江戸の街角の男と女のあれやこれ~誹風柳多留の江戸の古川柳より
身分社会で男尊女卑の時代だといわれる江戸時代だが、そこに生きるのは今も昔も男と女。
江戸時代の川柳を古川柳という。七七の問題(前句という)があり、それに対する五七五を一般人がつくり投稿する。優秀作には賞金が出るというものだった。
その優秀作を集めた「誹風柳多留」の作品を紹介する。わかりやすい表現にした句と原文の句と前句を並べているが、原文の前の数字は、「誹風柳多留」の巻数と作品番号。
すががきの中を手代は出て帰り
5-45 すががきの中を手代は出て帰り たくさんなことたくさんなこと
吉原では、午後六時、暮れ六つの時間になると、各店いっせいに三味線を鳴らす。ここから夜の営業になるという合図だ。これを「すががき」という。
すががきは、清掻、菅掻などと書き、歌のつかない伴奏のことをいう。
商売人の店の手代は、昼になんとか時間を作って吉原に遊びに来たのだが、いよいよクライマックスの夜の部では、商売があるので帰らなければならない。
前句は「たくさんなこと」で、たくさんの三味線が鳴り、たくさんの楽しみがあることだろう。こんなことが当時の男の楽しみだった。
どこでどう習うてきたか後家の拳
5‐65 どこでどふ習ふて来たか後家の拳 かぞへこそすれかぞへこそすれ
拳は、今でいうジャンケンだが、当時はお座敷遊びのひとつだった。素人の後家が拳をできることがわかったが、さて、どこで覚えたのだろうか。
男だけでなく、女もそれなりに遊んでいた。男女ともに性を謳歌していたのだろう。
数える(「かぞへこそすれ」)のは勝負の勝敗なのか。

虫拳では、ナメクジはヘビに勝ち、カエルはナメクジに勝ち、ヘビはカエルに勝つ。
天井を男の見るはふがいなし
5-18 天井を男の見るはふがいなし かくしこそすれかくしこそすれ
男が天井を見ている体位は騎乗位。女性が上になっている。
前句の「かくしこそすれ」で隠すのは、男女の秘め事ではあるが、騎乗位でせっくすしていることも、男としては恥ずかしかったのだろうか。「ふがいなし」、男としてふがいないことだといっている。とはいうものの、女性上位の体位もあり、せっくすの体位も相撲をまねて四十八手が考えられたりもした。男女ともに性の喜びを探求していたのだろう。
うらやんで爺を起こす姑婆
5-34 うらやんでぢぢいを起すしうとばば いつ見てもよしいつ見てもよし
和風建築は隣の声もよく聞こえる。若夫婦が夜のお仕事をしている声が聞こえてきた。それを聞いて興奮した姑が、隣で寝ている舅を起こし、「わたしたちもがんばりましょう」というのだろう。それを「いつ見てもよし」といっている。
爺とか婆といっているが、若夫婦が二十代だとしても、爺婆はけっこう若い。四十代でも爺婆といっていた。
それよりさらに年とったら、なかなか体が動いてくれなくなる。若いうちにいろいろ体験しておきたいもの。
さつきうな下女前だれを胸へ上げ
4-578 さつきうな下女前だれをむねへ上げ ぞんざいなことぞんざいなこと
手代が仕事に追われている句を紹介したが、下女も仕事に追われている。恋人がやってきて、「もう我慢できないから今晩会おう」といわれても時間がないので、「それなら」と前だれを引きあげて、その場で早急にえっちをしたという句。
当時の女性は腰巻で、下半身の下着は布を巻いているだけだから、裾がまくれたら陰部が見えてしまうし、そのまますぐにえっちができる。とはいっても、その現場を作者が見たのではなく、下女はいそがしいから、きっとえっちもそんなだろうな、と想像した句だろう。
前句の「ぞんざい」は、乱暴でていねいにしないことだが、今は「ぞんざい」なんて言葉を使うのだろうか。ぞんざいにすることが当たり前になってしまっている人が増えてきているように思う。
江戸の町の人と人との風景を、もう一度見直すと、今に生かせるさまざまが見つかることも多い。
「誹風柳多留」の古川柳のまとめはこちらの後半部分に今まで紹介したもの全て載せている、
タイトル画像は、黄表紙「三筋緯客気植田」より
遊郭での男の遊びの理想を描いている。といっても洒落て皮肉っているだけだけど。
