My Big Mama (1)
義母の命日がやってくる。日本で暮らしている時はお盆とか○周忌とかにさしたる思い入れもなかったけど、今は逆にそういう仏事が無いのも何だかなぁと思う。季節ごとの仏事って、逝ってしまった人を想うことと、同時に残された人たちの繫がりを確認するためのものなのかもなどと何となく思う。
改めて数えてみたら義母が逝ってから9年もの歳月が過ぎていてびっくりしてしまった今年の夏。
義母が亡くなってすぐ、当時はまだボーイフレンドだったアルゴはスペインの巡礼路を歩いた。亡くなる瞬間、彼はよその州でステージに立っていた。息を引き取る瞬間、ママの横にいたのは、ママの妹と私だけだった。
アルゴとママはそっくりさん。顔も性格も。名前もアナグラムでママの名前のスペルを入れ替えるとアルゴの名前になる。腎臓に大きな病気をしていたがものすごくパワフルで、クレイジーなママだった。これはそんな彼女のお話。
私は彼女をずっとママと呼んでいた。付き合いはじめの頃の私は英語のヒアリングがイマイチだったのと、初対面の時に名前を言われたのだけど、年上の女性、彼氏の母親を下の名前で呼ぶのは抵抗があった。何と呼べばいいのか当時は分からなかったので(ミス〇〇とかミセス〇〇と苗字呼びが普通と後になって知った)アルゴに言われるまま、ママと呼んでいた。
アルゴにはママの死後、交流のない兄と弟がいる。ママが兄を生んだのは彼女が16歳の時。兄が生まれて3日後に兄父は地下鉄に突き落とされて亡くなった。ギャングの抗争だったらしい。兄はその殺された父親にそっくりで、名前も同じ(アメリカあるあるで、父親の名前を息子につけることがある)だったので赤ちゃんだった兄はほぼ強奪される様な形で父方の祖母に育てられることになった。兄父、父とはいえ当時18才とか19才だったという。16歳の彼女に何が出来ただろう。経済的保証もなければ、彼女自身がまだ少女と呼ばれる年頃だったのである。
翌年、ママのママ(つまりアルゴのおばあちゃん)が腎臓病の為に亡くなる。40代。パパ(アルゴおじいちゃん)はいたが、おじいちゃんには別に家庭があり、驚いたことにおじいちゃんはそれをどちらの家庭にも気取られないまま、2つの家庭を持っていたのだという。なのでおじいちゃんはお葬式にも来なかったという。ちなみにママ家族がパパ(じいちゃん)の2重家庭に気づいたのはそれから随分、後になってからの話。
ママは10人きょうだいの5番目。ママ(アルゴおばあちゃん)が亡くなった時、上の4人のきょうだいは既に成人していたけど、1番下の弟は4歳。ちなみにこの弟=おじさんと私はほぼ同じ年。上のきょうだいたちが下のきょうだいたちを養う形で生活を始めたという。
ママのきょうだい、上から4番目のおじさんに聞いた。『ママ(アルゴ祖母)が亡くなって失意のどん底で、せめてクリスマスだけでも華やかにしようと思って年上の俺たちはお金をかき集めて、プレゼントやらクリスマスの飾りを盛大にしたんだよ。家中をパーッと明るく飾り立ててさ。そしたらさ、そのクリスマスに家が全焼。俺たちは泣いたよ。古いボイラーが火事の原因だったよ。俺はさ、家がぼーんって爆発音を立ててから、家にいた弟妹達を抱えて逃げるのが精一杯で、全部、燃えちゃったんだ。大人っていっても俺もまだ20代前半でさ。茫然自失ってやつ。そんで、文字通り、何もかも失ったその次の年にアルゴが生まれたんだ。だから、アルゴは生まれた瞬間から俺たちきょうだいにはとても特別な存在でママ(アルゴ祖母)が贈ってくれたプレゼントだって今でも思ってるよ。彼の誕生はさ、俺達にとって希望の光だったんだよ』
そんなおじの言葉を裏付けるように、暴れん坊だった時代から、アルゴはいつだって親戚すじの中で特別だった。義母と同じ顔というのも多分、その原因の1つ。本当に、そっくりさんなのだ。
