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特別な体験がなくても、子どもは楽しそうにしている|年長の春に思ったこと

今年は下の子(娘)が年長。入学準備をする年だ。だから「娘の得意を見つける」をテーマに、彼女の観察に力を入れている。

正直な話、息子(上の子)比べて、娘は年少から年中の時期に教育に手をかけてあげられなかったと感じている。

特に息子の野球の代表をやっていた時代は家庭どころではなかった。娘の休日の多くはグラウンドで過ごす時間だったし、任期が終わるまで習い事もさせてあげられなかった。

グラウンドでは大人達や同年代の子ども達に遊んでもらえたし、なんなら自転車の乗り方も教えてもらったし、野球仲間の遊びにもついていけるぶん多様な社会経験は積めていると思う。

でも、息子が同じ年齢のときに得られていた自分優先で一日が過ごせる感覚は少なかったはずだ。

「オレンジ色の電車が来るまでホームで30分待つ」とかの時間の使い方はできていないし、公園で気が済むまで遊ぶこともさせてあげられなかった。

もっと遊びたいという彼女を「そろそろお兄ちゃんが〇〇だから行くよ」と無理やり帰らせたことばかりだ。「ガチャガチャを1回しよう」とかなんとか言いながら。息子のときにはガチャガチャで釣ったことはなかったんだけどな、と思いながら。

兄妹で育て方に差をつけたくなかった。

できるだけ同じように育てたいという思いがあったのに、実際問題として、そうできない現実にずっもモヤモヤしていた。(なのに、息子は「妹に甘い」と言う。いやいやいやと思うけど、彼から見えている世界はそうなのだろう。)

いまにして思えば、そもそも個性が違うのに、同じように育てる必要もなかったのだけど。同じように育てられないのは私のキャパが狭いからだと自分を追い詰めていた。

さらにはここ数年、息子の時代には完全に諦めていた仕事で挑戦したいという気持ちも大きくなってきて「ああ、完全に時間が足りない、どうしよう」と苦しんでいた。

でも、最近なんだか吹っ切れた。

子どもという生き物は、別にものすごく特別な体験をさせてあげなくても、すごい楽しそうにしているのだ。

ぱさぱさになりそうな食パンをフレンチトーストにして焼くだけでも数日は話題にのぼる大イベントになる。ひとり3600円のいちご狩りに家族で行くのと同じくらいの喜びようだ。原価は100倍くらい違うのに。

いくらかかるか、どのくらい特別かなんてことは子どもには関係ない。特別な体験とかいうのは、大人がなんかしてあげた感をおぼえたいからのエゴなのかもしれない。

日常のなかには、キラキラと楽しいことがいっぱいある。

スーパーでかごを押すとか、自分でレジを「ピッとやる」とかでじゅうぶん楽しいのだと思う。「私が押すね!」「私がピッしたい!」「私が袋に入れる!」と、私が私がモードの娘を見ているのも微笑ましい。好きなだけやってくれ。(私が疲れていないときに限るけど)

道端の花の写真を撮って
名前を調べて大盛り上がりした
世間で大ブームのぷにぷにシール
娘もシール帳がほしいと週末に探し回った

年長の1年は、彼女に合った入学準備を、焦らずいっしょにやっていけたらいいなと思う。そんなことを考えながら迎えた、4月のはじまり。

これまでなんとなく先送りしていたいろいろなことに向き合いたい。

その時間をちゃんと作れるように、仕事や生活も整えていこうと思う。そんなことを思った4月のはじめ。

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