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父の死と33歳の誕生日

今の気持ちを記録しておきたいと思って、noteという場所を借りることにした。
書く意味があるのか、ただの自己満足なのかもわからない。読まれなくてもいいとも思っているのに、それでも、私はここに書いている。やっぱり私は、書くことしかできないから。

自分のノートにジャーナリングもしたけど、すぐにぼーっとして手が止まってしまった。だから、noteを更新するという“枷”を使って、どうにかこの気持ちを書き留めようとしている。
本当は6月、毎日更新したかった。
このnoteは、止まってしまった理由と、今の気持ちの記録。
そして33歳の始まりのnote。


うちは、おそらく機能不全家族だと言えるような家庭環境だった。
だから、こういう家族の問題が起こるたびに、心が大きくかき乱される。

6月11日の朝、父が亡くなったと、母からのLINEで知らされた。
その日はコミュニティの瞑想会があり、私はいつも通り仕事をした。
午後は予定がなかったので、夫に連絡したら忌引きで帰ってきてくれた。

6月12日、夫は一日家にいてくれた。
私には本当は予定があったけれど、変更してもらった。
だけど、家にいたくなくて、現実逃避のように1時間半ほどの場所へドライブに連れ出してもらい、自然の中でぼーっとすることにした。

……実際は、目的地に着いたとたん、母から相続の件で電話がかかってきて、むしろ余計に涙が出てしまったのだけど。
それでも、まだ泣きたくなかった私には家にいない判断は正解だったのかもしれない。

6月13日は、私の33歳の誕生日だった。
いつもはそこまでお祝いしない夫が、今年は珍しく3ヶ月も前から旅館を予約して、いろいろと考えてくれていた。
だから、悲しむよりも楽しみたくて、旅行に行くことにした。
「誕生日旅行が終わるまでは泣かない」と、心の中で決めて。

福島に向かい、喜多方ラーメンを食べ、日本酒の飲み比べができる酒蔵を見学して、一本お土産に選んだ。
夜は、日本酒飲み放題の旅館で一泊。
翌日6月14日は、蔵王キツネ村に立ち寄ってから帰宅した。

正直、体調はあまりよくなかったし、どこかぼーっとしていたけれど、
夫がとても幸せそうで、それがなにより嬉しかった。
いい誕生日を過ごせたと思う。感謝している。

でも、夜になってふと
「明日はちょうど父の日か」
と気づいたとき、涙があふれてきた。

「もう悲しんでもいいかな」と思って、我慢をやめて、ひとしきり泣いた。


私は、悔しかったんだと思う。
父がいなくなったことはもちろん寂しいし、悲しい。
でも――
家族の中で、唯一そう思っていた私が、父の最期に会えなかった。
それが、ただただ悔しかった。

亡くなること自体は、もうとっくに覚悟していた。後悔もない。
ちゃんと悲しんでちゃんとお別れを出来ている。
だから、これは父に対する感情ではない。

この歪な家族の中で、母と姉に対して抱いている感情が、まだ行き場をなくしている。

だから、
父の死はどこか「呆気ない」と思ってしまった。

誰にも悲しまれず――
いや、むしろ「早く死んでくれた方がいい」「やっと死んでくれてよかった」
そう思われながらこの世を去るのは、どんな気持ちだったのだろう。

最期の瞬間がどうだったのか、私は知ることもできない。
「お墓も残したくないから、骨は海に撒く」と言っていた。

父の人生とは、なんだったんだろう。

この経験は、私のこれからの研究の糧になる。
そして、死生学を広めていきたいという自分の願いの中でも、きっと、大きな意味を持つ出来事だったのだと思う。



毎年、誕生日は一年を振り返る日として大切にしている。
今年で言えば、32歳はどんな一年だったか。
そして、33歳をどう生きたいか。

今回は少し遅れてしまったけど、これからゆっくり振り返りながら考えてみようと思う。
今の私だからこそ考えられることが、きっとあるはずだから。

生活は止めるつもりもないし、仕事もいつも通りする。
でもちゃんと悲しんで、自分を癒してあげて、乗り越えていく。

大丈夫。私は一人じゃないし、最強のノートという相棒もいる。

33歳は、どんな一年にしようか?


まだわからないけど、これだけははっきりしてる。
「ただこの一瞬一瞬を自分そのままで生きていきたい。」



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