清濁併呑
この年になって思うのは
人間が本当に人として学ぶのは
卓上の勉強や組織の研修なんかではなく、
苦労と心の痛みからなのではないかということ。
そして、加えるならその痛みの中で手繰り寄せる素晴らしい人との縁。
知識や情報は昔よりも溢れるほど手に入るし、
なんでも一瞬で調べれば正答がわかる時代。
けれどどうしたって人としての薄さ、
人格そのものは即席では繕えない。
なんでも簡単に注文できて手に入るけれど、
本当に素晴らしい人との縁も簡単には手に入らない。
人生の目的を成功ではなく、人としての完成とするなら、むしろ挫折や失敗は人生の醍醐味なのかもしれない。
目に見える人脈や知識より
地中深く根付く人としての深さはそれこそが肥やしだから。
だからと言って苦しまないでいいとは言わない。
けれど、私たちの魂はきっとその痛みを歓迎してるんだと思う。
だから、人は思い切り泣きながらも、
どこか歓喜の感情を感じることがあるのだろう。
真っ黒い感情も、濁った想いも、
神様が与えた人としてあるべきものだ。
だから
高みの清らかさより、世俗に塗れ、清濁併せ呑む人間こそ、本当に磨かれた魂の持ち主だと思う。
泥に塗れても
底辺に落ちても
そんな人間になりたいのです



