第二章 一流への道 9-恩返し
夜、ガストロ・ボヌールを去るアルバーノの姿があった。
その表情は沈んでいる。
アルバーノは、正直なところガストロ・ボヌールの中で一番腕の立つ料理人であった、と自負している。
しかし今日、年齢を理由に解雇された。
自分の技術では、老いに敵わなかったということなのだろうか。確かにできることは少しずつ減ってはきているが、職を失うほどのことだったろうか。
そう考えるアルバーノだが、もう解雇されてしまったのだからどうにもならない。
給料がなくなったから、今住んでいる家も手放してグレードの低い家に引っ越さなければ。
「老いることがこんなに煩わしく、悲しいことだとは思わなかったな」
老人の言葉は暗く、重い。
***
Noir L'aubeの営業が今日も終わり、スヴァンが後片付けを終えてリビングに帰ってくると階段付近に時雨が腕を組んで壁にもたれかかっていた。
その横を通り過ぎようとしたスヴァンだが、
「ちょっといいかい、スヴァン」
と、呼び止められる。
「あ? どうした、時雨」
「少し話がある」
そう言って時雨が階段を上っていくため、不思議そうに思いながらスヴァンはついていった。
*
屋上に来ると時雨は振り返り、こう言った。
「余計なお世話かもしれないが、聞いてくれ。アーシェルヴィアの東側にあるレストラン、ガストロ・ボヌールで働いてたアルバーノさんを知ってるよな?」
「あぁ。修行してもらったことがある。……って、まさかアルバーノに何かあったのか!?」
時雨はうなずく。
「彼は昨日、ガストロ・ボヌールを解雇された」
「そんな……なんで」
「彼の年齢は七十に近い。理由はそれだけだ。……と言いたいところだが、おそらくガストロ・ボヌールの支配人より年の功で実権があったアルバーノさんを排除したいと思ったんだろう」
「……」
スヴァンの拳がぎゅっと握られた。時雨はそれを見ていたが、話を続ける。
「彼は長年住んだ家も手放して、もっと家賃の少ない家に引っ越しするつもりらしい。これは業者から得た情報だ」
「俺ちょっと行ってくる」
「あ」
最後に何か時雨が言いかけたことを聞かずに、スヴァンはすごい勢いで階段を降りて行った。
ぽつんと一人残された時雨は手を下ろし、煙草をポケットから取り出す。
「もう一つ言いたいことがあったんだが。まぁいいかな」
時雨は煙草を吸いながら路地を一目散に走っていくスヴァンを眺めている。
ガストロ・ボヌールで一番腕の立つ料理人だったアルバーノはその技量が突出していた。おそらく彼無しではガストロ・ボヌールは長いことやっていけないだろう。
だから、一週間もすればまたガストロ・ボヌール側から料理人として招集されるだろうと、時雨は見越していたのだった。
「まぁ、もしこれでアルバーノさんがとられても、文句は言えないよね。ガストロ・ボヌールさん」
*
最近はめったに通ることが無かったアルバーノの家への坂道をスヴァンは走る。
アルバーノはどん底に居たスヴァンを助けてくれた恩師だ。今度は自分が助けなければと、スヴァンは思っている。
路地を駆け抜けてアルバーノの家へ着くと、外に置かれた椅子に座って月を見上げているアルバーノがいた。
「アルバーノ……!」
スヴァンが声をかけると、驚いたようにアルバーノは振り返る。
「なんだ、お前か。また泣き言でも言いに来たのか?」
いつものアルバーノの小言だが、表情が自嘲気味だった。
それをスヴァンが苦しく思って、切り出す。
「……風の噂で、アルバーノがガストロ・ボヌールを解雇されたって聞いた」
「……お前もか」
「え?」
すると肩を震わせながらアルバーノは激高した。
「お前もワシを嘲りに来たんだろう! そうだ、ガストロ・ボヌールを辞めさせられたワシなんぞただの老いぼれに過ぎん!」
「ちょっ、落ちつけ!」
「あいにくだが、そういうのは間に合ってる。もう帰ってくれ!」
そう言いながらスヴァンを押し返して、アルバーノは家に入って扉を閉めてしまった。
スヴァンが急いで扉を開けようとしたが、鍵がかけられていて開かない。
「違うんだ、アルバーノ!」
弁明しようとするが、扉は開かないままだ。
「……また来る」
スヴァンは肩を落として来た道を戻る。
そうだ、こうなることはアルバーノの気質を知っていたらいくらでも想像がついたはず。
もっと他の言い方は無かったのか?
