れるものか。
 そこへ、別の下役が駆け寄り、タリヒトの耳元で囁いた。 「タリヒト様、飛騨にて、両面宿儺が朝廷の斥候を打ち破ったとの報せが…。同時に、星の里の者が宿儺と接触したとの未確認情報も…」
 「…やはりか!」タリヒトは苦々しく舌打ちした。「奴らが本格的に手を組む前に、潰さねばならん。時がないぞ…」 焦りが、彼の怜悧な判断をわずかに曇らせる。
 (もはや、悠長なことは言っておれん。フツヌシ様、タケミカヅチ様が動かれる前に、俺の手で決着をつける!)
 タリヒトは、配下に新たな指示を飛ばした。 「――よし。周辺豪族に、さらに偽りの報せを流せ。『宿儺が星の里の支援要請を拒絶した』『星の里の内部で、カガセオへの不満が高まり、降伏派が勢いを増している』とな。具体的な人名や状況を織り交ぜ、真実味を持たせよ。疑心暗鬼は、結束を内側から崩す最も有効な武器だ」
 下役が、畏れを滲ませながら「かしこまりました」と深く頭を垂れる。このような陰湿な策を弄することに、タリヒトは一片の罪悪感も感じない。それこそが、彼が信じる「まつりごと」の要諦であった。
 夕刻、宮殿の自室へと戻る廊下を歩きながら、タリヒトは星の里と飛騨を同時に陥れる最終的な筋書きを、冷徹に反芻していた。
 (カガセオ…あの憎しみに満ちた小僧の目を、今度こそ絶望の色に染めてくれるわ。そして、星の民が秘蔵するという十握の剣…あれを手に入れれば、我が蘇我の力は、天津神のそれにさえ迫るかもしれん…!)
 足を止め、西日に赤く染まる庭園を見下ろす。彼の口元には、抑えきれない野心と、勝利への確信に満ちた、歪んだ笑みが浮かんでいた。その背後には、タケハツチの憂慮も、星の民の祈りも届かぬ、暗く巨大な戦乱の影が、確実に忍び寄っていた。

第四章:蝕む影、揺らぐ絆


 タリヒトの張り巡らせた見えざる網は、冷酷なまでに正確に、星の里の命脈を絞め上げていた。近隣の村々からの物資は完全に途絶え、かつて山道を行き交った行商人の姿も、今は跡形もなく消え失せた。大和に通じた豪族たちが、目に見えぬ高い壁となって里を包囲しているのだ。まるで、巨大な蛇がじわじわと獲物を締め上げるように。
 備蓄の粟や稗は日ごとに減り、人々は木の実や草の根を粥に混ぜて、かろうじて糊口をしのぐ有様だった。懸命に土地を耕しても、実りは乏しい。干し肉を作るための塩はとうに尽き、わずかに残った貴重な塩は、傷の手当てや高熱にうなされる病人の介抱に優先して使われた。味気なく、滋養にも乏しい食事が続き、体力の無い老人や子供たちの中には、衰弱して床に伏す者も出始めていた。陽の光さえも、以前より弱々しく感じられるほど、里全体が活力を失っていた。
 朝餉の配給場は、もはや助け合いの場ではなかった。ぎすぎすとした空気が支配し、人々は飢えた獣のような目で互いを牽制し合う。配給の者が差し出す僅かばかりの粟袋に、我先にと手が伸びる。子供たちの甲高い泣き声と、大人たちの低く嗄れた怒声、そして諦めきった深いため息が、重苦しく広場に満ちていた。
 「またこれだけか! これでは病の母親の口にも入らん!」 「黙れ! お前のところばかりではない! こっちは赤子が乳も出ずに泣いているんだぞ!」 「ああ…星の神様は、本当に我らを見守っていてくださるのか…それとも、もう…」
 そんな不満と疑念の矛先は、時に里の指導者たちへ、そして、より頻繁に、隣人へと向けられた。 「荒狭様は、見回りばかりで俺たちの腹の痛みなど分かっていない!」 「いや、新しく流れ着いたあの連中が怪しい。夜中に何かこそこそやっているのを見た者がいる…」 「あの家だけ、まだ備蓄が残っているという噂だぞ…もしや、大和と通じているのでは…」
 根も葉もない噂が囁かれ、疑心暗鬼が冷たい毒のように里に広がっていく。かつては一つの家族のように支え合ってきたはずの絆に、音もなく亀裂が走り始めていた。かつての侵攻で負った傷よりも、この内側からの崩壊の方が、あるいは恐ろしいのかもしれないと、カガセオは思った。
 荒狭は、その状況に焦燥感を募らせ、ほとんど眠ることもなく里の見回りを続けていた。彼の目は常に血走り、夜の闇に潜むどんな些細な物音にも過敏に反応した。あの日の失敗を繰り返すまいとする強すぎる思いが、彼を駆り立て、そして追い詰めているのだ。
 ある晩、彼は夜更けに薪を取りに出ていた若い男を、闇の中から引きずり出した。 「こんな時間に何をしていた! 持ち場を離れて、怪しいぞ!」  「め、滅相もない! ただ、明日の焚き木が足りぬかと案じ…」 「言い訳は聞かん! 里の食糧を盗み出すつもりか、それとも大和の手先か!」 荒狭は、男の胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。男は恐怖に顔を引きつらせ、ただ喘ぐ。その様子を遠巻きに見ていた他の里人が、恐る恐る声をかけた。 「荒狭様、おやめください! 彼は昔からこの里にいる者です! 疑うなど…!」 荒狭は、はっと我に返り、忌々しげに男を突き放した。だが、彼の激しい気性と、誰彼構わぬ猜疑心は、民衆との間に埋めがたい溝を作りつつあった。彼は孤独だった。里を守りたいという純粋で猛烈な思いが、誰にも理解されず、空回りしているように感じられた。その背中は、以前にも増して険しく、近寄りがたいものになっていた。
 一方、カガセオは長老たちとの評定を重ねていたが、事態を打開する有効な策は見いだせないでいた。粗末な小屋の中で、囲炉裏の頼りない火だけが揺れている。 「危険を冒してでも、遠方の、まだ朝廷に与せぬ豪族に使者を送り、交易路を開けないか…」 「しかし、その道中の安全は誰が保証する? 下手に関われば、その豪族まで大和に睨まれよう」 「では、山に深く籠り、徹底抗戦を…」 「兵糧がなければ、それも数日のこと。飢えた兵に戦はできぬ…」
 議論は堂々巡りを繰り返し、袋小路に入り込むばかり。カガセオは、憔悴しきった長老たちの顔と、木板に描かれた、かつての交易路や周辺豪族の名に、赤い×印ばかりが増えていく地図を交互に見つめながら、深い無力感に襲われていた。
 (父上なら…父上なら、こんな時どうされただろうか…? 父上の時代は、まだこれほどの窮地ではなかったにせよ…。俺には…俺には、この里を導く力が足りないというのか…?)
 広場で見た、民の苦しむ顔が脳裏に焼き付いて離れない。あの母親の涙、老人の嘆き…。首長として、彼らの命を守らねばならない。そのためならば…。
 (もし…もし、この星の民としての誇りを捨て、ただ泥に額を擦りつけて命乞いをすることで…民が生き永らえる道があるというのなら…俺は…)
 その考えが、一度頭をよぎると、まるで冷たい毒のように心を蝕み始める。父が命懸けで守ろうとした星神への信仰。母や妹の無念。宿儺との誓い。それらを裏切ることになる。だが、民が全て死に絶えてしまえば、誇りも信仰も、何の意味があるというのか。カガセオは、眠れぬ夜を過ごし、その重い問いに苛まれ続けた。身体の奥底にあるはずの十握の剣の力が、今はただ重く、彼を責め立てているように感じられた。
 そんなカガセオの苦悩を知ってか知らずか、星見が、岩室での祈りを終え、彼の元を訪れた。その顔色は青白く、瞳には深い憂慮の色が浮かんでいる。 「カガセオ様…星々が、さらに不吉な様相を呈しております」 「…何が見えた、星見」 「はっきりとした形は見えませぬ。ですが…星々は、この里の中に渦巻く『澱み』のようなものを指し示しております。それは、外からの敵意とは違う、もっと内側から我らを蝕む、暗く、冷たい流れ…。疑心、憎悪、諦め…そうした負の念が、互いの絆を断ち切り、里そのものを弱らせている、と。そして…その澱みの中心に、何か…黒い影が潜んでいるような気配がいたします…」 星見の声は震えていた。それは単なる内通者の存在を示唆するだけではないのかもしれない。人々の心の荒廃そのものが、破滅を呼び込もうとしているかのようだ。 「カガセオ様、どうか…どうか、民の心を一つに。今、我らに必要なのは、武器や兵糧以上に、互いを信じ、支え合う心なのです」
 星見の切実な言葉は、カガセオの胸に重く響いた。だが、具体的に何をすればいいのか、彼には分からなかった。心を一つに、と言われても、飢えと絶望の前では言葉はあまりにも無力に思えた。
 その日の深夜。 里が深い眠りに落ち、月も雲に隠れた、真の闇夜。星見が、再び岩室へと向かうため、人気のない夜道を歩いていた時だった。どこからともなく、羽音もなく、一羽の傷ついたフクロウが、力なく彼女の足元に舞い降りた。翼は折れ、片足には粗末な竹筒が固く結び付けられている。フクロウは、まるで最後の役目を果たしたかのように、小さく一声鳴くと、そのまま動かなくなった。その瞳には、夜の闇よりも深い疲労の色が浮かんでいた。
 星見は、胸騒ぎを覚えながらも、その竹筒を手に取った。周囲に人の気配はない。冷たい夜風が、彼女の白麻の衣を吹き抜ける。月明かりが雲間からわずかに差し込み、彼女は慎重に竹筒の封を切った。中から現れたのは、古びた羊皮紙のような、手触りのざらついた巻物だった。
 そこに記されていたのは、震えるような筆跡で書かれた、短い文面だった。しかし、その内容は、星見の全身を凍りつかせるには十分すぎるほどの、衝撃的な事実を告げていた。数年前の、あの忌まわしい大侵攻。その裏で糸を引き、星の民を地獄へと突き落とした、真の黒幕の名が――。
 『――彼の者こそ蘇我足人。まつろわぬ民を根絶やしにせんと画策せし張本人なり』
 そして、巻物の末尾には、思いもよらぬ人物の名が、まるで血判を押すかのように、記されていたのだ。
 『――建葉槌命』
 星見は、巻物を握りしめ、呆然と立ち尽くした。足元のフクロウは、すでに冷たくなっていた。夜風が、彼女の白い衣と乱れた髪を冷たく揺らす。この密書は、星の里に何をもたらすのか。破滅か、それとも、一条の光か。今はまだ、夜空に隠れた星々だけが、その答えを知っているかのようだった。

