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心あてにポキッと、折らばや折らむ菊の花、和歌のことば

 だんだん寒くなってきた空気の中で、白い菊の花が咲いている。

心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花

 

 百人一首のこの歌は、
あてずっぽうで折ってみようか。白い霜の中の白い色にまぎれている白菊の花を。
という意味で、白い菊の花と、真っ白に光り輝いている朝霜の美しさを歌っている。元歌は『古今和歌集』に入っており、作者は凡河内躬恒。

 白い菊と言えば、兵庫県の花は、のじぎくである。漢字で書けば、野路菊。瀬戸内沿岸に咲く野生の菊で、兵庫県が北端になるといわれている。だから、他の地域の人は、のじぎくなんて聞いたこともない。兵庫県に来ると、のじぎく会館があり、かつてはのじぎく国体も行われた。言葉ひとつ、知っている人と知らない人とでは全く違う見方、考え方をしてしまう。


 さて、百人一首は、鎌倉時代に、それまでに歌われた歌、短歌の中から百首を選んだものだ。それまでの短歌では、三大歌集というものがある。万葉集、古今集、新古今集だ。

 万葉集は、日本最古の歌集で、奈良時代に大伴家持の手によって編集されたとされる。歌風は、素朴で力強い。自分の思ったことを素直に歌う。好きなら好きとズバッと伝える。
 古今集は古今和歌集ともいわれ、平安時代に、紀貫之・紀友則・壬生忠岑に、心あてに〜の歌を詠んだ凡河内躬恒の四人で編集された。歌風は、繊細優美といわれる。この時代は、短歌を書き送って恋を実らせていたので、ストレートに「好きです」とは言わず、遠回しに好きな気持ちを伝えるテクニックが流行し、理知的ともいわれる。
 新古今集は新古今和歌集ともいわれ、鎌倉時代に藤原定家ら六人で編集した。定家は小倉百人一首も作っている。歌風は、幻想的、象徴的などといわれ、言葉遊び的な表現技法も多用されている。

 万葉集は言葉をストレートに伝えていたが、古今集になると、頭で考えた表現となる。

 心あてに〜の歌にしても、白い霜と白い菊が同じ白い色をしているから菊の姿を見失ってしまうといっているが、そんなばかな。真っ白い雪ならともかく、霜の中で菊の花が見えなくなることなどあるはずがない。視覚的にはありえない話だが、それを頭の中で、白と白、同じ色、だから見えなくなってしまう、と考えたのだ。
 実際の色は、霜の白と菊の白は全然違う。目で見たら違うものを、白という言葉を頭の中でつなげて、同じ「白」にしている。「白」という言葉があってはじめてできた歌となっている。

 他の動物や虫たちにとって、菊の花と霜に共通点などあるはずがないのに、言葉を使う人間だけが、「白」という共通点を見出している。


 同じ百人一首の歌で、

田子の浦に うち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ

がある。

 この元歌は、万葉集にある山部赤人の作品で、

田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける

である。富士の峰に雪が降り積もっている遠景を歌っている。

 当時は、本を読める人は少なく、本自体が少なかったので、この歌も口伝え、口承で伝わったものと考えられ、伝わるうちに表現が変わり、鎌倉時代には百人一首の歌になった。

 元歌の「富士の高嶺に雪は降りける」は、雪が降り積もっているという富士の遠景を詠っている。百人一首の「富士の高嶺に雪は降りつつ」の方は、富士の峰に今雪が降っている、という歌になっている。ちょっと待て、田子の浦から富士山の山頂に雪が降っている情景など見えるわけがない。
 これも想像の産物である。遠く田子の浦から富士山頂に降る雪を想像しているのだ。こういう頭で考えた歌が歌われるようになった。


 こうして言葉を使って我々は物事を考えるようになっていった。

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