黄表紙「従夫以来記」③~異世界を描く江戸のSF絵本
竹杖為軽(1756?~1810)作、喜多川歌麿(1753?~1806)画の黄表紙「従夫以来記」(1784)は、「未来記」のひとつとして現実を茶化して描かれる大人の絵本。その下巻の現代語訳。
下巻
十二

本所柳島に萩寺のおはぎならぬ、ぼたもち寺が建つ。通の遊び人、やって来ておはぎを食べる。
男「会席料理もおいしいものばかりじゃない。昔はここに萩の花が咲いていたそうだが、とにかく花よりぼたもちだ」
男「通は大食いをしなけりゃ本物じゃない。おれはここで十八食ったから十八大通だ」
男「なんと、うめえじゃねえじゃねえじゃねえじゃねえか」
十八大通は、安永・天明期に大通と呼ばれた通人(物事に通じた粋な人)十八人をいう。
萩寺はハギの花で有名だが、萩からおはぎ、ぼたもちときて、ぼたもち寺とする。おはぎも、ぼたもちも本来は同じ物で、春は牡丹の花から、ぼたんもち→ぼたもち。秋は萩の花から、おはぎと名付けられた。
十三

傾城、つまり高級遊女ほど身だしなみやつきあいにお金がかかるので、実際はお金に困っているものだが、こちらの遊女は高利の金を貸し付ける。三回通った客には祝儀を渡し、客はお礼の手紙を出す。金持ちの子どもは、見習いとして遊女につかえる禿となる。
傾城「いつもの店から付け届けが来たかしら」
若い者「もし、花魁、お礼の品が来ました。贈り物はたばこ入れさ」
客「それはそれは、ごもっともですが、もう少しだけお金の返済はお待ちください」
傾城「ばからしゅうおざんす。いつでも同じ言い訳ばかり言いなさるな。都合がつかなければ、利子をふやして、契約書を書き換えましょう。みどり、手形の箱を持って来や」
禿「しげのどん、証文の用紙2枚と印鑑を持ってこいとさ」
十四

お寺の仏像の開帳はよくあるが、こちらは通の人の小道具の開張なり。
僧「そもそも、これにございますのは、月代を青く塗り、てっぺんには本田髷のドラ息子が如来様の御前へ、三味線の音響き渡り、空に花散る人相でございます」
客「あの丼とかいうのが鼻紙入れだとさ。ほんに坊主というものは、よくよくウソをつくものだ」
江戸時代には、通と粋がもてはやされた。
通は、ある物事についてよく知っていること。人情をよく知っていて、さばさばしていること。通人は、世間の物事をよく知る人。人情の機微に通じた人のことをいう。
粋は、気持ちや身なりがさっぱりしていること。人情の裏表に通じている遊び人。粋人と呼び方が変わると、風雅を好む人となり、自分の好きな物にはお金を惜しまずどんどん使う人となる。
十五

江戸時代は、農夫が船でやって来て、ぼっとん便所の肥をもらい(肥料として)、代わりに大根などを渡した。こちらの世界では、農家へわざわざ出かけて、取り賃はいくらでしょうかと頼まねば、くさいものはなかなか取ってはくれない。困ってしまうけど、取ってもらわねば苦情が来る。
農夫「去年の冬大根は穴だらけでしたぞ。肥取りを粗末にすればバチがあたりますよ。いわば、わしらは雪隠神の神主のようなものでござる」
十六

酒が飲めない下戸、もちを食べて酔っ払い、わめきちらす。
子ども「酔っ払いの菓子喰らいやーい」
下戸の男「加茂川で酔い覚ましの水雑炊じゃあなく、甘~い汁粉もちが食いてえ」
連れの男「わかったわかった、連れて行くよ行くよの幾世もち」
十七

月末になっても借金取りはやって来ず、借り手がサイフ持ちを連れて借金を払って歩く。豊かなる世ぞありがたき。
借り手「もう五軒、支払いに回らねばならぬ。借金取りがあちらから来てくれればいいのに」
毎月月末、晦日の日には掛け取りが掛け売りの金を集めに回った。年末の大晦日には一年の借金を払わねばならない。
江戸時代は、現金払いよりも月末払いのキャッシュレスの買い物が当たり前だった。
現実世界とは逆の世界をちゃかしながら描く「従夫以来記」はこれでおしまい。
酒を飲んで暴れている現実世界とは違い、甘い物で酔っ払っていたり、貧しく、借金のかたに売られたはずの遊女が金貸しをしていたり、現実にはありえない話を次々並べる。
こんな作品が江戸時代に読まれていた。

上、中巻はこちら、
おはぎとぼたもちについて少し書いているのは、こちら、