第五章:再会の誓い、迫る戦雲


 建葉槌命(タケハツチ)の名が記された密書は、星の里の指導者たちが集う粗末な小屋に、重い沈黙と、それまでとは質の異なる熱をもたらした。巻物に記された衝撃的な内容――大侵攻の黒幕が蘇我足人(タリヒト)であるという事実――を前に、カガセオ、星見、荒狭、そして数名の長老たちは、囲炉裏の頼りない火影の中で言葉を失っていた。
 『…あの大侵攻を裏で操りしは、かの者なり。奴こそが、まつろわぬ民を根絶やしにせんと、陛下に進言せし張本人。奴が失脚せば、朝廷内の風向きも変わろう…』
 「……タリヒト……だと…?」
 最初に沈黙を破ったのは、荒狭だった。彼の目は獣のように血走り、握りしめた拳はわななくと震えている。「あの時、俺を、我らを罠にかけた敵将は…タリヒトと、いうのかッ!!」 長年、心の奥底で燻っていた得体の知れない憎悪の対象が、今、明確な輪郭を結んだ。妻子の仇。里を蹂躙した元凶。その名が、今、はっきりと示されたのだ。
 「カガセオ様! 今すぐ兵を出しましょうぞ! 奴の首を取る! この機を逃してはなりませぬ!」荒狭はカガセオに詰め寄った。
 しかし、カガセオは静かに首を横に振った。その表情は硬く、密書を持つ手には力がこもっている。 「待て、荒狭。早まるな。…なぜ、建葉槌命がこのような報せを? 我らを罠に嵌めようとしている可能性も捨てきれん。差出人の名が、あまりにも…」
 星見も、不安げに眉をひそめる。「カガセオ様の仰る通りです。タケハツチ様が穏健派であるというのは、あくまで噂。朝廷の神が、我らに利するような真実を告げるとは…にわかには信じがたいことです。あるいは、タリヒト様と我らを共倒れさせようという深謀遠慮やもしれませぬ」
 「罠であろうがなかろうが構わん!」荒狭は声を荒らげた。「仇の名が分かったのだ! 奴を討たずして、俺の気が済むものか! それに、もし奴を倒せば、本当に朝廷の動きが変わるかもしれん! それが、里を救う唯一の道やもしれんのだぞ!」
 激しい議論が交わされる。タリヒトへの怒りに燃える荒狭と、あくまで慎重なカガセオと星見。長老たちも、里の未来を左右しかねない情報に動揺し、意見がまとまらない。小屋の中の空気は、焦燥と疑念で張り詰めていた。
 その緊迫した空気を破るように、外から慌ただしい足音が響き、見張りの兵が息を切らして転がり込んできた。 「申し上げます! 飛騨より、急使が到着いたしました! 火急の用件とのこと!」

 その頃、飛騨の険しい山中では、血と土埃の匂いが霧に混じって立ち込めていた。両面宿儺は、三尺を超す大剣を肩に担ぎ、荒い息をつきながら眼下の谷を見下ろしていた。足元には、黒い鎧を纏った朝廷兵の亡骸が、十数体、無残に転がっている。
 「…ふん、しぶとい蝿どもめ」
 宿儺は、吐き捨てるように呟いた。先ほど、崖下の細道で、朝廷の斥候部隊と遭遇したのだ。敵は油断していたのか、あるいは飛騨の地形を侮っていたのか、宿儺と、彼の腹心である檜山率いる飛騨兵の奇襲を受け、たちまち壊滅した。
 宿儺の剣技は、まさに伝説の通り、常人の理解を超えていた。その巨躯からは想像もつかぬ俊敏さで敵陣に斬り込み、大剣を振るえば、複数の兵がまとめて薙ぎ払われる。岩をも断つという斬撃は、鎧ごと敵兵を両断した。
 だが、勝利の代償も小さくはなかった。飛騨兵も数名が傷つき、矢を受けた者は深手を負っている。何より、続く戦いで兵糧は底をつきかけていた。
「お頭、お見事でした。しかし…」檜山が、腕の傷を押さえながら近づいてくる。「奴らの動き、ただの斥候とは思えませぬ。何か、大きなものが動いている気配がいたします…」
 宿儺は、厳しい表情で頷いた。「ああ、感じる。大和の奴ら、本腰を入れてきたな。蛇のように執念深い将軍が、俺と星の民を同時に潰そうと画策しているという噂も、どうやら真らしい」 彼は、険しい山並みの向こう、星の里があるであろう方角を見やった。「…急ぎ、星の里へ使いを出せ。カガセオに伝えよ! 『戦雲迫る。今こそ、誓いを果たし、共に立つ時ぞ』と! それから…」 彼は一瞬ためらい、顔をしかめたが、意を決したように続けた。「…恥を忍んで頼め。塩と、矢を…少しでも良い、分けてくれ、とな…」 その声には、誇り高い英雄らしからぬ、苦渋の色が滲んでいた。

 飛騨からの急使がもたらした報せ――宿儺の奮戦と苦境、そして朝廷本軍の本格的な侵攻開始――は、星の里を更なる動揺に陥れた。里の広場に集まった人々は、不安と恐怖に顔を曇らせる。
 「宿儺殿を見捨てるわけにはいかない!」 「しかし、今、我らに援軍を送る余力など…里に残る者を見殺しにする気か!」 「里を空ければ、それこそ大和の思う壺だ!」
 様々な意見が飛び交い、広場は再び混乱に包まれようとしていた。カガセオは、民の前に立ち、固く唇を結んでいた。タリヒトへの怒り。宿儺との盟約。そして、目の前にいる、疲れ果てた民の命。全てが重く、彼の心を押し潰そうとする。里を離れるのは危険すぎる。だが、飛騨が落ちれば、次は間違いなくこの里だ。座して滅びを待つわけにはいかない。宿儺と共に戦い、活路を見出すしか道はないのかもしれない。
 「……私が、行く」
 カガセオの静かな、しかし決然とした声が、広場の喧騒を打ち破った。人々は息を呑み、彼を見つめる。
 「荒狭、お前には、この里の全てを託す。俺が戻るまで、民を守ってくれ。頼んだぞ」 彼は、言葉を失っている荒狭の肩を強く叩いた。そこには、首長としての命令と、友への信頼、そして一抹の不安が込められていた。荒狭は、何か言いたげに口を開きかけたが、結局、力なく頷くしかなかった。  「星見、そなたもだ。皆の心を支え、星々の導きを頼む」
 カガセオは、異論を挟む隙を与えず、続けた。「これは、宿儺殿を助けるためだけではない。タリヒトへの復讐でもない。我ら星の民が、誇りを失わずに生き延びるための、唯一の戦いだ。…すぐに、支度を!」
 カガセオは、輝夜を含む十数名の精鋭を選び出すと、すぐさま飛騨へと向けて出立した。荒狭は、カガセオの背中が見えなくなるまで、ただ険しい顔で、その場に立ち尽くしていた。その拳は、再び固く握りしめられていた。
道中、カガセオは朝廷軍の動きが予想以上に活発化していることを示す痕跡をいくつも目にした。焦土と化した集落、夥しい数の足跡、そして遠くに上がる狼煙。時間は、刻一刻と失われている。焦りが彼の心を駆り立てた。
 数日後、疲労困憊の一行は、ようやく飛騨の仮陣にたどり着いた。陣の空気は張り詰め、負傷兵の呻き声と、残り少ない食料を煮炊きする煙の匂いが漂っている。星の里よりもさらに厳しい状況が、そこにはあった。
 陣の中央で、宿儺が、まるで古木の如く、どっしりとカガセオを待っていた。その巨躯には新たな傷が増え、纏う鎧は無惨に砕けている。しかし、その双眸の輝きだけは、以前にも増して鋭く、深く、燃えているようだった。
 「…待っていたぞ、カガセオ。よくぞ、間に合った」 「宿儺殿…。貴殿こそ、ご無事で」
 短い言葉を交わし、二人は互いの状況を語り合った。星の里の孤立。飛騨の窮状。そして、迫りくる大和の本軍。厳しい現実が、改めて二人の間に横たわる。
 「貴様の持つ剣…十握の剣」宿儺が、カガセオの腰の剣に目をやった。その視線には、単なる興味以上のものが含まれているようにカガセオには感じられた。「お前の父上から、昔、聞かされたことがある。 星の力を宿し、振るう者に比類なき力を与えるが…同時に、その魂をも喰らう、と。あれは真か? そして貴様は、それに飲まれず、御しきれるのか?」 その言葉に、カガセオは息を呑んだ。父は、宿儺殿にそこまで話していたのか。そして、宿儺はその危険性を今も覚えていたのだ。 「…分からぬ。だが、これなくしては、戦えぬ」
 「ふん…」宿儺は頷いた。「ならば、覚悟を決めろ。この戦、我らが生き残るためには、互いの全てを、魂までも賭けるしかない。俺は、かつて貴様らに救われた恩を、この命に代えても返す。貴様も、星の民の未来のために、その剣を振るい、道を切り開け」
 カガセオは、宿儺の射抜くような視線を受け止め、力強く頷いた。 「ああ。父が、民が、そして貴殿が信じてくれたものを、裏切りはしない。この命、この剣、すべてを懸けて、共に戦おう!」
 二人は、互いの傷ついた手を、血が滲むほど強く握り合った。それは、単なる盟約ではない。互いの魂を預け合う、血よりも濃い誓いであった。歴戦の古強者と、若き苦悩の首長。立場も性格も異なる二つの魂が、今、共通の敵を前に、一つの烈火の如き覚悟となって燃え上がったのだ。
 だが、彼らの背後、飛騨の山々を覆う霧の向こうには、すでに大和朝廷の本軍が、その巨大な顎を開け、静かに、しかし確実に、迫りつつあった。再会の誓いを交わしたこの陣にも、間もなく、血と炎の嵐が吹き荒れようとしていた。

