江戸の遊郭の川柳~誹風柳多留より
江戸時代の川柳を、現代川柳と区別して古川柳という。今まで古川柳を多く紹介してきたが、遊郭に関連したものは現代人になじみが薄いこともあり割愛してきた。けれど、大河ドラマで吉原遊郭が舞台になる時代なので、遊郭に関連した句を今回紹介する。
九郎介へ代句だらけの絵馬をあげ
1-15九郎介へ代句だらけの絵馬を上 まんがちな事まんがちな事
九郎助稲荷は、江戸時代には吉原遊郭の中にあった。縁結びや五穀豊穣の神様とされる。そこに当時流行の俳句を遊女たちが絵馬に書いて奉納するのだが、それが自作ではなく代作だろうという句。
九郎介は男名であるが、NHKのドラマでは女優の綾瀬はるかが九郎助稲荷を演じている。また、「黒」は純粋な白に対して悪のイメージがある。まあ、吉原自体が、もともと葦がたくさん生えていた湿地帯だった。葦の原っぱなので葦原。「あし」は「悪し」につながるので「悪原」。これは都合が悪い。「悪」ではなく「良し」にし、吉原とした。遊郭は良い場所ではなく悪所なので良い場所という意味の吉原としたのだ。
植物のアシじたいも、ヨシとも呼び、アシのすだれをヨシズという。「葦の髄から天井をのぞく」は、アシの小さい穴から世間を見るように、狭い了見で偉そうに意見することをいう。
句の後ろの言葉は前句といい、七七で問題を出す。その答えを五七五で答えたものが古川柳となる。この句では、問題が「まんがちな事」で、自分勝手なことという意味。自分勝手に代作を頼んでいるのが遊女だろうというのだ。
句の前の1-15という数字は、1=初編、15は句の通し番号になる。「誹風柳多留」は毎年川柳の優秀作を集めて出版された。
母親は居続けまでも「かさ」とかけ
2-501母親は居つづけ迄もかさとかけ はやりこそすれはやりこそすれ
性病である梅毒は、コロンブスによってアメリカからヨーロッパに運ばれ、あっという間に世界中に広まった(諸説あり)。鎖国をしていたはずの日本でも大流行し、鼻がなくなったり死亡したりしていた。治療薬が発達した今でも、日本では梅毒患者が増えている。
梅毒が今より恐ろしかった江戸時代には瘡と呼ばれていた。遊女から感染することが多いので、居続けという遊郭に泊まり込む息子を心配し、瘡にかからないように母親は願かけをするのだ。
瘡に効果があるといわれたのが瘡と笠で笠森稲荷だった。六月四日がムシで虫歯予防デーになっているように、日本人は昔からダジャレを日常生活に取り入れている。
前句は「はやりこそすれ」で、梅毒が当時、流行っていたことがわかる。
傾城は一恥かくと流行りだし
3-35けいせいは一はじかくとはやり出し われもわれもと
遊女となった女性は、最初は緊張しているが、つい緊張が緩んで本気でイッてしまうことがある。演技と本気はやはり違い、本気の遊女がいれば話題となり、次々お客がやってくる。
前句は、「我も我もと」客がやってくるものな~にという。商売用の演技をせず本気でイクのは遊女にとっては恥であるが、そこで遊女としての極意を身につけるのだろう。
「しぬまでせっくす」と一時期週刊誌が騒いでいたが、我がえっちは遠くなりにけりだなあ。
タイトル画像は、「新美人合自筆鏡」北尾政演(山東京伝)画、天明四年1784年|蔦屋重三郎《つたやじゅうざぶろう》刊。六代目瀬川の模写で、天明二年1782年に襲名。安永四年1775年に鳥山検校に身請けされたドラマの遊女は五代目瀬川。

「誹風柳多留」の古川柳のまとめはこちらの後半部分に今まで紹介したもの全てを載せている、
