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教え諭すことは大切だが、時には強制的な行動も必要

 少年ジャンプ連載の「ワンピース」で「ワノ国編」が終わった。ワノ国を出航した船長のルフィがむちゃくちゃな航路をとったことに怒り、航海士のナミがルフィをぼこぼこにしている。その画面に「四皇・麦わらのルフィ」と書いてある。史上最強の海賊カイドウを倒して四皇になったルフィが、敵から逃げてばかりのナミにぼこぼこにされる。ただのギャグなんだけど、この画面に子育ての真実も描かれているのではないだろうか。

 子どもに好き勝手させて、時には子どもの攻撃を受けて、ぼこぼこにされる。それでも大事な時にはナミを守って強大な敵に向かっていくルフィと同じように、子どもを守るためには相手が誰であろうと自分の命もかけられる。親だけでなく、教師にも必要なことではないだろうか。命がけのパワーを持っていながら、普段は子どものおもちゃにされる。厳しいだけの船長や、親ではなく、普段は自由に思いっきりさせる。
 そんな人に、私もなりたい。

 ものわかりのいい顔をして、いつもいつも相手の思うように好き勝手させていては、国土を攻撃されることもある。これは国と国との関係。セキュリティの何もない店なら、「ここなら何をしてもいいや」と思う人間がいれば、めちゃくちゃ略奪されてしまう。この国は何をしても攻撃してこないと思えば、武力で攻めてくる国もあるだろう。無抵抗でいると、相手は歯止めがなくむちゃくちゃなことをする。正義の名のもとに無抵抗な国民を大量に虐殺されたのは77年前の日本の姿だ。
 国においても、個人と個人の関係においても、好き勝手にさせるだけではダメだ。ダメなことはダメだと言わなければならない。

 話が横にそれてしまった。子育ての話だ。


 「教師」という言葉は「教えさとす」という意味。
 暴力的な教育や、おしつけの教育はダメに決まっている。子育ても同じだ。親の思い通りに子どもを動かそうとしてもダメだ。子どもに自我が出てくると、親の言うことは聞かなくなる。それが人間の成長。だから、無理矢理何かをさせるのではなく、教え諭して親の考えを伝える。
 教え諭すことは大切だが、極端に教え諭すことばかりする親もいる。つまり、子どもの言うことをなんでも聞く。ダメなことがあればじっくり教え諭す。それでうまくいけばよいが、なんでもかんでも「話せばわかる」という訳にはいかない。いくら周りの国が言っても戦火を広げる国がある。その国には、その国の正義があるのだ。いくら教え諭しても、その国には、その子には、説得されない自分の思いがある。思いがなく、その時々で本能のまま行動する子もいる。

 「死にたい」という子には、話を聞いて、教え諭すことが必要だが、目の前で死のうとしている相手がいたら、話しかけることはもちろんだが、チャンスがあれば無理矢理飛びかかって強制的にとどめることが必要。我々は神様でもないのだから、話して相手を納得させられるとは限らない。だからといって指をくわえていたら、相手は命を絶ってしまう。腕力を使ってでも、相手の行動を抑えなければならない。いくら相手に恨まれようとも、無理矢理相手を押さえつけることも時には必要だ。
 話してわからない人間もいるから、警察も必要だし、裁判所も必要。

 他に対する犯罪ではなく、自分自身の体を傷つける子もいる。ストーブやアイロンに手を当てようとする子がいたら、教え諭す前に押さえつけなければならない。自分からガラスに頭をぶつけようとする子がいたら、問答無用で押さえつけなければならない。小さな子どもの場合は、痛みを伴っても、とにかくダメだということを教え込まなければならない。神様でもない親や教師の言葉が、どれだけ伝わるかわからない。同じことをもう1回するかもわからない。教え諭したつもりが、同じことを繰り返して大ケガをしてしまったら、命を失ってしまったらどうする。悔やんでも悔やみきれない。
 危険なものをキケンだと教えなければならない。痛みも教えなければ、他人の痛みがわからない。教え諭すだけでは伝わらないことがいくらでもある。

 全てに教え諭すことができるというのなら、戦争をしている国に教え諭してほしい。外国までいかなくても、日本の中で犯罪を犯している人や政治家に教え諭してほしい。絶対に間違っているだろうことをしている政治家に、しっかり教え諭してほしい。教え諭すことは大切だが、時には強制的な行動も必要だろう。
 


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