第六章: 覚醒の炎、戦野の咆哮


 飛騨と尾張の国境近く、霧が深く立ち込める谷間は、息を殺した者たちの気配で満ちていた。岩陰に、木々の茂みに、星の民と飛騨の兵士たちが、まるで大地の一部と化したかのように潜んでいる。冷たい岩肌の感触、湿った土の匂い、そしてすぐ隣にいる仲間の荒い息遣いだけが、彼らがそこに存在することを示していた。谷底を流れる小川のせせらぎだけが、張り詰めた静寂を縫うように響いていた。
 やがて、谷の入り口から、黒々とした影の列が姿を現した。大和朝廷の先遣隊だ。霧の中、鎧の擦れる音や金属的な足音が、徐々に近づいてくる。その数、百余り。先の斥候とは違い、重装備の兵も混じり、統率の取れた動きで慎重に谷奥へと進んでくる。彼らが放つ規律正しい圧力が、霧を通してじりじりと伝わってきた。
 崖の上の岩棚に身を隠す両面宿儺が、低く唸るような声で隣のカガセオに囁いた。 「…来たな。数は多いが、この狭隘な地形ならば…地の利はこちらにある。仕掛けるぞ」 「ああ。皆、合図を待て」カガセオも、緊張に強張る顔で頷く。腰の十握の剣の柄を握る手に、じっとりと汗が滲む。(父上から聞かされたという、この剣の力…それを使う時が、来るかもしれん…)
宿儺が、深く息を吸い込み、天を衝くばかりの咆哮を上げた。それは人の声というより、古の山の神が発するような、凄まじい響きだった。
 「――始めよッ!!」
 その声は、谷全体を震わせる合図となった。崖の上から、合図を待っていた兵士たちが、巨大な岩石や、先の尖った丸太を次々と突き落とす! ゴゴゴゴッ! ドドドドッ! 地響きと共に土煙が濛々と舞い上がり、先頭を進んでいた朝廷兵たちは、為す術もなくその直撃を受けた。鎧は紙のように砕け、骨が軋む鈍い音が響き、断末魔の叫びすら上げられずに数人が土砂の下敷きとなる。 「敵襲! 伏兵だ!」 混乱が瞬く間に広がる。隊列は崩壊し、狭い谷道で兵士たちは右往左往する。
 間髪入れず、崖の両側から、星の民の射手たちが、狙いを定めて矢を放つ! ヒュッ、ヒュンッ! と鋭い風切り音が連続し、太い鏃を持つ矢が、的確に鎧の隙間や剥き出しの喉を貫いていく。短い呻き声と、地に倒れる鈍い音があちこちで響く。
 「突っ込めぇぇっ!」
 宿儺が、再び獣のような雄叫びを上げながら、崖から飛び降りた! その巨躯が巻き起こす風圧が、近くの朝廷兵を薙ぎ倒す。着地と同時に、背の三尺を超える大剣が抜き放たれた。霧の中で鈍く光るその長大な刃が、薙ぎ払うように振るわれる! ――空気が断裂するような音。一閃。 血飛沫が霧を赤く染め、数人の兵士が、まるで斬り裂かれた布のように宙を舞い、岩肌に叩きつけられた。
 「続け!」檜山の檄が飛び、傷を負いながらも闘志を失わない飛騨兵たちが、宿儺に続いて突撃する。星の民の戦士たちも、カガセオを先頭に、岩陰から躍り出た。 剣戟の音が谷間に満ちる。火花を散らし、重い金属音が響き、肉を裂く鈍い音が混じる。男たちの荒々しい鬨の声と、苦痛に歪む叫び。血の生臭さ、土埃、松明の煤けた匂いが混じり合い、戦場は瞬く間に凄惨な地獄絵図と化した。
 カガセオも、十握の剣を抜き放ち、敵兵の波へと斬り込んでいく。(まだだ…まだ、この力は抑える…!)そう自らに言い聞かせながら、父から叩き込まれた剣技で、冷静に敵の動きを見極め、的確に急所を突く。宿儺のような圧倒的な破壊力はないが、その剣筋は水のように流れ、鋭利な刃のように敵を切り裂く。 敵兵の喉を突き、返す刀で別の兵の腕を斬り払う。飛び散る血が頬を濡らすが、心を無にし、ただ目の前の敵を打ち倒すことに集中する。
 連合軍の奇襲は、当初、大きな戦果を上げた。地の利を活かし、敵を混乱させ、その数を削いでいく。だが、朝廷軍の兵士たちも精鋭揃いだ。指揮官らしき男が必死に立て直しを図り、弓隊が崖上へ反撃の矢を放ち始める。数に勝る敵は、徐々に最初の混乱から立ち直り、じりじりと押し返してきた。
 その時だった。 朝廷軍の後方から、すぅっと霧を割るようにして、一人の武将が進み出てきた。その姿は、異様というほかなかった。身の丈は常人と同じだが、その身に纏う武具は、まるで天上の光を鍛えて作られたかのように神々しく輝き、手にした長大な神剣からは、凡百の兵士とは比較にならない、尋常ならざる神気が立ち昇っている。肌が粟立つような、絶対的な存在感。空気が重く、冷たくなる。
 (…来たか…! 大和の武神…フツヌシ…!)
 カガセオは、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
 フツヌシと思しき武神は、戦場の喧騒など意に介さぬように、静かに神剣を構えた。そして次の瞬間、彼の姿は掻き消え――否、常人には捉えきれぬ速度で移動し、近くにいた飛騨兵の眼前に出現していた。 ビュッ! 神剣が空気を裂く音と、人体が破裂するような鈍い音が同時に響いた。飛騨兵は、悲鳴すら上げられず、血肉の塊となって後方へと吹き飛んだ。 「な…!?」 連合軍の兵士たちが、恐怖に息を呑む。武神は、まるで散歩でもするかのように、悠然と歩を進めながら、その神剣を振るい続ける。その一撃一撃が、もはや人の技ではない。衝撃波が走り、岩が砕け、兵士たちは次々と命を奪われていく。抵抗は、意味をなさなかった。
 「くそぉっ! 神であろうと、この飛騨の地では好きにさせん!」 宿儺が、怒号と共にフツヌシに斬りかかる。大剣が、山をも断つ勢いで振るわれた。しかし、フツヌシは、こともなげに神剣でその一撃を受け止めた。 ガンッ!! 耳を劈く金属音と衝撃波が走り、宿儺の巨体がよろめいた。
 「…小賢しい。人の子が、神の領域に踏み入るか」 フツヌシが、初めて声を発した。それは、感情の欠片も感じさせない、どこまでも冷たく、硬質な響きを持っていた。
 戦況は、一気に覆された。武神一柱の存在が、これほどまでに戦の趨勢を左右するとは。兵士たちの顔には、絶望の色が浮かび、足が竦み、後退りし始めている。このままでは、全滅だ。
 (…駄目だ…このままでは、皆殺しにされる…! 宿儺殿も…!)
 カガセオは、仲間たちの悲鳴、宿儺の苦悶の表情を目の当たりにし、ついに腹を決めた。
 (やるしかない…! 父上、母上、ユキ…宿儺殿…俺に力を…! たとえ、この身がどうなろうとも…魂を喰らわれようとも…!)
 カガセオは、十握の剣を天に掲げた! キィン、と甲高い鞘鳴りの音が響き渡り、抜かれた剣身が、霧の中で禍々しいほどの光を放ち始める!
 「うおおおおおおおおぉぉぉぉっ!!」 魂の叫びと共に、カガセオは意識を剣へと注ぎ込む。瞬間、制御不能な力の奔流が、彼の存在そのものを飲み込もうとした! 体内を灼熱のマグマが駆け巡り、骨がきしみ、血が沸騰する! 視界は真紅に染まり、世界が歪んで見える! ゴォォォォォッ!! 十握の剣が、燃え盛る紅蓮の炎を、いや、それ以上の、星々の核にも似た眩い光を纏った! その光は薄暗い谷間を真昼のように照らし、周囲の空気は熱波で揺らめき、岩肌さえもが溶け出すかのように赤熱する! その尋常ならざる気に、敵も味方も、誰もが一瞬、動きを止めた。
 「な…!? その力は…星神の…!?」 フツヌシが、初めてその無表情を崩し、驚愕の色を見せた。
 「星の怒りを…喰らえぇぇっ!!」
 カガセオは、もはや痛みも恐怖も感じていなかった。ただ、守るべき者たちのために、燃え盛る星の化身となって、フツヌシへと躍りかかった!
光の剣が、神の剣と激突する! ズガァァァァンッ!! 天と地が震えるほどの轟音と衝撃! 光と神気が激しくぶつかり合い、凄まじいエネルギーの嵐が吹き荒れる! 「ほう…面白い…! 人にして、この力を…!」 フツヌシの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。彼は、カガセオの放つ未知の力に、初めて戦うに値する相手を見出したかのように、その神剣を振るい始めた。
 しかし、カガセオの猛攻は、まさに命を燃やすかの如く凄まじい。光の斬撃が、フツヌシの神々しい鎧を掠め、火花を散らし、焦げ跡を残していく。フツヌシとて、その全てを捌ききることはできない。
 (…だが…この力…やはり、俺の器では…制御しきれない…! 魂が…喰われる…!) カガセオは、力の奔流に意識を飲み込まれそうになるのを、必死に堪えていた。身体の内部から、何かが軋み、砕けていくような感覚。視界が明滅し、意識が途切れそうになる。剣を握る腕には、赤黒い血管のような模様が浮かび上がり、脈打っている。
 カガセオの異変と、彼が放つ力の危険性を察したのか、あるいはこれ以上の損害を避けるという打算か、フツヌシは神剣を引いた。 「…一旦、退くぞ。この小僧、少々厄介だ」 その声に応じ、朝廷軍は、まだ戦える兵もいるにも関わらず、秩序を保ちながらも後退を開始した。その動きは迅速で、未練を感じさせなかった。
 戦場には、破壊し尽くされた谷間の惨状と、夥しい血の匂い、そして死体の山だけが残された。カガセオは、光が消えかけた剣を杖代わりに、その場に崩れ落ちるように膝をついた。 「…かはっ…! ごふっ…!」 激しく咳き込み、口から止めどなく血が溢れ出す。全身が、まるで内側から焼き尽くされたかのように熱く、指一本動かすことさえ億劫だった。視界はぐらぐらと揺れ、意識が闇に沈んでいく。腕に浮かんだ赤黒い模様は、まるで生き物のように蠢いていた。
 「カガセオ様!」 「カガセオ!」 宿儺や、駆け寄ってきた輝夜の声が、水底から聞こえるように遠い。 (…退けた…のか…? だが…この痛みは…この身体は…もう…) カガセオは、もはや光を失った十握の剣を見つめながら、己の命が、この覚醒の代償として、確実に削り取られていくのを、朦朧とする意識の中で感じていた。

