貯金なし、住所不定無職、赤ちゃん連れで始まった海外移住10年目家族の物語1
Kia Ora Whanau !x
海外自営業サーファー家族のママ、Kanaです
先週からぐっと寒くなり、秋の深まるタラナキ、ニュージーランドより。
以前書いたEver Green構想の記事に、ありがたいことに共感の声を頂き、何件かお問い合わせもいただくようになった。
わたしたちのことを、もう少し知ってもらえるように
まずは、この家族の始まりから今までのことを 綴っていこうと思う。

第一章 出逢いから移住まで
"ニュージーランドってめっちゃmellowでsimpleな国"
初めて隼人くんに出会った日に彼が言った言葉。
"へぇニュージーランド、行ってみたいな"
そう思った私。
2013年、23歳の夏。
私は高校生の頃スノーボードにハマり、
大学ではサーフィンに恋をした。
自然と遊ぶことに夢中になっていたわたしは、その日、 パタゴニアのバイト仲間たちと共に四国へ波乗りに来ていた時に、彼に出会う。
真っ直ぐな人やな、と。 サーフィンが大好きで、それを軸に生きるって決めて動き出してたその姿が、すごく楽しそうで、それがよかったのだと思う。
5歳年上の彼は、大阪の懐石料理店での修行を経て、公邸料理人としてニュージーランドの日本大使館で働きながら、休みの日には波を追いかけNZ中を巡る生活を2年した後に、 少し旅をし、日本に戻り、洋食シェフの友達と二人で 四国に小さなレストランをオープンしたばかりのタイミング。
海の目の前、カウンター席だけの小さなお店。 サーフィンに焦がれるまま大阪から出てきた男二人が作った手作りの看板、愉快でgroovyな近隣ローカルの人たち、 波乗りあとの美味しいトンカツ。素敵な場所だった。
それから数ヶ月、秋が深まるにつれわたしたちは自然と仲良くなり、 春にはわたしも大阪を出て、四国の田舎町で二人暮らしのはじまり。
トトロに出て来そうな、家賃1万円の平屋。
キッチンの裏がそのまま山にひっついているような家で、 朝起きると山の匂いがする。 静かで、虫たちも活発、外に出ると一面の田んぼと空、 その向こうに野根川の桜並木が春には美しく靡く景色が、とても好きだった。

下手くそなギターとサーフィンに明け暮れる日々。 波と食材、そして人に恵まれた四国は 大阪出身のわたしにとって全てが新鮮で、 少し大袈裟かもしれないけど、映画のようだったような気がする。
3年が過ぎた頃、わたし達は結婚することになり、すぐに妊娠。 ほとんど同時期に隼人くんの共同経営者の相方も結婚することになり、 男二人のビーチボーイズノリで始めたお店のバランスが 崩れてしまったんだろうなぁ、と今になれば思う。
わたしたちは四国を離れることに。 家族としての新生活の拠点を話し合った末、 ニュージーランドへ、という話になった。
とゆうことで、長男妊娠5ヶ月の時に 住所不定無職となった親ふたり。
向かう先はニュージーランド🇳🇿言うて本人はノリノリやけど、もちろん周りには反対も。
でも、迷いはなかった。
ワクワクしたから。
それを優先した。
その時に二人で決めたことがある。
色んなことが起きるんやろうけど
全部よくしようって。
それさえできたら大丈夫やんって。
自分たちの基準で決めたことを
全力で全部、楽しもうって。
他の人の声も、人生も、愛も
感じながら、背負いながら、
自分たちの大好きな
サーフィンと音楽をできるだけ
人生かけていっぱいしようって。
それがわたしたちの根っこにある。

ということでわたしは実家に一旦戻り
8月には長男、樹鈴が爆誕。
生後3ヶ月になりお食い初めを終えたと思ったら
父は、単身ニュージーランドへ。
3ヶ月の間サーフィンしながら
仕事、家、ビザを用意してくれた。
ということで生後6ヶ月の樹鈴と
母親としちゃんと共に
無事にタラナキにたどり着いた2017年2月17日


着いてすぐに、New Plymouth空港の小ささがまず可愛くって、気に入った。
あの時の空気は今でも覚えている。
飛行機から見えた富士山そっくりなタラナキ山
2017年2月17日 空港から15分、FITZROYという町外れの小さな一軒家から、 井芹家は始まるのである。

第二章へ続く
