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日記。。。これって私の感想ですよね。

今朝、NHK-BSのワールドニュースで、アメリカの国立公園に絶滅危惧種のカエル数百匹を放したというニュースを見ました。
自然保護の取り組みとしては大切なのでしょう。
けれど、正直なところ「それがどうした?」と思いました。
理由は、自分が「生き物」にそれほど興味を持っていないからだと思います。

ふと藤子・F・不二雄 SF短編 コンプリート・ワークス 2に収録された「定年退食」を思い出しました。

高齢化と食糧不足が進んだ未来社会で、56歳を過ぎると「生産人口」から外され(働けない)、75歳以上は「国の扶養対象からも外される」社会です。
「国の扶養対象から外される」というのは、あらゆる社会サービスが受けれないということです。
もともと食糧は配給制で、年を取るほどその配給量は減らされていきます。
主人公はわずかな食糧を冷凍保存し、空腹をしのぎながら静かに生きています。

このお話の怖いところは、人間の命が数字と効率で測られてしまうことです。
社会にとっての存在価値によって、「守るべきもの」と「切り捨てるもの」が冷たく選別されるのです。

その発想は、75歳以上の人に自らの死を選択する制度を描いた「PLAN 75」(2022年)にも通じていると思います。


そう考えると、絶滅危惧種のカエルを守るニュースには、どこか皮肉な感じを持ってしまいます。

その「カエル」には多くの人が知恵と費用を注ぎ込み、生息地を整え、何百匹も放流する。・・・一方で、人間社会では高齢者の生活や尊厳がしばしば「コスト」として語られる。・・・自然を守ることは尊い。
しかし、人間の命に対して同じだけの優しさを持てているだろうか、と考えてしまいます。

もちろん、これは「カエル」保護を否定するつもりはありません。
むしろ、小さな命を大切にしようとする姿勢そのものは素晴らしいと思います。
ただ、その映像を見ながら、自分の頭の中では「定年退食」の世界がよみがえっていました。
トンボを空に放って喜ぶ人々の姿の背後で、静かに配給食を数える老人の姿が重なります。

藤子・F・不二雄 SF短編 コンプリート・ワークス 2より


もともとニュースとは、事実を伝えるだけでなく、私たちが何に価値を置いているかを映し出す鏡だと思っています。

今朝のニュースでは「暑さ対策のため、こまめに水分補給をするように」と注意を促しています。「暑さ対策●●●●」のために?


「カエル」の放流という明るい話題を見て、「それで?」と思ってしまった自分の冷たさに気づくと同時に、「人間」より「カエル」のほうが手厚く保護されるようにも見える現実に、複雑な気持ちになりました。

たぶん、このニュースへの違和感は、「守るべき命」と「見過ごされる命」の境界線について考えてしまったからなのだと思います。
小さなカエルが新しい水辺へ放たれる映像は、自然再生の希望であると同時に、人間社会のあり方を映す一枚の鏡でもあるのではないでしょうか。

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