十四傾城腹之内②~人間の臓器を擬人化して女郎の生活を描く江戸のマンガ絵本
東洋医学で、ツボは十四経絡あり、五臓六腑の五臓は、肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓。六腑は消化器の、肝(膽)、小腸、大腸、胃、膀胱、三焦(気の通り道)。手には、太陰、少陰、厥陰の三陰、足には、陽明、太陽、少陽の三陽がある。さらに、腹と背に二つの経絡があり、合計十四。
これらを擬人化した黄表紙「十四傾城腹之内」は、芝全交(1750~1793)作、北尾重政画、寛政五年1793年、鶴屋喜右衛門発行の三巻三冊。
その現代語訳(学問的ではなく、かなりの意訳)を三回に分けて紹介する二回目。
みなに内緒で水を使った女郎の心の臓だが、肝が潰れてしまった。
中巻
七

心の臓は、あとの四臓がどう思うかと考えると恥ずかしくて、おおいに心労あるところに、悪いときには悪いことが重なり、ときも暮れのことなので、暮れの片付け、正月の準備、正月の晴れ着をなににしようか、出費が重なるので、だれにいくらもらって、かれにいくらと当てにしていたものが、全部取り消しになれば、今度こそ本当に肝が全部潰れ、どこからともなく、杵や棒が胸からわき出し、胸の中で八人でつくので、心の臓がぐっと上がり、てんてこまいをぞはじめる。
これ、てんてこまいのはじめなり。
心臓「こんな苦しいときもある。てんてんてんてん。借金の狂いだ」
胸がどきどきして、八人でつくので、肝の臓へも影響し、肝の臓は、地震が来たようにふるえあがって、動くこともできない。
肝臓「どっきどき、ぶるぶるぶるぶる、ああ、万歳楽」
雷が鳴ると「くわばらくわばら」と言うように、地震のときは「万歳楽」と言っていた。
万歳は楽しいけれども、女郎は正月が苦しいぞ。
八

客から金の断りの手紙が来て、胸がどきどき、はっと思って肝を潰し、もともと半分潰れかかっていたところへ、今度は本当にぐちゃぐちゃ潰し。今までは肝が太かったのが、にわかに細くなって、やせおとろえ、みしゃみしゃみしゃと平らになって潰れ、おおいにわずらう。
肝(膽)というものは、肝の臓の脇についており、肝の臓の居候なので、いろいろ看病して、いたわる。
肝玉「こう潰れてしまっては、男が立たねえ、腰も立たねえ。わたしの姿は、赤ガエルのようだ」
肝臓「赤ガエルじゃあないさ。肝が潰れてでんぐりカエル。色は青ガエル、姿は風邪をひきガエルのようだ」
九

胸がどきどきおどって、肝を潰すやいなや、癪の虫は、常々、人の悪いやつなので、これはさいわいと、胸にぐっとさしこみ、板のようにつっぱって、花魁を苦しませるので、さっそく、虎屋の解毒黒丸子、金竜丸、陀羅助まで薬を飲みければ、さすがの虫も苦しがり、あっちへ潜り、こっちへ潜り、痛ませるが、鍼灸の鍼を四五本打たれれば、げっぷげっぷと回復のきざしあり。
腹の虫は、おくびょうものにて、癪の虫がせめられるのを見て、虫を殺して小さくなり、ぐうのねも出さず、じっとしている。
丸薬、粉薬、のどより、雨あられと降りくだる。
癪の虫「げっぷ、ぐうぐうぐう、ごろごろごろ。あの鍼は痛い鍼だ。ああ、苦しい」
腹の虫「げっぷげっぷ。おお、恐いことかな。薬が頭へ当たる。ああ、痛い痛い」
十

心の臓、内緒にて水を使い減らしたうえに、今度のことで、いよいよ心労し、気を減らし、腎の臓の水は、みんな減ってしまい、大病となったので、今は心の臓も気の毒に思い、家来ながらも、女房のように介抱してやる。
また、心の臓に小さく付いている臓器に、「新」の字をつけて、花魁おつきの新造ならぬ新臓という臓器あり。これ、心の臓から「の」の字を抜いたもので、年を経ると心の臓となると、ものの本には書いてあるが、本当かどうかは知らないが、それでもそう書いてあるから、ここに記す。作者が勝手に書いたものではなし。
夢は、五臓のわずらいというがごとく、心の臓、うつらうつらと、気の滅入るような恐い夢ばかり見る。うとうとと、こんな大きな夢が、どこから出るか、いたわしい。
大きな沼より、クワイのドロボウが出てきて、腎の臓から、みんな奪い取る。
クワイ「いざ腎臓に、いや、尋常に渡せ~。
心ここにあらざれば、見れども夢なり。これ『大学』に書いてあり。どうだ、まいったか~」
なにやら訳のわからないことを言うが、ここは夢の世界なり。
肝の臓、脾胃袋、毎日、見舞いに来る。
「あなたの胸の内は、わたくしどもが強くぞんじております。たしか、あばら骨に魚の骨が二本刺さっていました」
「なるほど、これは大きな夢がのどから出た。もちっと夢の場面を大きく描くと、画面においらの居場所がなくなる」
心臓「わたしの胸の内を推量しておくれ」
病人が寝ているうちは、あごでハエを追えずにいるので、そばで、新臓が団扇でハエを追ってやるなり。
新臓「それ、ハエハエ、それ、ハエ、なにか馬を追うようだ」
心臓「自分の胸の内を、自分で聞くのもおかしな話だ」
十一