第七章:凶星墜つ


 飛騨の山々を、カガセオは狂おしいほどの焦燥感を胸に駆け下りていた。先ほどの戦いで限界を超えた身体は、一歩ごとに悲鳴を上げ、口の端からは絶えず血の泡が漏れる。星見から受けた薬草の力と、燃え尽きかけた魂を突き動かす妄念にも似た意志だけが、彼を前へと進ませていた。里から上がるはずの狼煙は途絶え、不吉な沈黙が、まるで死神の外套のように山々を覆っている。ただ、一刻も早く里へ――その灼けつくような思いだけが、崩れ落ちそうな彼の身体を支えていた。
 その頃、星の里近郊は、すでに地獄の様相を呈していた。 大和朝廷の本軍が、黒い津波のように丘陵地帯を埋め尽くし、里の最後の防衛線へと容赦なく襲いかかっていたのだ。空を覆う矢は黒い雨となり、地を揺るがす鬨の声は耳をつんざく。そして、なによりも絶望的なのは、戦場の只中に君臨するかのように立つ、二柱の武神の姿だった。
 経津主神(フツヌシ)。武甕槌神(タケミカヅチ)。 彼らがひとたび神剣と太刀を振るえば、大地は裂け、人は塵芥のように吹き飛ぶ。星の民のささやかな抵抗など、まるで嵐の前の木の葉に等しかった。燃え盛る家々。響き渡る悲鳴。血と煙の匂いが、空気を重く支配していた。
 「持ちこたえろ! 柵を死守しろ! ここを抜かれてなるものか!」
 その地獄の真っ只中で、荒狭は文字通り鬼神と化していた。血と泥にまみれ、全身に無数の傷を負いながらも、その巨躯を躍らせ、背の大剣を振り回す。彼の咆哮が、恐怖に竦む兵士たちの耳を打つ。 「宿儺殿はまだか! カガセオはまだ来ぬのか! タリヒト! いや、どこのどいつか知らんが黒幕は! 出てきてこの俺と勝負しろ!」 復讐心と、里を守る責任感、そして迫りくる絶望が、彼を狂気の淵へと追い立てていた。しかし、彼の奮戦も空しく、防衛線は刻一刻と後退していく。燃え盛る柵の向こうから、死神の鎌のような武神たちの影が迫る。
 「きゃあっ!」 輝夜も、必死に矢を放ち、短剣を振るっていたが、タケミカヅチの放った衝撃波の余波を受け、吹き飛ばされて地面を転がった。肩口から夥しい血が流れている。 (ああ…姉上…カガセオ様…) 朦朧とする意識の中で、彼女は迫りくる死の影を感じていた。
 まさに万策尽き、誰もが完全なる終焉を覚悟した、その時だった。
 「――退くな! 星の民! 飛騨の者よ! この宿儺が来た限りは、一歩たりとも退かせるものか!」
 地鳴りのような声と共に、一体の巨漢が、朝廷軍の側面から猛然と突進してきた! 両面宿儺! 彼は、別方面で敵の別動隊を食い止めていたが、里の危機を察知し、手勢を引き連れて駆けつけたのだ。その全身は夥しい血に濡れ、鎧は砕け、息は激しく乱れている。脇腹の傷は深く、抉れた肉が見えている。一歩踏み出すごとに激痛が走るはずだ。だが、その双眸に宿る闘志の炎は、むしろ激しさを増しているかのようだった。
 「宿儺殿!」
 荒狭が、闇の中に一条の光を見たかのように叫ぶ。宿儺は、荒狭に力強く頷き返すと、その巨体を疾風の如く躍らせ、一直線にタケミカヅチへと突進した。
 「大和の武神よ! まつろわぬ神の力、その身に刻むが良い!」
 宿儺の大剣が、雷光を纏うタケミカヅチの太刀と激突する! ガギィィィィンッ!! 耳をつんざく轟音と衝撃波が、周囲の大気を震わせる。宿儺は、深手を負いながらも、驚くべき膂力と技で、神速のタケミカヅチと互角に渡り合っていた。彼の剣は、単なる力任せではない。長年の経験に裏打ちされた、老獪にして変幻自在の太刀筋。時には大地を砕き、時には風を巻き起こし、武神を翻弄する。 「そうだ! 我らには宿儺様がいる!」「続け! 押し返せ!」宿儺の奮戦は、絶望しかけていた兵士たちの心を、再び熱く燃え上がらせた。
 その時、丘の上に、息も絶え絶えになりながら辿り着いた人影があった。カガセオだ。彼は、眼下に広がる地獄絵図と、その中で獅子奮迅の戦いを見せる宿儺の姿を、血の滲む目で捉えた。間に合ったのか、それとも、もう遅いのか。声を出そうにも、喉が張り付いて音にならない。ただ、彼はその場で立ち尽くし、英雄の最後の奮闘を、そして迫りくる破滅の影を、固唾を飲んで見守るしかなかった。
 しかし、相手は天津神の武威を体現する武神。そして、宿儺の身体は、すでに限界に達していた。
 タケミカヅチの動きは、常人には捉えきれぬ神速の域。宿儺の渾身の斬撃は、紙一重でかわされ、逆に鋭利な太刀筋が、宿儺の傷口をさらに深く抉っていく。 ザシュッ! ブシャァッ! 噴き出す血が、雨のように大地を濡らす。 「ぐ…おおっ…!」 ついに、宿儺の膝ががくりと折れた。彼は大剣を地に突き立て、辛うじて片膝をついて耐えている。呼吸は激しく、視界も霞んでいるはずだ。
 「…しぶといことよ。だが、それも終わりだ」 タケミカヅチが、冷酷な声で呟き、太刀を静かに振り上げた。その切っ先は、無防備に晒された宿儺の首筋へと吸い寄せられていく。
 「宿儺殿ぉぉぉっ!」
 荒狭が、魂の底からの叫びを上げながら駆け寄ろうとする。だが、フツヌシの神剣が放つ見えざる剣圧が、彼の前進を阻む。まるで厚い壁に阻まれたかのように、一歩も前に進めない。
 絶望的な静寂が、一瞬、戦場を支配した。 宿儺は、最後の力を振り絞るように、ゆっくりと顔を上げた。霞む視界の中で、彼は遠くの丘の上に立つ、見慣れた人影を捉えた気がした。あるいは、それは幻だったのかもしれない。それでも、彼はその方角を見据え、 血に濡れた唇を微かに動かした。
 「…カガセオ…よく聞け…剣に飲まれるな…星は…お前たちの胸にこそ…堕ちは…せぬ…」
 それが、彼の最期の言葉だった。
 次の瞬間、タケミカヅチの太刀が、閃光と共に振り下ろされた。
 ザンッ――!
 肉を断つ鈍い音が、やけに大きく響いた。宿儺の巨体から、糸が切れた操り人形のように、力が完全に抜け落ちた。まるで、長年風雪に耐えてきた大木が、ついにその重みに耐えきれず倒れるように、彼はゆっくりと、しかし確実に、大地に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。
 「…………」
 時間が、止まったかのようだった。戦場の喧騒が、遠い世界の出来事のように感じられた。誰もが、信じられないものを見るかのように、地に伏した英雄の亡骸を見つめている。 飛騨の兵士たちが、天を仰いで慟哭する。「お頭ぁぁぁっ!」「嘘だ…宿儺様が…こんな…!」
 荒狭は、その場に両膝をつき、大地を叩いて泣き叫んだ。その目からは、涙とも血ともつかぬ赤い液体が止めどなく流れ落ち、地面に染みを作っていく。 「す…くな…どのぉぉぉぉっ……!! ああああぁぁぁっ!!」 それは、もはや言葉にならない、魂そのものの絶叫だった。
 タケミカヅチは、返り血を浴びた太刀を静かに振るうと、宿儺の亡骸を一瞥し、そして興味を失ったかのように、冷たく背を向けた。
 その、あまりにも残酷で、あまりにも衝撃的な光景を、丘の上から見つめていたカガセオの全身を、凄まじい衝撃が貫いた。 宿儺が、死んだ。あの、山のように大きく、誰よりも頼りになった男が。飛騨で交わしたばかりの、あの熱い誓いが。目の前で、塵芥のように砕け散った。
 「スクナ……殿……」
 カガセオの唇から、か細い声が漏れた。脳裏に、父の最期が、母と妹の無念が、そして宿儺の最後の言葉が、走馬灯のように駆け巡る。守れなかった。またしても、守れなかった。この手で、この力で、守りたかったものが、また一つ、奪われた。
 ズキン、と心臓が抉られるような痛みと共に、彼の瞳の奥で、何かが激しく燃え上がった。それは、悲しみでも、怒りでもない。もっと深く、もっと暗い、全てを焼き尽くさんとするような、破滅的な光。宿儺の最後の言葉が、まるで呪いのように、彼の魂に突き刺さる。
 (剣に…飲まれるな…?)
 カガセオは、腰の十握の剣の柄を、血が滲むほど強く握りしめた。柄に刻まれた星の文様が、彼の体温を受けているかのように、微かに熱を帯びた気がした。彼の瞳に宿った光は、もはや覚醒の炎ではなく、夜空で最も禍々しく輝く、凶星のそれであった。

