藍色の共鳴――返らない手紙に、僕は返事を書いた 3
第三章:小さく震える希望
彼が投函した一通の手紙は、巨大な郵便物流システムの中へと、あっけなく吸い込まれていった。それは、奔流に放たれた一滴のインクのように、決して後戻りのできない旅を始めたように思えた。
翌日の勤務は、拷問に近かった。 秋山灯は、今ごろあの手紙を受け取っただろうか。 仕分け作業の途中、ふと手が止まる。彼は、彼女の姿を思い描いた。外出先から帰ってきた彼女が、いつものようにマンションのエントランスで郵便受けを開ける。その中に、見慣れないクリーム色の封筒を見つけた時の、彼女の表情を。
―――その涙は、どんな種類の涙なのだろう。 喜びか。安堵か。それとも、あまりのことに感情が追いつかず、ただ流れるだけの、冷たい雫か。
彼の内側で、もう一人の自分が、冷徹な検事のように彼を問い詰める。 『お前は、彼女が手紙を信じると、本気で思っているのか?』 筆跡が違う。七年間も連絡がなかった不自然さ。彼女はきっと、すぐに偽物だと見破るだろう。手の込んだ悪戯か、あるいはもっと悪質な詐欺の類だと。 そうだ、彼女には友人がいるはずだ。きっと、その手紙を誰かに見せるだろう。そして、その友人は、冷静な目でこう言うのだ。 「灯、これはおかしいわ。警察に相談した方がいい。…わかるの、私には。昔、男に酷い嘘をつかれたことがあるから。こういう手口には、絶対に裏がある」
その想像は、鋭い錐のように研人の胸を抉った。 良かれと思ってしたことが、彼女をさらに混乱させ、傷つけるだけだったとしたら?
その日の帰り道、研人は業務を終えた後にも関わらず、再びバイクを走らせ、彼女の住むマンションへと向かった。明かりの灯る部屋の窓を、遠くの路上から見上げる。あの部屋の中で、彼女は今、どんな気持ちでいるのだろう。知る術は、ない。
アパートに戻り、電気もつけずに、彼は暗闇の中に座り込んだ。 このまま、終わりにするべきだ。一度きりの過ちとして、記憶の底に沈める。それが最良の選択のはずだ。 だが、脳裏に、レターパックを受け取った時の、彼女の静かな瞳が蘇る。もし、自分の嘘が、ほんの一瞬でも、あの翳りを晴らすことができたとしたら。もし、彼女が、半分は疑いながらも、残りの半分で、必死に信じようとしてくれているとしたら。
そのか細い可能性に、彼はどうしても、すがりつきたかった。 一度きりで終わらせてはいけない。この嘘は、あまりに脆い。真実味を帯びるまで、希望として根付くまで、続けなければ意味がないのだ。
研人は、ゆっくりと立ち上がった。 そして、机に向かう。次の手紙は、どこから出そうか。彼は、頭の中に、かつて自分がたらい回しにされた、親戚たちの家の地図を思い浮かべていた。それは、彼の孤独の軌跡であり、そしてこれからは、彼が作り上げる偽りの巡礼の道となるのだ。 心は、まだ罪悪感と恐怖に苛まれている。 それでも彼は、再びペンを手に取った。彼女の中に芽生えたかもしれない、あの小さく震える希望の灯火を、自分自身の手で消すことだけは、どうしてもできなかった。
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