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色男其所此処③~黄表紙にみる江戸の遊びはどんなもの

 うぬぼれ男の万屋与四郎よろずやよしろうの行動を描く黄表紙きびょうし、「色男其所此処いろおとこそこでもここでも万象亭まんぞうてい(1756~1810)作、鳥居清長とりいきよなが(1752~1815)画、天明七年1787鶴屋喜右衛門つるやきえもん刊、上中下三巻の現代語訳を三回に分けて紹介する三回目、最終回。

 


下巻
十四

 深川の遊びも、あまりおもしろくもなく、吉原へ首ったけとなり通いける。風呂桶ふろおけ駕籠屋かごや、仲間の合い言葉で、「旦那だんなもいいご器量きりょうだ」と言えば、「重たい」ということとは夢にも知らず、おおいによろこび、一ずつチップを与える。

与四郎よしろうき込んで通うより、吉原へ通うほうが、温かくていいや」
駕籠かき「やっさ、えっさ、風呂さ」

 


十五

 知ったかぶりの与四郎よしろうは、「吉原でいい女郎に当たりたい」と、最初かられた気で見ていると、女郎にたましいうばわれ、興奮こうふんして失神しっしんし、死んだようになる。

 太鼓持たいこもちの藤兵衛、「めりやす」のふしで呼びかける。三味線しゃみせんも使って、
「♪旦那だんな、生きかえろ~♪」
藤兵衛「旦那だんな様、旦那だんな様、やれ、旦那だんな様、意識がないぞ。これ、のう、旦那だんな様」
 呼ばれた花魁おいらんも、ただ見てもいられず、禿かぶろに言って、声をかけさせる。禿も、どう言っていいかわからず、耳元みみもとへ口を寄せ、大きな声で、
「向こうの人、向こうの人~」

 


十六

 吉原の遊びは、はなはだおもしろく、ひいきの女郎と遊ぶのが最上と、車をこしらえ、ひいきの傾城けいせい、その他、若手の新造しんぞうを乗せ、吉原の中を引いて遊ぶ。
 新造、車で引かれながら、遊女高尾たかお長唄ながうたを歌う。
「♪人のながめとなる身はほんに、千苦せんく万苦まんくの世界。四季の行事は火の車♪」
 今の世は、若い新造さえ、かかる歌を言うようになり、将来はどうなるか、恐ろしいものだ。

 


十七

 どうやらこうやら、なじみの女郎をほてのに決めて、れた二人は心中するものだと、ほてのをぶち殺そうと、長さ八しゃく(2m50㎝くらい)の鉄の棒をこしらえ、布団の下にかくし、ほてのが、「お休みなんしたかえ」と、布団に入るところを、ひらりとかわして、取って投げ、鉄の棒でぶち殺そうとする。
 この物音に驚いて、遊郭ゆうかくの若い者、遣手婆やりてばば(遊女のマネージャー)がかけつけ、ようようになだめる。さてさて、ひやひやするおそろしいことなり。

遣手「これは、まあ、ケンカでもないのになんでしょう。花魁おいらんは、たたかれないようになさいまし」
与四郎よしろう「女郎をぶち殺した後は、俺の命も投げ出している。放せ放せー」

 


十八

 かかるところへ、店の亭主ていしゅ布袋屋ほていや市右衛門いちえもんやって来て、「まことの遊び」についてことごとく教えれば、与四郎よしろう、はじめて色事いろごとのなんたるかをさとり、それより、ほてのと本当の恋仲となる。
 市右衛門いちえもんのセリフは、あまりに長いので、ここに略す。

与四郎「とかく草双紙くさぞうしのオチは、作者の意見か夢オチだが、市右衛門いちえもんの意見は、まことの意見だ」
市右衛門「今までのお遊びは、あんまりむちゃくちゃでしたが、心意気こころいきだけはおありですので、だんだんうまく遊べるようになりますよ」

 


十九

 その後、万屋与四郎よろずやよしろうは、ほてのけ出し結婚し、今日が遊郭ゆうかく最後の日とて、見送りの女郎たち雲霞うんかのごとく、
「ほてのさん、しあわせ者でおす。うらやましいぞよーーー」

めでたしめでたし

清長きよなが
万象亭まんぞうてい

 


 売春を謳歌おうかする、現代では絶対にダメな表現にあふれている作品だが、江戸の庶民は、遊郭ゆうかくを、当たり前に存在するものとして考えていた。十六場面の高尾の歌にあるように、遊女ゆうじょにとっては「苦の世界」ではあったろう。

人のながめとなる身はほんに、千苦せんく万苦まんくの世界
四季の行事は火の車

 花魁おいらんと呼ばれる高級遊女は、和歌や書道にもすぐれていたが、その遊女も、季節ごとの行事の日には必ず客をとらなければならず、客を呼ぶための出費も多かった。

 こんな黄表紙を、江戸の人たちは楽しんでいた。

 


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