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折り鶴とガネーシャと、リキシャに消えたiPhone

9ヶ月の予定だったインド留学は、気づけば2年目を迎えていた。インドというのは、時間の流れはゆるやかなのに、ぼんやりしていると日々は思いがけない方角へ転がっていく。だけれど、思いがけないのは表層的なことで、深層ではすべてがつながっている。そんな感覚が、インドにいるとより濃く感じられる。

ここまでの道のりについては、またゆっくり綴っていきたい。きょうは iPhone をリキシャに置きわすれるという失敗をしてしまった日。


女子校で折り鶴を折る朝

日本語教師のラトゥールさんのお誘いで、今朝はプネーの市街地にある女子中学校へと出向いた。急なお誘いで、すこし距離もあったので行ける気がしなかったのだけれど、「待っています」というメッセージに背中を押され、行ってみることにした。

道中の20分、タクシーのなかで、過去に録音した自分のマントラを聴いてみる。自分のチャンティングを聴くという行為は、忘れそうになっていた安らぎを思い出すようなもので、挫けそうな日がつづいた中でも、過去にこんな豊かな時間があったのだと気づかせてくれる。

教室では、ラトゥールさんが200人ほどの女子生徒たちに折り鶴の折りかたを見せていた。スクリーンに手元を映しながら、淡々と折り目をつけていく。わたしは「かぶと」の折りかたを紹介した。簡単なので、みんな迷いなく折れたようでほっとする。ラトゥールさんが「サムライのハットだよ」と説明してくれた。

もうひとりの日本語教師、シュウェータさんとも挨拶を交わし、「日本の歌を教える機会があれば協力できますよ」と伝え、連絡先を交換した。

折り紙の回が終わってから、会議室でランチにドーサをいただき、そのあと校長先生にお会いした。2008年から日本語をカリキュラムに取り入れていること、卒業生のひとりが日本の大学で教鞭をとっていることなど、興味深い話を伺う。また、戻ってくるだろうと感じた場所だった。

女子校では女性教師が大活躍。ピンクのサリーが似合う校長先生。その右隣がシュウェータさん。その右がラトゥールさん。

大人気のガネーシャ寺院へ向かう

別れ際、先日この界隈に来たものの、祭日で人が溢れて寺院に入れなかったと話すと、驚いたことにシュウェータさんのお父さまが、その大人気のガネーシャ寺院を取り仕切っているという。

「並ばずに入れますよ」と言われ、案内していただくことに。ちょうど2日前、わたしのマントラ講座でもガネーシャの賛歌を取り上げたばかりで、胸の奥が震えた。

jaya jaya śrī gaṇeśa
vighneśvarāya
varadāya surapriyāya
lambodarāya sakalāya jagaddhitāya

これから男子校で日本語を教えるというラトゥールさんと別れ、シュウェータさんとリキシャで5分ほど揺られてから、寺院の近くで降りた。ガネーシャ寺院は警察署のすぐ隣にあり、電車の改札のようなゲートを通過して入る。ほんとうなら行列に並ぶはずのところを、すいすいと案内してもらう。

寺院に足を踏み入れた瞬間、胸さわぎがした。そのとき、iPhone がないことに気づいた。リキシャに置きわすれたのかもしれない。どうしよう。

ガネーシャに守られた午後

シュウェータさんは、わたしの手を取り、寺院の改札を出たすぐ横にあるお父さまの事務所に連れていき、「ここで待っていて」と告げると、ひとり街の喧騒へ、リキシャを探しに消えていった。

リキシャを探すって、どうやって?

ひとり事務所のベルベッドの椅子に腰掛け、iPhone がなくなったら手続きは山ほどあるけれど、どうにかなるだろうと、不思議とパニックにはならなかった。

この街には1ヶ月住んで、見覚えのある道も増えてきた。いまできるのは、落ち着いて待つことだけだった。喧騒のなかで心の静けさを見出すこと——きょうもこれがわたしの abhyasa(修練)だ。

10分ほどでシュウェータさんは戻ってきて、「iPhone は学校にあります」と告げ、わたしの手を引いてくれた。学校に置いてきた覚えはなかったけれど、心底ほっとした。

わたしは、インドでの自分の携帯番号すら覚えていない。でも番号を交換していたおかげで、彼女がわたしの番号に電話することができたらしい。

リキシャで5分、学校に戻ると、運転手さんがわたしたちを待っていた。忘れられた iPhone を届けに戻ってきてくれたらしい。

お礼を伝えると、「50ルピー払ってね」と言われる。ここまで戻ってきた運賃なのだろう。もちろんよろこんで、と手渡す。お金をひとに渡すとき、こんなふうに感謝を込めて渡すのが本来なのだと思い出した。

わたしたちのなかには、良心がある。どこかで最善を尽くしたいと願っているし、誰かの役に立ちたいと願っている。どんな小さなことでも、誰かの役に立てたとき、心のどこかがやさしくなる。そのやさしさは、目を閉じて一日をふりかえったとき、胸にあたたかい余韻を残す。この余韻が、困っている誰かの幸せを祈るとき、源泉になるのだと思う。

お寺に戻るリキシャの中で、ラトゥールさんから電話がかかってきた。

「ガネーシャに守ってもらったんですね。気をつけてくださいね」

iPhone を置きわすれた日は、ガネーシャに守ってもらった日だった。

このあと、わたしに起こったことも、どこか神がかっていた。

つづく。


INFORMATION

▶ ガネーシャ寺院

Sri Dagdusheth Halwai Ganpati Temple
dagdushethganpati.com

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