40歳になって、急に世界の見え方が変わった話
40歳を迎えたあたりから、なんだか世界の見え方が変わってきた気がします。
同じ出来事でも、感じ方がぐっと変わる。そして「自分にとって何が大事なのか」が、前よりもはっきりわかるようになったというか。
今日は、その“見え方の変化”について書いてみようと思います。
人生にモヤモヤしている人には、なんらかのヒントになるかもしれません。よかったらどうぞ。
あるとき急に、それまではまったく思っていなかったことを思い始めて、自分のやっていることの意味がわからなくなるみたいな経験、ありませんか?
私、いま40歳なのですが、人生で何度かそういう経験をしてきました。
たとえば、30代前半の頃に突然、それまでは大好きだった雑貨や文房具を買うことの意味がわからなくなったことがあります。
当時は雑貨の商品開発の仕事をしていたので、仕事内容と価値観の変化がもろにぶつかって苦しく感じたんです。
この時期は特に、”季節もの”や”流行もの”への嫌悪感が強くなりました。
夏だから夏っぽい素材を使った透明ポーチを作る。クリスマスだからクリスマスグッズを作る。いま流行ってるナントカ刺繍を使った商品を作る。
商品自体は可愛いけど、なんというか「すぐに飽きられて捨てられるためのもの」をせっせと作っているような感覚になってしまい…なんだか虚しくなったんです。急に。
流行を先取ることや、流行を作ろうとすることそのものへの違和感もありました。
流行ってなんのためにあるのか?が、そもそもよくわからなかったのです。流行を作り出せたら偉いのかも、流行をうまく取り入れていたらかっこいいのかも正直ピンとこなくて。
タピオカは、なぜ流行ったのでしょう。タピオカが流行ることは、人間にとってどんな意味があったのでしょう。
タピオカは「社会人として知っておくか」の気持ちで一度だけ友人と飲みました。美味しかったけど、長く続かないブームだろうなと感じました。タピオカが流行ることで人間の生活がよりよくなるイメージが湧かなかったし。
で、たぶん、同じようなことは、多くの人が思ってたんじゃないかなと思うんです。すべてわかったうえで乗っかって、ちゃんと楽しんでるんですよね。
というのが、いまならわかるんですけど。30代前半からちょっと前までの私は、だいぶひねくれていたんです。刹那的な熱狂にどんな意味があるのだろう、みたいなね。
お店を出す側だって、なんでわざわざやるんだろう、みたいな。短期的な売上(の底上げ)のためだとしても、投資を回収できたお店はどのくらいあるのか。みたいなところが気になっていました。うわ〜、なんか、めんどくさいヤツ。
でも。私の場合は、39歳から40歳になる一年で、ものすごく世界の見え方が変わりました。
季節ものは、その季節を自分なりに楽しみたいから買う。流行ものも「こんな感じなんだね」を味わうために買う。それでいいじゃんと、思うようになったんです。
いつもの毎日を、季節やイベントを挟むことでちょっとワクワク楽しいものにする。
その日、その季節を、誰とどんなことをして過ごすか。どんな思い出を作るか。
人生って、そういう選択の積み重ねなわけで。
そう思えたら「飽きられて捨てられるものを作っているのではないか」という虚しさについても、作る側が決めることではないと思えるようになりました。
人がものを買うとき、必ずしも使うこととセットではないし。買ってすぐ壊れても意味があるかもしれないし、プレゼントとして贈ることに意味があるかもしれないし。
30代前半からの私、なんでそんな単純なことがわからなくなっていたんだろう、と振り返ると不思議なのですが。30代の私には、そういう「認知のし直し」みたいなものが必要だったんだと思います。
目の前のことをどう捉えるがすべてなんだろうなと。人生を楽しめるかどうかは「意味づけ力」があるかどうかなんだろうなーと、しみじみ思ったのでした。
…と、子どもの肌着を買いにユニクロに行ったはずが、特設の売り場で来年のカレンダーを買ってしまった私を正当化する12月のある日のnote。

毎日note、62日目でした。
▼ 翌日のnote|企画プランニング屋のアイデアの源の話
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