悪役令嬢転生MBA~趣味は事業再生、特技は市場分析ですの~ 27
27・第四章:サプライチェーンという名の生命線
時間は、かかった。 最初の三日間は、まさに、水と油だった。ヴァレリウスは、伝統の技法にない手順を「邪道」と罵り、共和国の老魔術師――名を、バルタザールという――は、ヴァレリウスの頑固さを「蒙昧」と切り捨てた。工房の空気は、まるで、いつ火花が散ってもおかしくない、火薬庫そのものだった。
だが、四日目の昼下がり。 エリザベートが工房を訪れた時、その空気は、明らかに変質していた。 作業台を挟みヴァレリウスとバルタザールが、額を突き合わせるようにして、一つの小さな銀のブローチを、食い入るように見つめている。その周囲を、両陣営の職人と技術者たちが固唾をのんで遠巻きに囲んでいた。
「…馬鹿な。銀という金属は、本来、これほどの魔力親和性を持たんはずだ。お主、どのような金属の配合を…?」
「ふん。企業秘密、というやつだ。それより、長老殿。この、植物の葉脈を模した、一ミクロンにも満たない溝。ここに、魔力を均一に流すための、あんたの『術式』とやらは、どうなっている?」
「…それこそ、我が一族に伝わる、秘中の秘だ」
言葉は相変わらず棘々しい。 だが、その目に宿っているのは、もはや、敵意ではなかった。 互いの計り知れない技術の深淵を覗き込み、そして、それを理解しようとする、職人だけが持つ、畏怖と、探究心の色だった。
そして、七日目の朝。 エリザベートの元に、一つの小さな桐箱が届けられた。 開けると、中には見事な銀細工のブローチが静かに鎮座していた。意匠は、一本の大樹。ヴァレリウスのギルドが誇る、写実的で、生命力に溢れた彫金技術が、その幹や枝の一本一本にまで見て取れる。そして、その枝の先に茂る無数の葉は、銀ではなく、バルタザールの付与魔術によって生み出された小さな幾何学的な結晶で出来ていた。
エリザベートが、そっと、そのブローチに触れる。 すると、ひんやりとした金属の感触と共に、結晶の葉の一枚一枚が、まるで呼吸するように、淡い、柔らかな光を放ち始めた。内側から、じんわりとした、心地よい熱が、指先に伝わってくる。
(――できたのね)
それは、この世界にこれまで存在しなかった、全く新しい「価値」が、産声を上げた瞬間だった。
試作品の成功は、全てを、劇的に変えた。 だが、それは新たな、そして、より巨大な「壁」の出現を意味していた。 この奇跡のブローチは、二人の天才が、七日七晩付きっきりで、ようやく一つ作り上げることができたものだ。これを「商品」として量産し、事業として成立させるには、全く別の次元の課題があった。
その夜、エリザベートは、自らの執務室でレオンハルトとセバスチャンと向き合っていた。 机の上には、共和国との国境付近の、詳細な地図が広げられている。
「バルタザール殿の報告では、この付与魔術を安定して、かつ、大規模に行うための『魔導具』の作成が不可欠とのことね」
「はい。そして、その魔導具の炉心となる部分の作成に、どうしても、触媒として『月長石』が必要である、と。我々が確保できているのは、バルタザール殿たちが持ち出した、ごく僅かな備蓄のみ。これでは、試作品を数個作るのが限界です」
レオンハルトの報告に、エリザベートは、静かに頷いた。
これは、製品の「原料」ではない。 工場そのものである、「生産ライン」を構築するための、たった一度だけ、しかし、絶対に欠かすことのできない、設備投資だ。 この初期投資に失敗すれば、この事業は永遠に、工房レベルの、趣味の領域を出ることはない。
(――サプライチェーンにおける、致命的な『単一障害点(シングルポイント・オブ・フェイラー)』…)
エリザベートの脳裏に、前世で、MBAのケースメソッドで嫌というほど学んだ、数々の企業の倒産事例が蘇る。画期的な製品を開発しながらも、たった一つの、代替の効かない部品の供給を、特定の取引先に依存したがために、その取引先の倒産や、政情不安によって共倒れになっていった、愚かな企業たちの墓標。
「共和国側の月長石の鉱山は、全く当てにできない。違うかしら、レオンハルト?」
「はっ。複数の貴族が利権を争い、内戦寸前の状態です。交渉の糸口すら、見つかりません」
「では、選択肢は、一つしかない、ということですわね」
エリザベートは、地図の別の場所を指し示した。 それは、いかなる国の領土にも属さない、広大な、深い緑色で塗りつぶされた領域。 『沈黙の森』。 人々が、畏怖を込めて、『魔の森』と呼ぶ、禁忌の樹海だった。
セバスチャンが、眉をひそめた。
「…お嬢様。バルタザール殿の古い文献によれば、その森の奥深くに、確かに、月長石の鉱脈が存在するとは書かれております。ですが、その森は、高レベルの魔物たちの巣窟。生きて帰った者は、ほとんどいないと…」
「ええ、知っていますわ。だからこそ、手付かずの資源が、そこには、確実に眠っている」
エリザベートの瞳には、恐怖の色はなかった。 あるのは、二つの、あまりにも劣悪な選択肢を冷静に比較検討する、経営者の冷たい光だけだった。
選択肢A:共和国の鉱山に、交渉の望みを託す。
リスク:交渉がいつ成立するか、全く不明。成立したとしても、内戦が再発すれば、供給は再び停止する。常に、供給元の都合で事業の生命線を握られ続ける。
リターン:交渉がうまくいけば、物理的な危険を冒さずに触媒が手に入る(可能性は低い)。
選択肢B:魔の森に、活路を見出す。
リスク:極めて高い、物理的な危険。踏破には、その道のプロフェッショナルを高額で雇用する必要がある。失敗すれば、投資は全て水の泡となる。
リターン:成功すれば、触媒の、安定的かつ、独占的な供給ルートを自らの手で確保できる。これは、将来、いかなる競合他社も、決して真似のできない、永続的な競争優位性(サステイナブル・コンペティティブ・アドバンテージ)となる。
博打ではない。 これは、短期的な安全(に見えるだけの幻想)を取るか、それとも、計算されたリスクを取り、長期的な、圧倒的優位性を確保しにいくかという、極めて、合理的な投資判断だった。
「レオンハルト」
「はっ」
「王都の、冒険者ギルド本部に連絡を取りなさい」
「…! 冒険者ギルド、に、でございますか?」
レオンハルトの目に、驚きと、困惑の色が浮かんだ。貴族が、あの、荒くれ者たちの集団と、直接関わるなど前代未聞だった。
「ええ」
だが、エリザベートの瞳は揺らいでいなかった。 その瞳は、地図の上の、禁忌の森の、さらに奥を見据えていた。
「この事業の、最初の、そして、最大の『設備投資』を始めますわ。最高の専門家(スペシャリスト)を、見つけ出すのです」
彼女は、静かに立ち上がると、窓の外の闇に沈む荒涼とした自らの領地を見つめた。
「どうやら、少し、遠出をする必要がありそうですわね」
その横顔は、もはや、ただの領主ではなかった。 誰も見たことのない、宝の地図を求めて、未知なる荒波へと、船出しようとする冒険者の顔をしていた。 物語の舞台は、今、静かで、しかし、確実に、混沌と、危険に満ちた、新たな世界へと、その舵を切ろうとしていた。
28・幕間へ→
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