考えろ、俺。
*
スヴァンがNoir L'aubeに帰ってくると、ホールでダルクが待っていた。
「おかえり、スヴァン。何があった?」
「ダルク……。実は……」
スヴァンは時雨からアルバーノの情報を聞いたこと、アルバーノのもとへ行ったが突き返されたことをダルクに話した。
「なるほどな……。それじゃあ、みんなに聞いてみるとするか」
「聞いてみるって、何を……」
とそこまで言ったスヴァンが目を見開いた。
「アルバーノを、この店に連れてきていいってことか……!?」
ダルクはうなずいた。
「みんなに、アルバーノさんに住み込みで働いてもらっていいか聞こう。大丈夫だ、みんな分かってくれるさ」
そう言いながらスヴァンの背を力強く叩く。スヴァンもうなずいて、二人はリビングへと戻った。
*
ダルクはみんなをリビングに集めた。
「みんな、聞いてくれ。もしスヴァンの恩師のアルバーノさんがうちに住み込みで働くことになってもいいだろうか。まだ来るとは決まってないが……」
ダルクの次にスヴァンが口を添えた。
「アルバーノは小言とか言うし素直じゃねぇけど、良い人だ。料理の腕は多分このアーシェルヴィアで上位だと思う。みんな、頼む」
するとシューレはうなずいた。
「いいんじゃないかなぁ。料理人が増えたら料理を提供する時間が短縮されそうじゃないー?」
トレインもうなずく。
「そうだね。Noir L'aubeの二階の開放も近づくかもしれないし、良いんじゃないかな」
その他一同もうなずいた。
ダルクはスヴァンに笑顔を向ける。
「よかったな、スヴァン。後はお前次第だ」
「あぁ! あと、ダルクに頼みがあるんだけどよ……」
「俺に?」
キョトンとした顔をするダルクに、スヴァンは真面目な表情でうなずいた。
***
次の日の夜。
「本当に俺も行って大丈夫か?」
アルバーノの家へスヴァンはダルクと共に歩いていた。
「むしろお前じゃないとだめかもしれない。アルバーノはシェフの俺だけじゃなくてオーナーのお前の言葉が効く気がする」
「なるほど……」
スヴァンの言葉は一理あるかもしれないとダルクは何度かうなずいた。
「あとは……」
「あとは?」
「頼み込む形で勧誘してみようぜ」
「わかった。行こう」
二人はアルバーノの家の前で一度深呼吸をして、目を見合わせる。
スヴァンは家の扉を叩いた。
「アルバーノ、俺だ。……折り入って頼みがある」
数秒待ってみる。……出てこない。
「アルバーノ!」
もう一度スヴァンが扉を叩こうとするとアルバーノは煩わしそうにドアを開けた。
「聞こえてる。やかましいぞ、なんでお前はいつもこうなんだ!」
そこでダルクがスッと前に出る。
「こんばんは、アルバーノさん」
「お前は……Noir L'aubeのオーナー、ダルクと言ったか」
「覚えていただけて光栄です」
ダルクは恭しく一礼した。
「いったいなんなんだ、お前らは」
「アルバーノ、頼む。うちの店に住み込みで働いてくれないか」
スヴァンの申し出にアルバーノは目を見開いた。
「なにを……もう先がない老いぼれに期待することなどないだろう」
「俺はアルバーノの料理の味を知ってる! その腕を腐らせるにはもったいないこともな!」
「……もっと若くて良い料理人を雇えばいいだろう」
「アルバーノ!」
引き下がるスヴァンを手で制したダルクは続けた。
「アルバーノさん、俺たちは表立って人を募集できない理由があります」
「なんだと?」
「俺たちは……犯罪を犯した過去があります。それを隠して、レストランを営業しているんです」
アルバーノは目を見開いて黙り込んだ。
「……お前もか」
その目はスヴァンを見つめている。スヴァンもまっすぐ見つめ返した。
「あぁ。でも信じてくれ、レストランを始めてからはやってない」
「こんな俺たちですが、助けてもらえないでしょうか。あなたにもリスクがあるかもしれないことは承知の上です」
ダルクの言葉にため息をついて黙り込んだアルバーノは、
「少し、考えさせてくれ」
そう言って静かに扉を閉めた。
「アルバーノ……」
スヴァンのつぶやきにダルクは肩に手を置いてなだめて、二人は帰路に就いた。
