君の話【短編小説】
「ねえ」
隣のベッドから小さな声がした。
「ねえ。ハル、起きてる?」
その声に、必死に寝よう寝ようと閉じていた瞼をしょうがなく開けると、常夜灯のやわらかい光が飛び込んできた。
「んー? なにー?」
わざと気だるそうな声で返事をしながら、左手を枕の下に突っ込む。
「あのさ、明日の朝、起こしてくんね?」
俺が起きていると分かって安心したからか、いつもの声量に戻っていた。
「明日?」
「そう」
「まあ、別いいけど。何時?」
左手を、枕の下で車のワイパーのように動かしながら訊き返す。「んー」と思考を巡らせている時の声が、低い「ド」くらいの高さで鳴って、また質問が返ってきた。
「朝食バイキングって何時からだっけ?」
「えっとね。確か、6時半からだったはず。たぶん」
「じゃあ、7時半で」
「なんでよ」
間髪を入れずにツッコむ半笑いの俺の声が、静寂の部屋に響いた。
「なんでって?」
「いや、6時半じゃなくていいのかなって」
「だって、混みそうじゃん。早く行くと」
「まあね」
遅いほうが混んでなさそうなのは分かる。実際そんな気がするし。ワイパーの動作を止めて、左手をぐっと上の方に差し込んでみた。
「それにさ、大変でしょ起きるの」
「別そんなだけどね。いっつも6時起きだし」
背中側から「へぇ」と、いかにも感嘆したといった声がした。
「カフェイン取ってても、早く起きれんだ」
「カフェイン? ああ、さっきのカフェオレのこと?」
「カフェオレじゃなくて、カフェ"オーレ"でしょ?」
こういう細かいところが、ちょっとウザいと思ってしまう。
「そう、カフェ"オーレ"ね」
俺がほぼ毎日、風呂上がりに飲んでいるヤツ。ルーティンのように身体に沁みついてしまっているせいか、今日もホテルの近くのコンビニで見かけて、つい買ってしまった。
部屋でシャワーを浴びた後、カフェ"オーレ"を飲んでいると、サトウがそのフォルムをじっと見つめながら「数学の立体の問題でさ、こんな図形出てくる時あるよね。分かる? ちょっと難しめの体積求めるやつ」と、唐突に言ってきた。
大きい円錐形から小さい円錐形を引いたフォルムは、日常生活で他には見かけない特殊な形だ。とはいえ、修学旅行先で「数学」なんて単語は、正直聞きたくなかった。
「カフェイン取ってても、慣れてるからかな。別全然起きれる」
「そっか。じゃあ安心して頼めるわ」
続けて「良かったー」と呟くのが聞こえた。今度は、左手を手前側に寄せてみる。
「そしたら7時半でいいのね?」
「うん。その時間で」
「了解」
「ありがと。じゃあ、おやすみ」
俺が「おやすみ」と返そうとしたタイミングで、背後で壮大で軽快なクラシック音楽が鳴った。その音は、間違いなく俺のアラーム音だ。
どうりでなかなかスマホが見つからないはずだ。枕の下に置いたと思っていたが、どうやら検討違いだったらしい。
すっかり薄闇に慣れ切った目を軽く閉じて、寝返りを打ち、左側に顔を向ける。ゆっくり目を開くと、スマホの鮮烈な光が飛び込んできた。音と光の源は、隣のベッドの枕元に斜めに置かれてある。
そこにサトウはいなかった。もちろんいなかった。
「ふー」
俺の深いため息が、部屋に響いた。
手に取ると、スマホの画面に「7:02」と表示された。ロックを解除して、アラームをセットし直す。時間はもちろん7時半だ。
手を伸ばして、さっきと同じ場所にそっとスマホを置く。
ふいに背中に冷気を感じて、また寝返りを打つ。
昨晩、寝る直前に開けた窓の隙間が、気のせいかもしれないけれど、幾分広がっているように見えた。
部屋に差し込む金糸雀色の朝日を遮るように、俺はすっと瞼を閉じた。
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