第八章:復讐の刃、虚ろなる月


 両面宿儺の亡骸は、星の民と、数少なくなった飛騨の兵士たちの手によって、悲しみのうちに故郷の山へと運ばれていった。英雄の不在は、星の里に、まるで心臓を抉り取られたかのような、深い喪失感と、声も出ないほどの絶望的な静寂をもたらした。戦いは、あまりにも大きな犠牲の上に、一時的に止んだだけ。その事実は、生き残った者たちの肩に、鉛のように重くのしかかっていた。
 里の空気は淀み、人々の顔からは光が消えていた。破壊された家々の残骸の間を、冷たい風が吹き抜ける。夜になると、傷ついた者たちの低いうめき声と、未来を憂うひそやかな囁きだけが、雨上がりの湿った土の匂いに混じって漂った。
 荒狭は、宿儺が最期まで握りしめていたという、砕けた大剣の鉄片を、ただ無心に磨いていた。かつて神殿があった場所の石段に座り込み、その目は虚ろで、生ける屍のようだった。数日前までの猛々しい闘志も、復讐の炎も、今は宿儺を失った巨大な虚無感の前に、燃え殻のように消え失せていた。磨かれる鉄片の、鈍く冷たい光だけが、彼の目に映っているかのようだった。
 カガセオもまた、深い苦悩の淵に沈んでいた。宿儺との誓いを果たせなかった無念。そして、この打ちのめされた里を、首長としてどう導けばよいのか、全く道が見いだせない。最後の覚醒の代償は、彼の肉体を蝕み続け、立っていることさえ辛い時があった。肺腑の奥が常に熱く、時折、咳と共に血の塊を吐き出す。しかし、それ以上に、心の傷は深かった。
 そんな折、彼は星見と共に、岩室で受け取ったあの密書のことを、重い心で思い出していた。建葉槌命の名で届けられた、タリヒトこそが大侵攻の真の首謀者であるという情報。宿儺という最後の砦を失った今、この密書が持つ意味は、途方もなく重く、そして危険なものに思えた。
 「…タリヒトを討てば、本当に朝廷の風向きが変わるのだろうか」カガセオは、力なく呟いた。「もしそれが真実ならば…あるいは、これ以上の血を止める唯一の道かもしれぬ。だが…暗殺などという手段で、本当に未来が開けるのか? それは、さらなる憎しみの連鎖を生むだけではないのか?」
 星見は、青白い顔で静かに目を伏せた。「星々は…血がさらなる血を呼ぶことを、深く、深く憂いています。人の憎しみが、この地にどれほどの穢れをもたらしたことか…。けれど…タリヒトという存在そのものが、この終わりの見えぬ憎しみの渦の中心にあることも、また事実かもしれません。その大樹の根を断たねば、この戦は永遠に終わらないのかもしれません。…どちらが、星々の御心に沿う道なのか…私にも、もう…」 巫女である彼女もまた、答えを見いだせずにいた。
 その時だった。石段に座っていた荒狭が、ガタリと音を立てて立ち上がった。その足取りは、まだ覚束ない。しかし、その虚ろだった瞳には、再び、赤黒い、地獄の業火のような光が宿り始めていた。彼は、カガセオの前に進み出ると、嗄れた、しかし有無を言わせぬ響きを持つ声で言った。
 「…カガセオ様。あの密書…真であろうとなかろうと、俺にはもう、どうでもいい。だが、もし奴が…タリヒトが、あの時の黒幕だというのなら…」 彼は、握りしめていた宿儺の剣の破片を、カガセオの前に差し出した。その鉄片は、彼の指の力で歪んでいるように見えた。 「俺に行くことを、許してほしい。奴の首を取る。これは、俺の戦いだ。妻子の仇。そして…そして、宿儺殿への…俺なりの弔いだ」 その声には、もはや狂気にも似た、揺るぎない決意が込められていた。宿儺の死という絶望が、彼の悲しみを、再び歪んだ復讐の炎へと変貌させたのだ。
 カガセオは息を呑んだ。この男を止めることはできないだろう。だが、一人で行かせれば、確実に死ぬ。そして、それは里への報復を招く。 「…それは、ただの復讐か? 荒狭。それとも、犬死にか?」 「どちらでも構わん!」荒狭は吼えた。「だがな、カガセオ様、もし…もし奴を討てば、本当に朝廷が変わるかもしれんのだぞ! 宿儺殿の死も、あるいは…無駄にはならんかもしれん! このまま朽ち果てるよりは、万に一つの可能性に賭けてみたいとは思わんか!」
 カガセオは言葉に詰まった。荒狭の言う通りかもしれなかった。このままでは、里は滅びる。暗殺は卑劣な手段だ。星の民の誇りに反する。だが、名誉ある戦いなど、もはや幻想に過ぎないのかもしれない。宿儺も、あるいは、この手段を選んだかもしれない…。 彼は、深く、重い息を吐き出した。肺の痛みが走る。
 「…分かった。だが、条件がある。一人では行かせん。俺も、行く」 「カガセオ様!?」星見が悲鳴に近い声を上げる。「お身体が…! それに、首長たる貴方様がそのような…!」 「これは、復讐ではない」カガセオは、荒狭に、そして何より自分自身に言い聞かせるように、低い声で言った。「タリヒトという、この地に禍根を撒き続ける存在を断ち切るための…処断だ。里を生かすための…最後の賭けだ」 その言葉は、彼の唇から出た瞬間、空虚に響いた。
 荒狭は、何も答えず、ただ、その目に宿る炎を、さらに強く燃え上がらせた。
 その夜、月も星も姿を隠した、真の闇夜。カガセオと荒狭は、輝夜が選んだ、気配を消す術に長けた数名の戦士と共に、息を殺して敵地へと向かっていた。目指すは、タリヒトが陣を構えるという、丘の上に築かれた朝廷軍の拠点。風の音にさえ怯えながら、彼らは獣のように闇に紛れ、柵と見張り台が点在する丘へと近づいていく。心臓の鼓動が、まるで警鐘のように、耳元で大きく鳴り響いていた。
 やがて、丘の頂上付近、ひときわ大きな幕舎が見えてきた。周囲には厳重な警備が敷かれているが、夜の闇と、彼らの熟練した隠密行動が、その網をかいくぐらせた。カガセオの合図で、影のように散った戦士たちが、音もなく見張りの兵を始末していく。闇に響く、短い苦悶の声と、肉体が地に落ちる鈍い音。カガセオは、そのたびに、自らの手が血に汚れていく感覚に、唇を噛んだ。胃の腑が冷たくなるのを感じる。
 荒狭は、逸る心を抑え、幕舎の裏手へと回り込む。布の隙間から中を窺うと、灯火の下、数人の武官に囲まれ、地図を広げている痩身の男の姿があった。神経質そうに眉を顰め、何かを指示している。間違いない、タリヒトだ。あの、憎き仇。荒狭の全身の血が沸騰する。
 「――タリヒトォッ!!」
 荒狭は、もはや抑えることのできない咆哮と共に、幕を内側から切り裂いて躍り込んだ! 「な、何奴!」武官たちが驚き、慌てて剣を抜く。タリヒトも、一瞬驚愕に目を見開いたが、すぐに状況を察し、冷たい嘲りの笑みを浮かべた。
 「ほう…星の民の残党か。いや、その面…愚かにも偽情報に踊らされた荒くれ者だな? 随分としぶといことよ。だが、わざわざ冥府への道を急ぎに来るとは、愚の骨頂よな」
 その言葉が、荒狭の最後の箍を外した。 「貴様ぁぁぁっ! よくも…よくも!!」 大剣が、全ての怒りと憎悪を乗せて、タリヒトへと振り下ろされる! タリヒトも腰の刀を抜き放ち、それを受け止める。キンッ! と甲高い金属音が響き渡り、火花が闇に散る。幕舎の中は、一瞬にして死闘の場と化した。
 カガセオも突入し、武官たちを相手に剣を振るう。十握の剣の力は使えない。使えば、この狭い空間では味方をも巻き込みかねない。彼は、ただ、荒狭が目的を果たすまでの時間を稼ぐことに集中した。だが、彼の心は鉛のように重かった。この血生臭い行為の果てに、本当に光はあるのか。疑問が、彼の剣筋を鈍らせる。
 荒狭とタリヒトの死闘は、憎悪と憎悪のぶつかり合いだった。荒狭の攻撃は、獣のように荒々しく、凄まじい。しかし、タリヒトも、見かけによらず相当の手練れであり、その攻撃を紙一重でかわし、的確な反撃を繰り出してくる。互いに傷を負い、血を流しながら、罵り合い、斬り結ぶ。 「なぜだ! なぜ、我らをそこまで憎む!」荒狭が吼える。 「愚か者め! 天津神の秩序に逆らう者どもに、慈悲など無用!」タリヒトが言い放つ。
 その言葉は、荒狭にとって最後の引き金となった。彼は、もはや防御も顧みず、渾身の力を込めた一撃を叩き込んだ! タリヒトの刀が、甲高い音を立てて弾き飛ばされる。がら空きになった胴へ、荒狭の大剣が、吸い込まれるように深々と突き刺さった! 「ぐ…あ…っ…!」 タリヒトが、信じられないものを見るかのように目を見開き、口から大量の血を噴き出しながら、その場に崩れ落ちた。どくどくと溢れ出す血が、彼の周りに赤黒い水たまりを作っていく。
 「…はあっ…はあっ…はあっ…」 荒狭は、血まみれの大剣を杖代わりに、肩で激しく息をついていた。タリヒトの亡骸を見下ろす。仇は討った。長年の怨念は、果たされた。妻子の無念も、宿儺の無念も、これで少しは晴らせたはずだ。 だが、彼の胸を満たしたのは、達成感ではなかった。熱いものが込み上げてくる代わりに、そこには、ただ、冷たく、底の知れない虚無感が広がっていた。妻子の笑顔は、決して戻らない。宿儺の豪快な笑い声も、もう聞けない。この勝利は、あまりにも空っぽだった。彼は、ただ呆然と、己の血塗られた手を見つめた。
 カガセオは、そんな荒狭の背中に、彼の魂が砕け散る音を聞いた気がした。自分が加担したこの行為は、結局、新たな悲しみと虚しさしか生まなかったのではないか。タリヒトの血の匂いが、幕舎の中に満ち、吐き気を催させる。
 「…撤退するぞ、荒狭。早く! 敵が来る!」 カガセオは、茫然と立ち尽くす荒狭の腕を強く掴み、半ば引きずるようにして幕舎の外へと連れ出した。すでに、外では警戒の角笛が鳴り響き、兵士たちの怒号が近づいてきていた。
 闇の中を、彼らは再び息を殺して駆けた。追手の松明の光が、背後で揺れている。虚ろな月が、雲間からわずかに顔を覗かせ、血と虚無感を背負って逃げ惑う彼らの姿を、ただ、音もなく照らしていた。復讐の刃は、確かに仇を貫いた。だが、その代償として、彼らは自らの魂に、決して癒えることのない傷を刻み付けたのだった。

第九章:和睦の糸、断ち切れぬ誇り


 蘇我足人(タリヒト)の非業の死は、大和の宮廷に激震をもたらした。強硬派はその推進力を失い、これまで抑えられてきた穏健派、中でも織物の神・建葉槌命(タケハツチ)の発言力が、水面下で徐々に増し始めていた。彼は、この機を逃さず、長年の悲願であった星の民との和睦を実現すべく、密かに動き出していた。
 タリヒト暗殺から十日ほどが過ぎたある日、星の里にタケハツチ本人からの使者が訪れた。戦いに疲れ果て、未来への不安に沈む里の人々にとって、その報せは新たな緊張の種となった。「建葉槌命様が、近日中に自らお越しになり、カガセオ様と直接お話ししたいと仰せである」――和睦の使者か、それとも新たな罠か。里には、疑念と警戒の空気が再び張り詰めた。
 数日後、タケハツチは、約束通り、ほんの数名の神官風の供だけを連れて、静かに星の里の門をくぐった。武装はなく、その物腰は以前と変わらず穏やかであったが、その目には、この千載一遇の好機を逃すまいとする、強い意志と、ある種の政治的な計算も窺えた。彼は、荒廃した里の様子を目の当たりにし、痛ましげに眉をひそめた。
 広場には、カガセオ、星見、そして未だ心の闇から抜け出せない荒狭や、悲しみを湛えた瞳の輝夜、長老たちが彼を待ち受けていた。周囲を固める戦士たちの槍先は、鈍く、冷たい光を放っている。その視線は、タケハツチの一挙手一投足を見逃すまいと、鋭く注がれていた。
 「再び参上つかまつった、建葉槌命にございます」タケハツチは深く頭を下げた。「タリヒト殿が斃れた今、朝廷内にもようやく変化の兆しが見え始めました。フツヌシ様、タケミカヅチ様とて、これ以上の無益な戦いは国力を削ぐだけと、渋々ながらも矛を収めることを了承されつつあります。今こそ…今こそ、この地に真の和睦をもたらす時かと存じます」
 「和睦…」カガセオは、その言葉を噛みしめるように繰り返した。声には深い疲労と、拭いきれない不信感が滲む。「貴殿の言葉を、どう信じろと? タリヒトが斃れても、朝廷そのものが変わったわけではあるまい。また新たな将軍が、我らを蹂躙しに来ぬと、誰が保証できようか。我らは、あまりにも多くのものを失いすぎた」
 「忘れるものですか、これまでの悲劇を」タケハツチは、痛みを堪えるように目を伏せた。「私も、力及ばず、多くの血が流れるのをただ見ているしかなかった。されど、だからこそ、これ以上の悲しみを繰り返してはならぬのです。私ども織物の神は、異なる糸を、それぞれの色合いや強さを認めながら、一つの美しい布へと織り上げることを本分とします。星の民と大和が、互いの存在を認め合い、新たな世を共に織りなしていく…それこそが、真の安寧への道と信じております」
 荒狭が、地を這うような低い声で吐き捨てた。「綺麗事を…。要は、我らに武器を捨て、朝廷の支配を受け入れろ、そういうことであろうが」その目は、未だ虚無感を湛えながらも、タケハツチへの敵意を隠そうとしなかった。
 「支配、という言葉が適切かは分かりませぬ」タケハツチは静かに、しかしきっぱりと答えた。「ですが、大和の秩序、帝の御稜威の下に入っていただくことは、和睦の大前提となります。しかし…」 彼は、カガセオを真っ直ぐに見つめ、言葉を継いだ。「朝廷は、貴方がた星の民の存在を、公に認めましょう。そして、貴方がたが深く敬う星神への信仰も、これを禁じ、奪うことは決してありませぬ。私が、この建葉槌命の名において、そして朝廷内の穏健派諸氏と共に、必ずや保証いたします」
 その言葉に、広場が大きくどよめいた。信仰を奪わないだと? それは、信じがたい申し出だった。ざわめきが波のように広がる。
 星見が、疑いの目を向けながら、震える声で問うた。「…真でございますか? 我らの祭儀も、この岩室での祈りも、巫女の務めも、これまで通り続けることを…本当にお許しになると?」
 「お約束します」タケハツチは力強く頷いた。「ただし…そのためには、貴方がたにも、朝廷への服属の意思を、明確な形で示していただく必要がございます」 息を詰めて見守るカガセオたちに、タケハツチは、重い、そして残酷とも言える条件を告げた。
 「貴方がたが、父祖代々守り伝えてきたという神剣、十握の剣を、我ら朝廷に献上していただきたいのです。あれを石上神宮(いそのかみじんぐう)の神庫に納めること。それが、星の民が完全に武器を捨て、大和に帰順したことを天下に示す、唯一無二の証となるのでございます」
 瞬間、広場の空気が凍りついた。まるで時間が止まったかのように。十握の剣を…差し出せと? 父の形見であり、里の魂であり、星の力の象徴であり、そしてカガセオ自身の命と繋がっているかのような、あの剣を?
 「ふざけるなッ!!」
 最初に沈黙を破ったのは、荒狭の絶叫だった。彼は獣のように吼え、背の大剣に手をかけた。 「あの剣は、カガセオ様の父上の魂そのものだ! それを、俺たちの仲間を、宿儺殿まで殺した貴様ら朝廷に差し出せだと!? その前に、ここで貴様を叩き斬ってくれるわ!」
 輝夜も、涙を浮かべ、怒りに肩を震わせた。「そんな屈辱…! 剣は戦士の魂です! それを奪うなど、我らに死ねというのと同じこと!」
 里の民からも、堰を切ったように怒号と悲痛な叫びが上がる。「父祖伝来の宝を!」「我らの魂を売れというのか!」「これでは宿儺殿も浮かばれぬ!」広場は再び、激しい感情の渦に飲み込まれた。
 タケハツチは、その激しい反発を、ただ黙って、悲しげな表情で受け止めていた。「…皆様のお気持ちは、痛いほどに分かります。ですが、これが…これが、これ以上の血を流さずに済む、おそらくは唯一の道なのです…」
 カガセオは、民の怒りと、タケハツチの言葉の間で、心が千々に引き裂かれる思いだった。剣を失う? それは考えられないことだ。父の最後の思いが、宿儺の最期の言葉が、この剣には宿っている。これを手放すことは、彼らを裏切り、星の民としての誇りを完全に捨てることに等しい。だが、このまま戦いを続ければ? 里は確実に滅びる。女も、子供も、老人も、皆殺しにされるだろう。あの地獄が、再び繰り返される…。彼の傷ついた身体が、この重圧に耐えきれず、悲鳴を上げている。
( 父上…俺はどうすればいいのです…? この剣は、あなたの魂そのものだ。だが、これを守るために、民の命を犠牲にして良いというのですか…? 宿儺殿…あなたは、俺に剣に飲まれるなと言った。だが、剣を手放すことが、星の民の魂を守ることになるというのですか…? 誇りとはなんだ? 守るべきものとは…命か、それとも…魂か…?)
 彼の心の中で、激しい葛藤が嵐のように吹き荒れていた。首長としての責任、息子としての情、戦士としての誇り、そして、ただ民を生かしたいと願う、一人の人間としての切なる思い。