***
何も音沙汰がないまま三日が過ぎた。
Noir L'aubeの営業中、スヴァンは色々考え込んでいた。
もう少しアルバーノを信じて待つか、もう一度家を訪ねてみるか。
でも、しつこいのはアルバーノに逆効果かもしれない。
「くそ、どうすれば……」
その時、レストランに客が来た。
「アルバーノさんじゃないか! ようこそNoir L'aubeへ」
ホールにいたトレインの言葉を聞いた途端、はじかれたかのように急いでスヴァンがホールに顔を出す。
そこには、改まった恰好のアルバーノが立っていた。
「アルバーノ、どうしたんだよ。店にまで来るなんて……」
手紙でもくれれば、すぐ迎えに行ったのに。
「今日は客として来た」
「客?」
「スヴァン、ラタトゥイユは作れるか?」
「あ、あぁ!」
「それを頼む」
それを聞いたダルクはスヴァンを小突いて厨房へ促し、トレインに目配せしてテーブルにアルバーノを誘導させた。
「アルバーノさん。当店ではワインもございますが、いかがでしょうか」
ダルクはワインのメニューをアルバーノに見せながら言うと、アルバーノはメニューを見ずに答えた。
「白ワインを頼む」
「ではアエリスがおすすめです」
「じゃあそれを」
「かしこまりました」
ダルクはアエリスという白ワインを注いでアルバーノの席に置き、内心緊張しながら一礼して厨房へと戻る。
*
「できたぜ、ラタトゥイユ!」
スヴァンが料理の皿をトレイの上に置いた。その場に居たのはアレンだ。
「頼んだぞ、アレン」
「はい!」
アレンは意を決した表情でうなずく。
アレンと入れ替わりで厨房に入ってきたダルクはスヴァンに慌てて聞いた。
「おい、アレンで大丈夫か……!?」
「いや、アレンだからこそ良いはずだ」
「……?」
スヴァンはアレンとアルバーノから目をそらさず答えたので、ダルクも見守ることにする。
「お待たせいたしました。ラタトゥイユでございます」
まさか子どもが運んでくるとは思わず、アルバーノは驚く。
「坊主もホールで働いているのか?」
「はい、そうです」
その時、アルバーノはハッとした。
スヴァンから聞いていた、『孤児』の存在。確か名は……。
「坊主、名前はなんと?」
「アレンです」
やはり、そうだ。スヴァンが救った孤児の名前だ。
しばらくアルバーノが見つめていたので、アレンは首をかしげた。
「何か、お気になさることでもありましたか?」
「あぁ、いや。なんでもない。ありがとう」
そうしてアレンは一礼して、その場を立ち去った。
アルバーノはラタトゥイユを少し眺めて一口食べてみる。
「これは……」
*
閉店時間になって他の客が帰り、アルバーノは立ち上がる。
そこにスヴァンがやってきた。
「アルバーノ……、この前の答えを聞けるか?」
するとアルバーノは目線を下げて一息つく。
「今日のラタトゥイユを食べてみて、決めた」
「!」
「たしかに美味かったが、何かが足りない」
「つまり、それは……」
駄目だったか、とスヴァンは拳を握るが。
「……まだまだ、ワシが教えることはあるみたいだな」
「え……?」
「ダルク、ワシの荷物はたくさんあるぞ。数日以内にすべてここに持ってこられるか?」
その言葉を聞いて、ダルクは嬉しそうにスヴァンの背を叩いた。
「もちろんです! これからよろしくお願いします!」
アルバーノがひとつうなずく。
スヴァンが「よっしゃー!」と雄たけびをあげた。
こうして、Noir L'aubeにアルバーノが加入したのだった。
***
数日後、ハミエルの自動車とリヤカーでアルバーノの家に行き、みんなで荷物を乗せていた所。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ!」
高貴な服を着た男数人が待ったをかけた。
その中心に立つ男はアルバーノに近寄った。
「アルバーノさん、ガストロ・ボヌールに戻ってこないだろうか。我々は貴方の力を見くびっていたようだ。給料も今までの二倍にしようではないか!」
その言葉にスヴァンが文句を言おうとして、アルバーノは制止する。
そして、男たちを見て一言こう言ったのだった。
「願い下げだ!」
