江戸の遊女を詠む川柳~誹風柳多留より
江戸時代に流行した狂歌は、いろいろな知識がなければ作られず、教養のある武士が多く参加していたが、古川柳は、知識はなくとも観察力さえあればよい。七七の前句に対して五七五で答え、優秀作には賞金が出た。だから小遣いの少ない人も小遣い稼ぎに参加できるので、あまり吉原の高級遊女には縁のない人が川柳作者には多かったのではないか。
ちなみに同じ五七五でも、俳句は、季語などの制約も多いので、ちょっと高級になる。
日常生活を詠んだ川柳だが、今まで当時の男にとっては日常だった遊郭関係の川柳は、あえて紹介しなかった。しかし、いざ探してみると、実体験に基づいた句は少ないように思う。まあ、ウインドウショッピングならぬ、ひやかしも多かったのだろう。そんな人がちょっと一句ひねった作品もあるようだ。
江戸町へ戻れば初手の顔はなし
2-185江戸町へ戻れば初手のかおはなし 口おしひこと口おしひこと
江戸の遊郭、吉原は五つの町からできており、江戸町、伏見町、角町、揚屋町、京町がある。
江戸町は大門を入ったあたり。そこでいい女を見つけたけど、もうちょっと見てから決めようと一回りして帰ってくると、目当ての女はもう他の客に買われていた。「口惜しいこと」だろう。
二三分が買うとうるさいほどはなし
1-182弐三歩が買とうるさい程はなし ぐちな事かなぐちな事かな
女郎にもランクがあり、百文、二朱(五百文)、一歩(千文)の安い女郎ではなく、二歩(一両の半分)、三歩の中流の女郎を買うと自慢ばかりする。それを聞いて、うるさいなあと「ぐち」を言っている(ぐちな事かな)。
当時の貨幣は、一両が三~五万円だと考えられる(時代により変動あり)。一両は、十六朱=四千文となる。
高級女郎は、一回数十万かかり、初回では相手にもされず、三回目でやっと食事ができるので、川柳作者には高嶺の花だったのではなかろうか。現代の我々がアイドル歌手を見てあこがれるようなものだったのだろう。
有名なこんな川柳もある。
これ小判たった一晩いてくれろ
1-165これ小判たつた一晩居てくれろ あかぬことかなあかぬことかな
「あかぬこと」は、かなわないこと。何かで手に入った小判も、すぐに使わなければ生活できないのが庶民。少しの間でも持っていたいというのが人々の思いだろう。
大門をそっとのぞいて娑婆を見る
1-254大門をそつと覗いてしやばを見る たいそうな事たいそうな事
大門は、吉原と下界とを隔てる唯一の門。吉原から出ることのできない女郎は、そっと外の世界をのぞくことしかできない。川柳作者は「たいそうなこと」だと言っているが、女郎にしてみれば、外の世界に残したあれこれを思うとどうしようもなくなってくるのだろう。けれど、そんな苦しい中でも、なにか楽しいことを探し出し、日々を生きていたのだろう。

タイトル画像は、「新美人合自筆鏡」北尾政演(山東京伝)画、天明四年1784年蔦屋重三郎刊の模写。

「誹風柳多留」の古川柳のまとめはこちらの後半部分に今まで紹介したもの全て載せている、
狂歌についてはこちらも、