 広場が怒号と悲嘆に包まれる中、星見はただ静かに目を閉じ、その喧騒から意識を切り離すように、深く息を吸い込んだ。民の痛み、カガセオの苦悩、そして失われる剣への想い…その全てが、彼女自身の胸をも締め付ける。だが、それと同時に、彼女の心の奥底では、岩室で聞いた星々の声が、静かに、しかし確かに響いていた。『形あるものは移ろい、滅びる。されど魂の光は永遠なり…』。彼女はゆっくりと目を開けた。その瞳には、涙ではなく、巫女としての冷徹なまでの覚悟と、この里を導くための道筋を見出したかのような、澄んだ光が宿っていた。そして、カガセオの苦悩に満ちた横顔を見つめると、意を決したように、静かに彼の傍らへと進み出た。

 彼女は、騒ぐ民衆を制するように、穏やかに、しかし凛とした声で語り始めた。 「皆様、お鎮まりください。…剣は、確かに我らにとって何物にも代えがたい宝です。多くの血と、多くの想いが、その鋼には込められています。しかし、考えてみてください。剣は、あくまで形ある『器』に過ぎませぬ。我らが真に守り、敬うべきは、その器ではなく、その内に宿る『星々の力』、そして、我ら自身の心に輝く『星神への信仰』ではないでしょうか」 彼女は、集まった人々の顔を一人一人見つめながら、続けた。 「星神は、剣に宿るのではありません。我ら一人一人の、魂の中にこそ、光として宿るのです。たとえ剣を手放そうとも、我らが星を敬い、里を思い、互いを慈しむ心を失わない限り、星の民の魂が失われることは、決してありませぬ」
 星見の言葉は、まるで清らかな水のように、荒れ狂う人々の心に染み渡っていった。荒狭は、なおも納得のいかない表情で唇を噛んでいたが、その目から、先ほどまでの狂気じみた光は消えていた。輝夜も、涙を拭い、何かを深く考えるように俯いている。
 星見は、最後にカガセオに向き直った。「カガセオ様。道を選ぶのは、首長である貴方様です。どちらの道が星々の御心に沿うのか、私には断言できませぬ。ですが、どちらを選ばれようとも、我らが魂まで失うことはないと、私は信じております」
 カガセオは、星見の澄んだ瞳を見つめ返した。そして、ゆっくりと民衆を見渡し、最後にタケハツチへと視線を向けた。彼の顔には、深い苦悩の跡が、まるで年輪のように刻まれていたが、その奥には、迷いを振り切った、確固たる決意が宿っていた。
 「……分かった。タケハツチ殿。その条件、受け入れよう。十握の剣を、献上する」
 広場に、どよめきとも、ため息ともつかぬ、複雑な音が満ちた。
 カガセオは、言葉を続けた。その声は掠れていたが、強い意志が貫かれていた。「ただし、我らにも条件がある。貴殿が保証した通り、我ら星の民の命と暮らしを、決して脅かさぬこと。そして何より、我らが星神への信仰を、決して妨げぬこと。この約束が、違えられるようなことがあれば…その時は、たとえ剣がなくとも、我らは再び立ち上がるであろう。その覚悟を、ゆめゆめ忘れるな」
 タケハツチは、カガセオの瞳の奥にある、決して折れることのない光を見て、深く、深く頭を下げた。 「…必ず。この建葉槌命、織物の神の名において、お約束いたします。星の民の魂の糸を、断ち切らせはしませぬ」
 荒狭は、天を仰ぎ、奥歯をギリリと噛み締めた。タリヒトを討っても、結局はこの屈辱か、とやるせない思いが込み上げる。輝夜は、そっと目を閉じ、流れ落ちる涙をそのままにした。他の戦士たちも、長老たちも、誰もが言葉なく、この苦渋の決断を、それぞれの胸に刻み込んでいた。これが、生き延びるために選んだ、唯一の道なのだ、と。
 カガセオは、最後に、集まった民に向かって、静かに、しかし腹の底から絞り出すような、力強い声で宣言した。 「皆、聞いてほしい。我らは、剣を手放す。だが、それは敗北ではない! 我ら星の民の魂まで、決して朝廷に売り渡すものではない! 我らの誇りは、この胸に、天上の星々と共にあり続ける! 星は、決して堕ちぬのだ!」
そ の言葉は、重く沈んだ里の空気に、一筋の、しかし消えることのない光を投げかけたように見えた。形あるものを失っても、失われないものがある。その信念を胸に、星の民は、新たな、そしておそらくはこれまで以上に険しい、しかし生きるための道を、歩き始めようとしていた。

第十章:最後の炎、血と涙の果てに

翌 朝には、石上神宮へ向けて発つはずだった。十握の剣を胸に、カガセオは民の未来を賭けて、屈辱の道を歩む覚悟を決めていた。里には、重苦しいながらも、ようやく終わりが見えたことへの、かすかな安堵にも似た空気が漂い始めていた。人々は傷つき、疲れ果ててはいたが、それでも、これ以上の血が流れない未来を、祈るように信じようとしていた。夜明け前の静寂は、嵐の前のそれとは違う、疲弊しきった者たちだけが持つ、深い眠りのような静けさだった。

 だが、その儚い希望は、東の空が白むよりも早く、無慈悲に打ち砕かれた。

 「敵襲ーーーッ! 大和の大軍です! 丘という丘を埋め尽くし、こちらへ向かってきます! フツヌシ、タケミカヅチの旗も!」

 夜通し警戒を続けていた見張り台からの絶叫が、暁闇を切り裂き、里全体を奈落の底へと突き落とした。

 一瞬の静寂。そして、爆発的な混乱が里を襲った。
 「なぜだ!」「和睦の約束は!」「嘘だったのか!」「タケハツチ殿はどうした!」 眠りから覚めたばかりの人々の、信じられないという驚愕と、裏切られた怒り、そして迫りくる死への恐怖がない交ぜになった叫びが渦を巻く。
 里の者に案内された粗末な小屋で夜を明かしていたタケハツチも、その報せに血の気を失い、広場へと駆けつけ、愕然とした表情で立ち尽くしていた。

 「馬鹿な…! ありえぬ! フツヌシ様もタケミカヅチ様も、矛を収めると…! いったい、誰の差し金だ!? まさか、タリヒトの残党が、私の動きを察知して…!?」
 彼の弁明は、もはや誰の耳にも届かなかった。約束は反故にされた。裏切られたのだ。その事実だけが、冷たい刃のように人々の胸を貫いた。

 「やはり…! やはり奴らは、我らを信じてなどいなかったのだ!」

 荒狭が、血走った目で天を仰ぎ、地の底から響くような絶叫を上げた。その手には、すでに宿儺の形見ともいえる大剣が握り締められている。その瞳には、もはや虚無感はなく、ただ燃え盛る破壊衝動だけがあった。
 「もう終わりだ! だが、このまま犬死にするくらいなら、一人でも多く道連れにしてくれるわ! 最後の一人になるまで、戦ってやる!」

 「皆、武器を取れ! 最後の戦いだ!」輝夜も、顔面蒼白になりながら、それでも気丈に叫び、手近な戦士たちに檄を飛ばす。だが、彼らの顔に浮かぶのは、闘志よりも、むしろ深い絶望の色だった。これまでの戦いで、あまりにも多くを失いすぎ、疲れ果てていたのだ。希望という名の糸が、ぷつりと切れた音が聞こえたかのようだった。

 間もなく、地鳴りのような轟音と共に、朝廷軍の先鋒が、破壊された柵を易々と乗り越え、里の中心部へと雪崩れ込んできた。先頭に立つのは、紛れもなくフツヌシとタケミカヅチ。その神威は、以前の比ではなく、もはや一切の躊躇いも、手加減もない。彼らが振るう神剣と太刀は、絶対的な破壊の奔流となって、星の民を文字通り蹂躙していく。

 家々は木っ端微塵に吹き飛び、大地は抉られ、人々は抵抗する間もなく、あるいは悲鳴を上げる間もなく、ただの血肉の塊へと変えられていく。荒狭が、輝夜が、必死に食い止めようとするが、彼らの渾身の斬撃さえ、武神たちの纏う神気に阻まれ、届きさえしない。
 「ぐあっ!」
 荒狭がフツヌシの神剣から放たれた衝撃波で吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられて動かなくなる。輝夜も、タケミカヅチの神速の太刀筋に翻弄され、深手を負ってその場に崩れ落ちた。

 (…もう…終わりなのか…? これが…我らの…)

 里の誰もが、完全なる終焉を覚悟した、その時だった。

 里の中央、かつて神殿があった場所の、崩れかけた石段の上に、静かに立つ人影があった。カガセオだ。彼の身体はボロボロで、立っていることさえ奇跡のように思えた。しかし、その瞳には、諦めなど微塵もなかった。そこには、ただ、全てを燃やし尽くさんとする、恐ろしいほどの覚悟の光が宿っていた。

 彼は、ゆっくりと天を仰いだ。星の見えない曇天を、まるでその奥にある、見守ってくれるはずの星々を、そして先に逝った者たちの魂を見通すかのように。
 (父上、母上、ユキ…宿儺殿…そして、名も知れぬまま散っていった全ての者たちよ…見ていてくれ。俺は、この里を、この民を、決して見捨てはしない。この命が燃え尽き、灰になるとしても…!)

