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泡沫の1ミリオンダラー(1)

 1ミリオンダラー。日本円にすると1億円。これは当時はボーイフレンドだったアルゴが1ミリオンの契約をかけてとある音楽プロデューサーに面接を受けた時のお話。

 その頃の私は、博士号過程にいる留学生で、アルゴはフリーターだった。付き合い始めた頃は、コミュニティーカレッジに(短大)通い、高校の卒業資格を取ろうとしていたが、オンラインゲームに没頭しすぎて途中で辞めてしまっていた。高校卒業資格は自力でテストを受けて取ったのだけど、その頃のアルゴは音楽活動に夢中だった。

 Slam Poetry(スラムポエトリー。ポエトリーリーディング(詩の朗読)を競う競技会のこと。80年代アメリカで始まった。スラムポエトリージャパンさんのNoteはこちら)アルゴは13歳の頃から大人に交じってスラムポエトリーの活動をしていた。日本語で詩の朗読というとしっとりとした朗読を想像するが、Slam Poetry は激しく、情熱的でそして独特のスタイルがあり、ヒップホップやラップの原型というか、そんな要素がある。最近では、詩人であるアマンダ・ゴーマンさんがバイデン大統領の就任式でThe Hill We Climbという詩を朗読していて話題になったが、Poetryというのはこの国の文化に沢山の影響を与えている。

 アルゴが音楽を始めたのは当然の流れだったと思う。スラムポエトリーの他にも音楽、ヒップホップやラップは彼の人生の全てにおいてとても大きなウェイトを占めるものだったから。

 アルゴは週末のたびにクラブへ行き、イベントに出ていた。そのうち、自分の名前を銘打ったイベントを立ち上げて、ある程度の収益を収めていた。アメリカ中の様々なイベントに招待され、パフォーマンスを行っていた。ヨーロッパのツアーも行った。義母が亡くなった時も彼はイベント出演のため、別の街にいて、最後の時を看取ることはできなかった。当時は、音楽活動から入るお金で生活費を稼いでいたし、ステージネームを入れたグッズや、CDをリリース。当時は今みたいにサブスクリプションなんて文化は無かったけれど、ネットを通したデジタルディストリビューションも行っていた。

 私はヒップホップやラップに何の関心もなく、知識も無かった。私はビジュアル系という言葉ができる前からのV系ヲタで、コスプレからおっかけまで、日本にいる頃はガチガチのバンギャであり、それはこちらに来てからも続いていた。なので、ヒップホップ、アンダーグラウンド・アーティストとしてちやほやされていたアルゴの状況だとか、その凄さとか、さっぱり全然わからなかったし、彼の作品なぞちっとも理解していなかった。ただ、なんとなく、なんかすげぇな、と思うくらいだったが、彼のパフォーマンス、音楽は高い評価を受けていた。これはまた別の話として書く予定だけれど、そもそも私達が付き合い始めるきっかけは、彼の詩作だった。だから、彼の言葉が、音楽が、人の心を揺さぶる「何か」を持つことは知っていたけれど、具体的に何が、どんな風に影響し、評価されているのかといった事には、まったくもってNo ideaだったのである。

 そんなアルゴに契約の話がきた。ちょうど、ヨーロッパを周り、アムステルダムとモロッコでレコーディング(なぜモロッコだったのかはいまだに不明)を終え、帰ってきたばかりの頃だった。相手はとても有名なラッパーを発掘したというプロデューサー。その人はアルゴおじのボーリング仲間だったそうで、たまたまおじが見せたアルゴの動画と音楽に興味を持ち、一度、うちに来てみないかと言われたという流れ。もちろん、アルゴは有頂天であった。ヨーロッパでの手応えもあり、おじ曰く、ミリオンドルの契約もありえる、ということだった。

 Drop off School, Start Rapping

 学校やめて、ラップ始めました。これは、当時のアルゴのスローガン?というか、謳い文句でこの言葉を使い、ステッカーやTシャツなども作成していた。私が思うに、例えば、プロスポーツ選手、エンターテイナー、ラップやヒップホップのアーティスト。これらの人たちは現代版のアメリカンドリームの成功者なのだと思う。特にブラックカルチャーにおいて。アルゴが会ったプロデューサーが発掘したアーティストも元はギャングで、ドラッグディーラーでそういう生活から這い上がったという経歴だ。短大を辞めるとアルゴが言った時に私は一応は止めた。でも当時の彼にとって学校、高等教育の場に意味がなく、意味を見いだせずにダラダラと通うなら時間とお金の無駄だと考え、好きにすれば、という形で彼に同意した。

 アルゴは面接に私を連れていった。「俺の人生が変わるビッグチャンスだから、一緒にいてほしい」というのが彼の言葉だった。本当に一緒にいっていいものかと私は考えた。そりゃぁビッグチャンスだけど、いわばこれはJob Interview、仕事の面接のようなものなのだから、私はいないほうがいいのでは?と思ったし、なんせラップやヒップホップのことをまるで知らない。アルゴの音楽活動について、私は生活的な意味でのサポートはしていたが、基本的にはアルゴのやりたいようにやらせていたから、彼のスケジュールや具体的な収益の数字なんか全然知らなかったし、彼の周りにいる同じようなミュージシャンたちのことも知らなかった。だから私は一緒に行く資格はないような気がしていた。アルゴは、「いや!何いってんだ。君がいてくれたから俺は音楽をやれているんだから、一緒にくるべき」と半ば、強引に私を連れて行ったのだった。

 プロデューサーは大都会からちょっとはずれにある郊外に住んでいた。その場所は、目を見張るようなマンションの立ち並ぶ土地だった。マンション、というのは日本のマンションの意味とは異なり、マンション=大豪邸という意味になる。車を運転しながら、ほえ~、これがセレブのおうちかぁと私は阿呆のように口を開けていた。テレビでよく見るセレブのおうち、が目の前にあるのだ。期待と緊張に胸を膨らませているアルゴの隣で、私はぼんやりとここいらは税金とかも高そうよねぇ、などとそんなことを考えていた。

(その2)に続く

 

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