毒は薬にもなり、薬は毒にもなるというソテツの現実
ソテツの木をしっているだろうか。やしの木を縮めたような形をした木だ。各地に大ソテツの木があり、観光名所になっていることも多い。
ソテツの実は食用になるそうだ。だが、実は毒を持っていて、とげのような葉っぱにも毒があるらしい。それでもそれが食用として利用されている。
そういえば、タピオカの原料であるキャッサバも毒がある。もっと身近なものでいえば、コンニャクの原料のコンニャクイモも毒を持っている。人間は、毒を持った植物を無毒化して食用にしているのだ。
ソテツの実には多量のデンプンがある。そのデンプンが貴重な食物となる。
デンプンといえばジャガイモだ。
ジャガイモはデンプンのかたまりで、カタクリという花の根から取れるカタクリ粉の代用にジャガイモのデンプンを使ったりしている。カタクリ粉は、ほとんどジャガイモから作られているのだが、昔の名残でカタクリ粉と呼ばれているのだ。
クズの根から取れるクズ粉からはクズ餅を作るし、ワラビの根のデンプンからワラビ餅を作る。これらは全て、根から作るデンプンだ。
ソテツにもどると、各地に大ソテツと呼ばれるものがあるのは、ソテツの実を、普段は食べなくても、飢饉の時の食料にするため、昔からたくさん栽培していたからのようだ。昔は、農作物は天候に左右され、飢饉になると飢え死にする者が多数いた。
これは昔の話だけではなく、現代も言えることだろう。
新型コロナが発生して、中国からマスクが輸入できず、苦しんだのはついこの前の話だ。自分の国に必要となれば、いくら日本が金を積もうと売ってはもらえない。マスクがなくても死にはしないが、主食である米が不足して、急遽輸入したタイ米を食べたのは1993年のことだ。
タイ米の食べ方など知らない当時の我々は、日本のジャポニカ米と同じ調理をして、つまりご飯を日本式に炊いて、こんなまずいものが食えるかと思った。けれど、食べるものがあっただけよしとしなければならない。その米さえ輸入できなくなったらどうする。
米は食べないという人も、パンや麺類の原料の小麦粉こそ、ほとんど輸入に頼っている。小麦の原料となる麦畑でヒバリが巣を作っていた光景など、日本ではすでに過去のものとなってしまっている。
食料を自給していなかったら、日本はいつ飢饉になるかもわからない現実を抱えた国なのだ。
今より貧しい昔の農民は、飢饉に備えて準備していた。その一つとしてソテツを植えていたのだろう。
ヒガンバナも同じだろう。田んぼの周りのあぜ道にぎっしりと真っ赤な彼岸花が咲く景色もだんだん消えてはいっているが、ヒガンバナを田んぼの周りに植えたのも飢饉に備えてのものかもわからない。
ヒガンバナの根には毒があり、田んぼに他の生き物を近づけないために植えたとも言われる。けれど、毒を持ったヒガンバナの根も、あく抜きを十分すれば、貴重なデンプンとなる。飢饉の時の食料となるのだ。
毒を持った植物は、いざというときのための食料でもあったのだ。
毒とは逆のものが薬だ。
薬に、用法・用量を守ってくださいとあるのは、使用方法をまちがえたら、薬は毒になる。逆を言うと、人間は毒を薬として利用しているのだ。まさに、毒をもって毒を制すだ。
ワクチンも、毒の部分があるから副作用も当然ある。
子宮頸がんのワクチンも、副作用があるから日本では長く認められていなかったが、それでも予防ワクチンを受けたいという声に押され、日本でワクチンを義務化したら、大きな副作用が出て、また中止されてしまった。みんなが子宮頸がんワクチンを受けたのは何歳の人たちだろう。その世代の人たちだけがワクチン世代だ。
子宮頸がんの心配が少し減っている年代だ。
毒と薬は、どちらに比重があるかによって違ってくる。
インフルエンザワクチンも異物を身体に入れるのだから、何か副作用があってもおかしくない。でも、そのデメリットよりもインフルエンザにかからないというメリットを重視したので注射するのだ。
まだどんな効果と副作用があるかわからないコロナウイルスワクチンは今後どうなるのだろうか。
子宮頸がんワクチンであれだけ騒いだ日本人だ。ものごとは、よく見極め決断しなければならない。