 次の瞬間、カガセオは絶叫した。それは、もはや人の声ではなかった。彼の存在そのものが共鳴し、星々の怒りと悲しみを乗せて放たれた、魂の咆哮!
 「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーッッ!!」

 十握の剣が、彼の叫びに呼応した。いや、カガセオの命そのものを燃料として、最後の輝きを放った! それは、紅蓮の炎などという生易しいものではない。夜空に輝く星々、その最も眩しい星々の核から迸るかのような、純粋で、苛烈で、そしてあまりにも美しい、絶対的な光の奔流!
 カガセオの髪は白銀に輝きながら逆立ち、その瞳は、超新星のように赤く、青く、様々に煌めいた。彼の身体からは、もはや熱という概念を超えたエネルギーが放射され、周囲の空間そのものが、陽炎のように、いや、水面のように歪んでいく!

 「な…!? こ、この力は…まさか…!?」
 フツヌシとタケミカヅチが、初めて真の驚愕と、そしてわずかな恐怖の色を浮かべて瞠目した。神である彼らでさえ、これほどまでに純粋で、破滅的な力を、定命の人間が放つのを目にしたことはなかったのだ。

 カガセオは、もはや痛みも、己の存在さえも意識の外に置き、ただ燃え盛る星の化身となって、二柱の武神へと同時に突進した!

 ――音が、消えた。

 いや、あるいは、人間の耳には捉えきれないほどの超高周波の衝撃が、世界を満たしたのかもしれない。カガセオの光の剣と、フツヌシの神剣、タケミカヅチの太刀が、真正面から激突した瞬間、世界から色が失われ、ただ眩い光と、全てを飲み込む闇だけが存在した。空間がガラスのように軋み、大地は巨大な亀裂を生じながら裂け、空は悲鳴を上げて泣いているかのようだった。それはもはや戦いではなく、世界の理そのものが崩壊しかねない、神話の領域の激突だった。

 カガセオは、一歩も引かなかった。否、引くという概念さえ、彼の中にはもはや存在しなかった。彼の剣は、星々の最後の祈りを乗せて、神々の絶対的な力と拮抗する。光が爆ぜ、闇が蠢き、衝撃波が幾重にも里を蹂躙していく。家々は跡形もなく消滅し、大地はマグマのように赤熱し、焦土と化していく。

 「小癪な…! 人の子が、我ら天津神に、ここまで抗うか!」フツヌシが吼える。
 「この力…もはや星神そのもの…! 生かしてはおけぬ!」タケミカヅチが叫ぶ。

 二柱は、ついにその神威を完全に解放した。フツヌシの神剣は天を穿つ光となり、タケミカヅチの太刀は地を割る闇となった。それらが、無数の残像を描きながら、容赦なくカガセオへと襲いかかる。カガセオは、もはや限界を超えた本能と、燃え尽きようとする最後の命の光だけで、それらを捌き、反撃する。だが、その一撃ごとに、彼の身体は内側から崩壊していく。皮膚は砕け散り、そこから血ではなく、星屑のような光の粒子が流れ出し、霧散していく。彼の意識は、すでに白く霞み、ただ、守らねばならぬという一点の思いだけが、彼をかろうじて繋ぎとめていた。

 (…まだだ…まだ…終われない…! 民が…逃げる時間を…最期まで…!)

 最後の力を振り絞り、カガセオは天に向かって十握の剣を突き上げた! 剣先から、これまでで最も巨大な、天をも焦がすかのような光の柱が放たれた! それは空を覆う暗雲を貫き、遥か天上の星々に届かんばかりに伸びていく!

 その、あまりにも神々しく、そしてあまりにも悲痛な光に、フツヌシとタケミカヅチも、思わず動きを止めた。

 だが、それはまさしく、燃え尽きる星が放つ、最後の輝きだった。
 光の柱が、ふっと掻き消える。それと同時に、十握の剣から全ての光が失われ、まるで古びた鉄塊のように力を失った。カガセオの身体からも、最後の光の粒子が抜け落ち、彼は、燃え尽きた灰のように、ゆっくりと、音もなく大地へと崩れ落ちていく。

 「…終わりだ」
 フツヌシが、自らも消耗しながら、しかし冷徹に神剣を構え直し、地に伏したカガセオに止めを刺そうとした。タケミカヅチも、無言で太刀を振り上げる。

 その、絶対的な終焉が訪れようとした、瞬間だった。

 「お待ちくださいッ!!」

 タケハツチが、供も連れず、ただ一人、身を挺して二柱の武神の前に立ちはだかったのだ。その手には何の武器もなく、ただ必死の形相で叫んだ。
 「フツヌシ様、タケミカヅチ様! これ以上、何の益がありましょうや! タリヒトは滅び、星の民はその力を、首長の命さえも、今まさに失おうとしております! 剣も献上されるはずでした! これ以上の戦いは、ただ大和の国力を無意味に削ぐのみ! 天津神の御名においても、この者たちの、滅びを覚悟した抵抗に免じても、どうか、この無益な殺戮をお止めください!」
 彼の声は震えていたが、その瞳には、自らの信念を貫こうとする、捨て身の覚悟が宿っていた。彼は、朝廷内の他の穏健派の名も挙げ、これ以上の強硬策は帝の御心にも反すると、必死に訴えた。

 フツヌシとタケミカヅチは、タケハツチの言葉と、地に倒れ伏しながらも、未だ微かに星屑のような光を放ち続けるカガセオの姿を、そして彼が解放した力の、神である自分たちでさえも脅威を感じたその凄まじさを、改めて見つめた。

 「……」
 「……」

 二柱は、無言で視線を交わした。そこには、タケハツチへの苛立ちだけでなく、カガセオへのある種の畏敬、そしてこれ以上関わることへのわずかな躊躇いのようなものも感じられた。
 やがて、フツヌシが、苦々しげに神剣を降ろした。
 「…よかろう。建葉槌命、貴様の顔、そして…この愚かしくも凄まじき人の子の意地に免じ、今は退く。だが、二度はないぞ」
 タケミカヅチも、忌々しげに太刀を鞘に納め、背を向けた。

 その言葉を受け、朝廷軍は、やや混乱しながらも、しかし上位の神の決定に従い、徐々に撤退を開始した。嵐が過ぎ去ったかのように。

 戦場には、破壊し尽くされた里の惨状と、夥しい数の亡骸、そして、かろうじて浅い呼吸を繰り返すカガセオだけが残された。荒狭が、輝夜が、星見が、生き残ったわずかな民衆が、呆然と立ち尽くす。激しすぎた戦いの後の、あまりにも深く、重い静寂。

 カガセオの命の灯火は、今にも消えそうだった。だが、里は、文字通り灰燼の中から、かろうじて壊滅を免れた。そして、彼らが生き延びるための道は、もはや一つしか残されていなかった。あの、光を失った十握の剣を、大和へ献上するという、血と涙の上に築かれた、苦渋の道だけが。