腎の臓は、水が全部減ってしまって、日々、顔色が悪くなれば、今は腹の中で、むやみに性欲がたかまり、火が燃えさかり、火は、腹の中を調子に乗って歩き回り、五臓六腑を熱くさせて、ケンカをしかけ、やけのやん八という悪者になってしまい、腹中が困りはてる。
火「こらあ、おれをだれだと思う。おらあ、やけのやん八さんといって、火の中でも有名な男だ。腹の中で、おれのことを知らねえものはいねえ」
腎臓「こんなこともあろうと思って、火の用心をしていたのに」
火「悔しかったら、水を増やして、おれを消してみろ。水はあるめえ」
十二

酒の好きな者の腹の脾胃袋の脇に、酒が五升も三升も入る徳利のようなものがあって、それへみんな入ってしまう、というに違いなし。
花魁の腹の内に、あめ色の徳利があって、昼夜飲む酒が、これへ、みな入り、腹の中の酒屋のようなものなり。
肝玉(膽玉)は、潰れて以来、肝が細くなって病気になったので、いろいろ治療したが、酒を飲みながら治療すれば、肝が太くなると聞いてから(←ホンマかいな)、毎日、徳利の店へ来て、酒を飲みければ、だんだん肝が太くなり、今では、酒屋に借金ができても、「どうするもんだ。借金で首はもげめえ。なんてことはないさ」と、いけしゃあしゃあと肝が太くなっている。
のどには、ぐいぐい虫という虫がいて、人が酒を飲んでいるのを見ては、ぐいぐいとして、自分も飲みたがる。
徳利「昨夜入ったのは剣菱だ。それそれ、どうだどうだ」
肝玉「頭からうまいうまいと飲むのは、おれとうわばみくらいだろう」
十三

腎の臓の次は、肺の臓なり。
肺の臓は、色白くして、「金」を意味する。しかも、心の臓を取り巻いて、守る役なり。
心の臓は、この肺の臓の家の真ん中に、大きな顔をして座り、人を使うものなり。そこで、肺の臓の商売は、いつも声を出す役で、浄瑠璃でも長唄でも、おちゃっぴいな女の子でも、おしゃべりでも、みんなこの肺の臓から出すので、これは腹の中の芸者なり。そこで、痰が出るのも、咳をするのも、この男芸者の係なり。
腎の臓の水が減ったので、肺の臓は、無性にごほんごほんと咳をして、昼夜に痰が洗面ダライに半分も出るので、商売の浄瑠璃、長唄もできず、稽古も休んでいたところへ、花魁の不養生には、医者から食うなと言われていた、ナスビの生漬けとサトイモを、隠れて買いに行かせて、食ったので、おおいに痰に当たって、痰は怒ってしまい、暴れだし、稽古場所をぶち壊す。
のどの穴から、サトイモとナスの生漬けが、ぱらぱら落ちて、痰の頭に当たり、痰はせきこんで怒る。
虫たちは、ぐうぐうとうなってみたがり、肺の臓のところへ河東節の稽古に行こうとして、
「痰が怒って、浄瑠璃ができない」
と、痰をなだめる。
癪の虫「これ、思い切りゲップをして、しずまってください。そんなことをして虫をつぶす気か」
腹の虫「これはあんまり痰気、いやいや、短気というもんだ」
肺臓「痰がからむというが、そんなにからんだことを言うなよ。おれの顔が立たなくてもいいが、声が立たぬ。つぶれたままだ。
咳が出るうえに、痰のおまえが、そう怒ってはたまらぬ。ごほんごほんごほん、ごほりごほり、うふうふうふ、けんけんけん」
痰「なんにもしていないおれに、ナスビ野郎やイモ野郎が当たってきたので、商売あがったりだ。納得できねえ」
十四

火は、腹の中を歩くうちに、どうにも人が悪くなり、鉄火のごとく熱くなり、着ていたものを一枚脱ぎ、二枚脱ぎ、だんだん脱いで、今は襦袢のようなもの一枚で、火炎の姿になり、酒徳利の店へ来て、酒を飲んではぶうぶう言う。
のどの穴のぐいぐい虫、これも徳利の店へ来て、タダ酒を飲みたがる。
火「その頭の徳利を一杯いきたい。冷やでもいいよ。燗は、おれの火で勝手にするさ」
ぐいぐい虫「親方、わしはぐいぐい虫の喉平というもんだ。一杯飲ませてください。代金はそのうち払いますよ」
徳利「おまえは、あんまり虫のいいことを言いなさる。それはぐいぐい虫ではない。わしの店の無銭飲食のアブラムシだ」
次回につづく、
黄表紙の代表作家、山東京伝の擬人化作品には、こんなものもある、