ただ、アルゴは生まれた時、おじおばたちに囲まれていたわけではない。ママは当時、妊娠に気づいていたが、母親も亡くなったばかり、家は燃えた。そして付き合っていた人とは終わっていたので妊娠を誰にも告げず、軍隊に入っていた。なので、アルゴは実父を知らずに育っている。アルゴは14歳の時に意を決して父だと言われている人に会いに行ったという話があるのだけど、それはまた別の機会にじっくりと記したい。
で、義母のトンデモ入隊話である。もちろん、入隊試験はある。基本、年齢さえokなら身体検査のみ、そんなイージーな時代だった。彼女は1番下の妹(当時12才)の尿を検査に持っていき、まんまと入隊。周りがママの妊娠に気づいた時は時、すでに遅し。すぐに除隊させることもできず、ママは生まれ故郷から遠く離れた軍の病院でアルゴを1人で産んだ。この1番下の妹、というのが後に私と2人、ママの最期に立ち会うことになるおばである。おばは言った『絶対誰にもいうなって脅されて、これにおしっこしてこいって言われて何がなんだかわからなかったわよ』……そらそうだ。12才の女のコ。まさか自分の尿が軍の入隊検査に提出されようとは誰が思いつくというのだ。
それにしたって臨月まで普通の人たちに混じって、普通に軍事訓練を受けていたのだからおっそろしい話である。下手すりゃ、否、下手をせずとも流産の危険はいくらでもあったはずだ。
『誰も妊娠には気づかなかったし、うちにはお金もないし、下に弟妹はいるし、兄姉たちに迷惑かけずになんとか子供を生みたくて、めちゃくちゃなことをして軍隊に潜り込んだのよ』とママは笑って教えてくれた。笑い事ではないが。1番上の姉が軍にいて、軍では諸々の医療などにお金を払わなくて良いらしいと聞いたのでそうしたのだという。その時、ママは18歳。虚偽の検査で軍隊に入ったのでアルゴが生まれてからすぐにママは強制除隊。生まれたてのアルゴを連れて故郷に戻された。ママ曰く、その時の交通費なんかも無料だったからラッキーだったわとのこと。アルゴが生後3日目の事だったという。
なんというか。おそろしくタフなんである。そもそも妊娠中に軍事訓練をうけて、子供を産んですぐに場所移動。しかも陸路。ママは小さい人だった。身長は145センチくらい。若い頃はガリガリで写真を見る限り40キロあるかないか、そんな体格だったのだ。
大都会のゲットーと言われる場所に生まれ育ち、15歳で妊娠。16歳で初めての結婚、出産。初出産の直後、伴侶を殺され、産んだばかりの赤ちゃんを取られ、その翌年、自分の母親を亡くし、家が全焼。無理矢理、軍隊に入り込み、2番目の子供を出産。そんな怒涛の人生。
アルゴはドラマチックな男ではあるが、生まれた頃からドラマ付いているのだ。そして、アルゴのクレイジーで破天荒な性格は、確実にママの血だと思う。そう思うのは私だけでなく、おじおばたちも共通の認識。彼女はおっそろしく気が短く、クレイジーで、やたら喧嘩をしたりしていたので兄姉たちはよく自転車で彼女を探し回ったのだという。
ママは、アルゴの事を息子なんだけどソウルメイトみたいな感じがあると言っていた。喧嘩したり、何か悪いことをしようとするでしょ?分かるのよ。顔も同じだし、性格も似てる。この子は、私の分身みたいな感じ。その分身が選んだ子だからね、あんたは。だから私の娘も同然なのよ。ほら、私、3人産んだけどみんな男の子だったから、娘ができてすごく嬉しいの。そんな風によく言ってくれていた。彼女の笑顔は、様々な修羅場を生きてきた人であるにも関わらず、真っすぐで温かいものだった。
私は私で、1人で知らない国で暮らす中、そんな風に自分を大事にしてくれるママの存在がありがたかったし、自分の母親とは完全に機能不全の関係性だったから、一緒に買い物をしたり、料理をしたり、遊んだりしてくれるママの存在が本当の母親のように思えるようになるのに大して時間はかからなかった。
(その2へ続く)