第十一章: 石上の誓約、魂は屈せず


 あの最後の、あまりにも激しい戦いから、数日が過ぎた。星の里には、破壊された家々の残骸と、癒えぬ傷を抱えた人々の深い溜息、そして死者を悼む声だけが、冷たい風と共に吹き抜けていた。命の炎を燃え上がらせ、灰になりかけたカガセオは、星見たちの不眠不休の看病によって、奇跡的に意識を取り戻した。しかし、その身体は骨と皮ばかりに痩せこけ、力の代償は、彼の命そのものに深い影を落としていた。もはや以前のような力強さはなく、時折激しく咳き込んでは、血痰を吐いた。それでも、彼は行かねばならなかった。
 夜明け前、まだ空が鉛色に沈む刻限。カガセオは、星見と輝夜、そして言葉少なに見送る里の民に背を向け、門をくぐった。その胸には、古い麻布に幾重にも、まるで亡骸を包むかのように丁重にくるまれた十握の剣が、ずしりと、彼の砕け散った心そのもののように重く抱かれていた。彼の供をするのは、大剣を背に負い、その瞳に宿る炎がもはや怒りなのか絶望なのか判別できない荒狭と、数名の寡黙な戦士たち。そして、道案内として、複雑な、しかしどこか安堵の色も浮かべたタケハツチが、静かに同行していた。
 「カガセオ様…どうか、ご無理だけは…」 星見の声は、祈りのように震えていた。輝夜は、ただ唇を強く噛み締め、深々と頭を下げた。その目には、涙の代わりに、何か硬質な決意のような光が宿っていた。カガセオは、二人を、そして彼方の里を振り返ることなく、重い足取りで歩き出した。一歩踏み出すごとに、胸の剣が、まるで最後の別れを惜しむかのように、彼の肋骨に鈍い痛みを伝えてくる。
 (父上…母上…ユキ…宿儺殿…。そして、この戦で散っていった全ての者たちよ…。俺は、この屈辱の道を選ぶ。だが、これは敗北ではない。生き残った者たちが、我らの魂を、星々の記憶を、未来へと繋ぐための…唯一の道なのだと、信じている…)
 大和への道は、焦土と化した大地を踏みしめて進む、苦難の旅路だった。戦火に焼かれた森は黒い骸を晒し、打ち捨てられた畑には雑草が生い茂る。かつて星の民とささやかな交流があったはずの豪族たちの館は、固く門を閉ざし、彼らの存在を拒絶しているかのようだった。その全てが、長きに渡る戦いの虚しさと、星の民が辿り着いた孤立という名の現実を、無言のうちに物語っていた。
 荒狭は、終始、石のように押し黙っていた。ただ、時折、焼け落ちた家々の跡や、道端にうち捨てられた小さな草鞋などを見つめる彼の目に、言いようのない怒りと、深い悲しみが、まるで底なし沼のように揺らめくのを、カガセオは横目で痛切に感じていた。タリヒトを討っても、宿儺の仇を討っても、失われたものは何一つ戻らない。その残酷な真実が、彼の心を蝕んでいるのだろう。カガセオ自身、その虚無感から目を逸らすことはできなかった。
 数日後、疲労困憊の一行は、ようやく石上神宮(いそのかみじんぐう)の高くそびえる鳥居の前にたどり着いた。そこは、厳粛な、しかしどこか人を寄せ付けない冷気を放つ、大和朝廷の武威と神聖さを象徴する場所だった。古色蒼然とした社殿が並び、境内には白い装束の神官や、居丈高な官人たちの姿が見える。そして、彼らを取り巻くように、武装した朝廷の兵士たちが、鋭い視線をカガセオたちに向けていた。その視線には、侮蔑と好奇、そして戦いを終えた「まつろわぬ民」に対する無関心が、あからさまに混じり合っていた。
 タケハツチが、神妙な面持ちで一行を出迎えた。彼は朝廷側の人間でありながら、その表情には星の民への同情の色も窺えたが、今は公の立場を優先せざるを得ないのだろう。 「…ようこそ、お越しくださいました、カガセオ殿。これより、剣の奉納の儀を執り行います。朝廷からも、重鎮の方々が立ち会われます。…決して、貴方がたを辱めるためのものではございませぬ。和睦のための、必要な儀式とお心得ください」 その言葉に、カガセオは力なく頷くしかなかった。もはや、まな板の上の鯉だ。心の痛みなど、とうに麻痺していた。
 玉砂利が敷き詰められた境内の中央へと導かれる。周囲を取り囲む官人たちの冷ややかな視線が、まるで無数の針のように肌を刺す。白い装束の神官たちが、厳かに祝詞を唱え始めた。その声は低く、抑揚がなく、まるで人の感情の入り込む隙間もない、形式的な響きだけが空しく流れる。
 カガセオは、胸に抱いた麻布の包みを、ゆっくりと解いた。現れた十握の剣は、最後の戦いで力を使い果たしたかのように、その刀身の輝きを失い、ただの古びた鉄の塊のようにも見えた。だが、カガセオの手には、その重みと、微かな温もりが、まだ確かに感じられた。父の最後の言葉、宿儺の豪放な笑顔、星見の祈り、荒狭の慟哭…そして、この剣と共に駆け抜けた、血と炎の記憶。手放すことが、これほどまでに魂を引き裂く痛みとは。
 彼は、一歩、また一歩と、祭壇へと進む。まるで、自らの墓標へと歩むかのように、足が重い。そして、最後に、祭壇の前に置かれた白木の台座に、震える手で、そっと剣を置いた。
 カラン、と乾いた、あまりにも軽い音が響いた。 その瞬間、カガセオは、自分の内側で何かが砕け散り、音を立てて崩れ落ちるのを感じた。
 彼は、剣から目を離すことができなかった。父祖代々受け継がれ、星の民の魂そのものであった剣。それが今、目の前で、ただの「物」として、朝廷の前に差し出されている。
 込み上げる熱いものを、奥歯を噛み締めて堪える。そして、固く目を閉じると、ゆっくりと、しかし揺るぎない動きで、その場に膝をついた。泥にまみれた膝が、清められた玉砂利に沈む。そして、深く、深く、まるで大地に許しを乞うかのように、額を地面に擦り付けた。
 その姿に、同行していた星の民の戦士たちの間から、声にならない嗚咽と、抑えきれない怒りの息遣いが漏れた。荒狭は、唇を噛み切り、拳から血が滴り落ちるのも構わず、ただ、灰色の空を睨みつけていた。輝夜は、両手で顔を覆い、その細い肩を激しく震わせている。屈辱。これ以上ないほどの屈辱。誇り高き星の民の首長が、大和の神々の前で、土下座をしているのだ。それは、まぎれもない、完全なる降伏の姿だった。
 神官が、厳かに、しかしどこか事務的に剣を受け取り、豪奢な紋章の刻まれた箱へと納めた。蓋が閉じられ、錠が下ろされる。まるで、星の民の魂そのものが、封印されたかのようだった。
 その時、カガセオは、地に額をつけたまま、静かに顔を上げた。そのやつれた顔に、涙はなかった。ただ、その双眸には、燃え尽きることのない、強い意志の光が、星のように宿っていた。彼は、正面に立つタケハツチを見据え、低く、しかし凛とした、決して忘れさせることのないであろう声で言った。
 「…タケハツチ殿。剣は、渡した。だが、聞け。我らの魂まで、売り渡したわけではない。この地に生き、星を敬い、誇りを持って生き続ける。そのことだけは、ゆめ忘れるな」
 その言葉は、決して大きくはなかったが、しんと静まり返った境内の隅々にまで、染み渡るように響いた。タケハツチは、カガセオの瞳の奥にある、決して折れることのない光を見て、息を呑んだ。そして、朝廷の代表としてではなく、一柱の神として、深く、深く頭を下げた。
 「…心得ております。星の民の信仰は、この建葉槌命が、力を尽くす限り、必ずや守り抜きましょう。織物の糸が、たとえ色や太さが違えども、互いを支え合い、一つの美しい布となるように…これからは、共に、新たな世を織りなしてまいりましょうぞ」
 儀式は終わった。十握の剣は、石上神宮の神庫の奥深くへと消えていった。カガセオは、荒狭に肩を支えられながら、震える足でゆっくりと立ち上がった。
 一行は、誰一人として振り返ることなく、石上神宮を後にした。剣を失った喪失感は、あまりにも大きい。しかし、それと同時に、長きに渡る血塗られた戦いを、自分たちの手で終わらせたのだという、複雑な、そして重い安堵感も、わずかに胸の内にあった。
 彼らがこれから歩む道は、朝廷の監視の下、おそらくこれまで以上に険しいものになるだろう。いつ、信仰が脅かされるか、いつ、再び理不尽な力が襲いかかってくるか分からない。それでも、彼らの心の中には、どれほど厚い雲に覆われようとも、その輝きを失うことのない星々のように、決して消えることのない光が灯っていた。
 カガセオは、神宮の鳥居をくぐり抜け、空を見上げた。雲間から、一筋の、弱々しいながらも確かな陽光が、荒れ果てた大地へと差し込んでいる。
 (星は、決して堕ちない…)
 その確信だけが、傷つき、全てを失いかけた彼の心を、今、静かに、そして強く支えていた。

終章: 星は、なお輝く


 どれほどの歳月が流れたのだろうか。 かつて天香香背男(アメノカガセオ)が率いた星の民の里があったという尾張の山々は、幾重もの紅葉と、深い雪、そして眩しい新緑を経て、その姿を変えていた。戦火が舐め尽くしたはずの斜面は、逞しい木々の緑に覆われ、谷を流れる川の音だけが、太古からの響きを留めている。激しい戦の記憶も、人々の嘆きも、まるで降り積もる落ち葉の下に埋もれ、肥沃な土へと還っていったかのようだった。時の流れは、英雄の武勇も、神々の威光さえも、等しく風化させていく。
 山裾に点在するささやかな集落。茅葺きの屋根が身を寄せ合うように連なり、どの家も山の斜面に抱かれるようにして建っている。軒先には、陽に干された蕨や薬草が風に揺れ、夕暮れ時には、囲炉裏の煙が谷間に細く、静かに立ち上る。その一軒の、煤けた土間で、囲炉裏の火がぱちぱちと心地よい音を立てていた。その柔らかな火影を囲み、深い皺を顔に刻んだ老婆が、目を輝かせる子供たちに、古い古い物語を語っていた。その語り口には、この山里に長く伝わる、朴訥として温かい響きがあった。
 「…そうさのう。昔々はな、この山ん中には、夜空のお星さまを、そりゃあ大事にしとる一族がおったげな。えらい都の衆に逆ろうてな、なんども酷い目に遭うても、決してへこたれんかった。しまいにはな、そりゃあ大事にしとった宝物の剣まで取り上げられてしもうたそうじゃが…それでもな、胸ん中にある、一番大事なもんは、誰にも渡さなんだとよ。誇り、ちゅうもんかのう…それとも、意地かのう…」
 子供の一人が、身を乗り出して問う。「その剣は、どうなっただ? すごい力があったんだろ?」
 老婆は、燃える熾火を見つめながら、遠い目をして答える。「さあ…どうじゃろな。石上(いそのかみ)とかいう、遠いお宮さんにあって、今も静かにしとる、っちゅう話じゃが…。なんでも、ものすごい力があったけど、使うと持ち主もろとも怖ろしいことになる剣じゃったとも聞く。まあ、ただの昔話よ。ほれ、もう夜も更けた。はよ寝なされ」
 老婆自身も、物語の全てを知るわけではない。母から、祖母から、糸を紡ぎ、機を織る手のリズムと共に聞かされてきた、朧げな記憶の欠片。カガセオの名も、荒狭の勇猛さも、宿儺の悲劇も、タケハツチの苦悩も、星見の祈りも、輝夜の涙も、いつしか時の流れの中に溶け、ただ「誇りを失わなかった民」という、輪郭のぼやけた、しかしどこか誇らしい響きを持つ伝承として、この谷間に静かに息づいている。

 遠く離れた大和の石上神宮。その最も奥深く、厳重に封じられた神庫には、今も一振りの古びた剣が、他の無数の武具と共に、深い眠りについているという。十握の剣。かつて星の民の魂であり、カガセオが民の命と引き換えに手放した神剣。その刀身に触れる者はなく、その真の由来、宿された力の意味を語れる神官も、もはやいない。ただ、「まつろわぬ神の荒ぶる力を鎮めるために奉納された、星々の呪いを宿す曰く付きの剣」として、古文書の片隅に、墨痕もなく記されているのみである。剣が今も力を秘めているのか、それとも神庫の闇の中で完全に力を失ったのか、それを知る者は誰もいない。

 しかし、記憶は、形を変え、魂は、受け継がれていく。
かつて星の里があった山の奥深く。そこには、今も苔むした岩室が、忘れられたようにひっそりと口を開けている。訪れる者もいないその洞窟の天井には、雨風に晒されながらも、わずかに星図の痕跡と、岩肌に深く食い込むように残る、錆びついた古い鉄の釘が見えるという。もし、星が降るような静謐な月明かりの夜に、心を澄ませて耳を傾ければ、岩を伝う水の音に混じって、遠い昔の巫女たちの、絶えることのない密やかな祈りの声が聞こえてくるかもしれない。「星は…堕ちぬ…我らの魂ある限り…」と。

 そして、麓の集落では、人々がささやかな、しかし逞しい営みを続けている。朝日を浴びて力強く畑を耕す若者の腕には、どこか輝夜のしなやかさが宿り、夕暮れの広場で子供たちに厳しくも温かい眼差しで棒術を教える寡黙な老人の構えには、荒狭の揺るぎない強さが滲む。里を見下ろす丘の上には、誰を祀るともなく、しかし人々が常に敬意を払う古い石の塚が一つ、風雪に耐えて粛々と佇んでいる。人々は、季節の変わり目には、ささやかな山の幸を供え、そこに静かに手を合わせ、家族の息災と日々の平穏を祈る。それは、カガセオが守りたかった未来の、ささやかな具現なのかもしれない。
夜が訪れ、空に満天の星が、手の届きそうなほど近く、そしてどこまでも遠く輝き始めると、母親が幼い子を腕に抱き、縁側から空を指さす。家の中からは、囲炉裏で煮える粥の香りが漂ってくる。
 「ほら、ご覧。あのお星さまはね、ずうっと昔から、良い時も悪い時も、こうして我らを見守ってくれとるんだよ。だからね、どんなに辛いことがあっても、空を見上げてごらん。きっと、力が湧いてくるから」
子供は、きらきらと目を輝かせ、小さな手を、夜空に輝く無数の光へと懸命に伸ばす。それは、人が人である限り、決して失われることのない、根源的な祈りの姿なのかもしれない。
 文明は移ろい、都は遷り、国は形を変える。歴史は常に勝者によって語られ、敗者の記憶は、都合よく書き換えられ、あるいは忘却の闇へと押しやられる。だが、見よ。夜空に星が輝き続ける限り、あの血と涙の果てに、星の民が守り抜こうとしたものは、完全には消え去らない。
 剣は失われた。里は形を変えた。しかし、星を敬い、仲間を思い、どんな苦境にあっても誇りを失うまいとした人々の魂は、見えない糸のように繋がり、織りなされ、確かに今も、誰かの胸の中に息づいている。
 カガセオが、荒狭が、星見が、輝夜が、宿儺が、そして名もなき全ての星の民が、命を懸けて守ろうとした光。それは、どんな権力も、どんな武力も、決して奪うことのできない、人の心の奥底に灯る、小さくとも消えることのない星。
 見よ、夜空を。 星々は、今宵も変わらず、深く、強く、そしてどこまでも優しく、輝いている。 あの遠い日々の、血と涙を超えた誓いのように。
 星は、決して堕ちぬ。
 (了)


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金森努@マーケティング・研修講師/コンサルタント ありがとうございます! これからも頑張ります。