人は恋愛で死にかける。
大学生の頃、古びれたアパートの3階に住んでいて、ある真夜中にドアを激しく叩く音で目を覚ました。
寝ぼけたまま起き上がると部屋の中は真っ白に曇っていて、まだ夢の続きなのだと思ったけれど、夢は咳き込まないので、それが煙だとわかった。
真夜中に近所迷惑だなと思いつつドアを開けると消防士が立っていて、
「火事です、あなたが最後です、早く逃げてください」
と言ったので、パジャマのままスマホをポケットに突っ込んで階段を降りた。
あとでわかったが、それはスマホではなく携帯ゲーム機だった。
煙にむせながら階段を降りていると、財布と通帳を持ち出すのを忘れたことを思い出した。
教科書は、むしろ燃えてほしかった。
アパートは燃えていて、夜空まで真っ赤に染まり、サイレンがあたり一面に鳴り響いていた。
あとで聞けば、隣人のカップルが喧嘩をして、彼女が火をつけたらしい。
恋愛は思ったより燃える。
燃えた部屋の真ん中には、熱で溶けた金属だけが固まって残っていたという。
恋愛のあとに何が残るのかは知らない。
その部屋には金属が残った。
僕には、燃えなかった教科書が残った。
ただ、不思議なのは今でも消防士の言葉だけは覚えていることだ。
「あなたが最後です」
最後。
最後という言葉は卒業式とか、恋人との別れとか、もっと物語のある場所で使われるものだと思っていた。
まさかパジャマ姿の大学生が、携帯ゲーム機を握りしめながら聞く言葉だとは思わなかった。
そしてその夜、僕は恋愛をしていなかったのに、誰かの恋愛で死にかけた。
次の日、ふつうに授業はあった。
講義室の窓から雲一つない青い空を眺めながら、昨夜の火事を思い出した。
あのまま夢を見ていたら。
そんな考えはすぐに教授の低い声にかき消された。
出席を取られて、いたずら書きがされたノートを開いて、眠気と向き合う。
自称筆跡鑑定ができる教授で、代筆はできない授業だった。
世界は何事もなかったように続いていた。
