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なぜ私は、長くて具体的で比喩だらけの文章を書くのか

「たしかにあったはずなのに、気づかれないこと」にスポットライトを当てて生きていきたい。

突然どうした?という感じかもだが、生きているとそんなことを強く思うシーンが多いのだ。

インタビューにしても対談にしても、話していたときはめっちゃおもしろかったのに、記事という形になってしまうと、感動のコアの部分がなくなってしまうなーもったいないなーと感じてしまう。

でもね、誤解しないでほしいのだけど、編集自体はすばらしいのだ。いつだって。「うんうん、あの話していた内容を初見の読者に伝えるなら、こうまとめるのがいいよね」って思うし、できあがっていく過程を見るたびに「うわー、プロだなー、すごい」と思う。私には絶対にできない。

でもその場にいた人からすると、心のどこかに「たしかに、その通りなんだけど。短くまとめることで、いちばん感動したあの出来事は削られてしまったな。まあ、しかたないんだけどね、経緯を知らない人には伝わらないだろうし」みたいな感覚がうっすら残ると思うのだ。

この「経緯を知らない人には伝わらないから削ることで、現場のリアリティが伝わらない」という壁が、越えられない壁としてどでかくドーン!とそびえ立っている気がしている。私はこの現象がとても歯痒くて、とても悲しい。はあ、もったいないなーっていう感覚になる。

だから、私の文章はやたら長く、具体例が豊富で、謎の比喩も多くしている。経緯を知らない人にも伝えたいと強く思っているからだ。

具体例は少なくとも3個は書く。1個よりも2個、2個よりも3個のほうがイメージが湧きやすくて、リアルな感じで理解してもらえると思うからだ。

比喩がなくても伝わるってわかっていても、よりリアルに理解してほしいから入れる。

たとえば「Aさんに励ましてもらって、すごい助かりました」って言うだけでも伝わるかもだけど「ささくれた心にクリームを塗ってもらったような感じでした」も付け加える。

クリームを塗ったことがない人はいないはずだから「ああ、そういう感じだったのね」ってわかってもらいやすいかなと思うのだ。傷口を覆ってもらった感じで捉えているのねと。

クリームの例を入れることで、その現象はささくれで、転んで血が出ているみたいなひどい傷じゃなかったことも結果的に伝わるし、応急処置的に絆創膏を貼った感じじゃなくてだいぶケアもされている感じが伝わる。「すごい助かった」では伝えきれないことが比喩ひとつで伝えられるのだ。

たとえば、この文章、どう思う?

そもそも人は抽象的なことからは学べないし感動もできないと思うのだ。いつだって人の心が動くのは具体的なことだ。たくさんの具体に触れて、自分のなかの臨界点に達したとき、ようやく抽象化されるんだと思う。

私がこのnoteで伝えたいのはこういうことだ。でも、こんな文章を読んでも人の心にはなにも残らないと思っているから、私はできるだけ抽象的に書かないようにしている。

具体例をめちゃくちゃ入れて、具体例を読み終わる頃には、伝えたかったことが脳内でイメージとして浮かんでいればいいなーって思って書いているのだ。

だから私は、めっちゃ長文になっても、こういうふうに書く。

抽象的に言われると、よくわかんなくない?

たとえば、試合の応援に行けなかったとき「今日はどうだった?」って聞いて「みんながんばってたよ」って言われても、「ふうん」以上の情報が入ってこないじゃん。

でも、こんなふうに伝えれば「がんばってた」以上の情報がリアルに伝わるんじゃないかと思うんだよね。

「今日はみんないつも以上に集中してた。いつもはふわふわしててスイッチが入るまでに失点しちゃう感じなんだけど、初回から気合いが入ってて締まってたかな。絶対に勝つぞ!って気迫が伝わってきた。

ピッチャーがボールが続いてキツそうだったとき、内野が自発的にマウンドに集まって流れを変えようとしたりしててさ、「チーム感、出てるじゃん!」って成長を感じたな。しかも後から聞いたら、それ外野の子が「ピッチャーの周りに集まってやれ!」って声をかけてたらしい。子ども達の間でそんな声かけができるようになったんだって感動しちゃった。

〇回に相手のピッチャーが交代してから流れが変わって、〇者連続で塁に出て一気に流れが来たんだよ。〇が三塁打を打ったのが決定的で、その裏の守備でキッチリ守ってからはもう勝った!って感じだったかな。

ほかにも、ケガで試合に出れない子もめちゃくちゃ大きい声で「守備もっと右!」「リード小さいよ!」とかって応援してて、あの子あんな大声出せたの?って感じだったよ。

父母も試合後には「え、カラオケ24時間行ってきた?」ってほど声を枯らして応援してたし、勝ったときには抱きあって泣いてたよ。いつもは怖い監督もその様子を見て目尻が下がってた」

って言ってくれれば「なるほど!めちゃくちゃいい日だったんだね!」ってなるじゃん。そういういろんな感動があるのに「みんながんばってたよ」のひとことにしちゃうと、もったいないなって思っちゃって。

こういう書き方をすると興味ない人は「うざっ」「ながっ!」ってなると思うし、文章のプロからすると「あなたの感想が入りすぎじゃない?1/3、いや1/5にできると思うんだけど」ってなると思うんだけど、

その試合を見に行きたかったけど行けなかった人には喉から手が出るほどほしい情報で、ちょっとだけ行った気になれるんじゃないかなと思うんだよね。

この情報が欲しいのは世界80億人のなかのたった5人だってわかっていたとしても、シェアするために30分、思い出して泣きながらLINEの文章を書いてしまう。

そして、いまその情報に喜んでくれるのはたった5人だとしても、実は未来に300人くらい「そんな世界があるんだ、興味あるな」って思ってくれる人がいるんじゃないかなと思うから、noteで発信してしまう。

私はそういう人間なのだ。とにかく感動したくて、その感動をできるだけリアルに伝えたい。

いったいなにを書いているんだお前は、という感じになってきた。今日はいったんここまで。

たぶん人生を通して「たしかにあったはずなのに、気づかれないこと」にスポットライトを当てて生きていきたいなーと、いまは思っている。そういう生き方ができると、生きてて楽しいんだろうな。

毎日note、201日目でした。


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