書かずにはいられなかった。(2)
という、著者北村匡平氏がwebちくまから始まった「藤井風論 ー救済の音楽」。
来年の5月まで16回予定の中、11月中旬に4回目と、12月上旬に5回目がアップされました。
まずは、第4回目「豊穣であること」。
中毒性があって何度流しても不思議なことに飽きがこない。それどころか、聴くたびに新しい地層が見えてくる感覚があり、奥深い味わいが滲にじみ出てくる。これはなぜか。私たちはまず、藤井風の音楽に宿る「豊穣さ」の秘密を解き明かしていかなければならない。
なんと、「豊穣」とは!!
五穀豊穣の「豊穣」、豊かさの度合いが違う・・・
「聴くたびに新しい地層が見えてくる」
「新しい地層」、本当にそうなんです!!!
それを「豊穣」という美しい言葉で、表現されたんですね。。。
ここからは、楽曲について細かく説明されています。
(注:個人的にヒットした部分を、引用させていただきます。)
まずは、「何なんw」♪
出だしは自由なテンポ(tempo rubato)で駆け上がっていくピアノ。ここには低音で「オーム(om)」を唱える藤井風の声が小さく重ねられている(1)。
確かに、あったあった。
最後の(1)をたどってみると、以下だったのです。
(1)ヒンドゥー教において「オーム(Om)」とは、宇宙の根源的な音とされ、瞑想や儀式の開始前に唱えられる聖なるマントラ。曲の始まりにインパクトがほしいと思った藤井風が急遽、自身の低い声とピアノのワンフレーズをボイスメッセージに録音し、アレンジャーのYaffleに送って「重厚なリバーブをかけて、異世界感を出して欲しい」と頼んだという。風曰く「ビッグバン(宇宙の始まり)をイメージ」した音だった。マネージャー河津による「Staff Diary」を参照。
うわぁ~~~!!!
今年の春ごろ、風民(かぜたみ)化した者からすると、驚きです!!
この楽曲に、こんな秘密があったとは。
重層化された藤井風の歌声とともに、音たちが幸福に弾む──祝祭の入り口に立つような豊かな手触りだ。
パソコンによって制作された打ち込みの機械的なサウンドが溢れるなか、藤井風の音楽には、人間の身体から紡がれる音の生々しさと温もりがいつも感じられる。
「何なんw」は、セルフ・ライナーノーツで「誰しもの中に存在するハイヤーセルフが、ダメな自分に語りかける」というコンセプトで書かれたと説明されている。
なんという予測不能で大胆な構成と展開力。リスナーの心身を揺さぶる、終盤の流れからくるラストの突き抜け具合が素晴らしい。この連載の第2回で、境界それ自体を消していくようなメディア・パフォーマンスによって人びとを引きつける藤井風のアトラクション性に触れたが、こうした「驚きがもたらす美学」は彼の創る楽曲内部にも確かに息づいている。
能で用いられる能面に観客が感情を投影するように、それぞれの怒り、悲しみ、驚き、喜びを飲み込む「何なん」という言葉は、もっとも盛り上がるセクションの先頭に据えられている。
だから風の音楽は聴けば聴くほど旨味が増してゆく──この滲み出す豊穣さこそ、私たちが飽きずに何度でも再生ボタンに手を伸ばしてしまう理由ではないだろうか。
もう、読んでいるだけで、胸がドキドキしてきて・・・どうしよう。
そう、そう、言葉ひとつ、ひとつが・・・
呼吸する生きものとなって、温かく心に深く沁み込んでいく。
予測不可能な展開や逸脱がちりばめられた藤井風の音楽は、J-POPという枠組みに囚われていては理解できないからだ。複雑な構成を見てみると、難解な現代音楽や複数の曲を一つに組み合わせた「組曲」のような音楽を想像させるかもしれない。異様に転調は多いし、9thなどテンションを多用した難しいコード進行で譜面上は難しいのに、不思議と自然に耳に馴染む。極上のポップミュージックとして成立させるその手腕は見事というほかない。
本当にそう。
音楽としては、なんだかとっても難しそうなのですが
生活の中に、すんなりと溶け込んでいく・・・
まさしく、極上のポップミュージックです!!!
次に、「青春病」♪
本作を特徴づけるのは、絶え間ない「切断」と「接続」の往還運動である。
刹那の青春にサヨナラしようとするが、簡単には断ち切れない。語り手の躊躇ためらい、不安定さ、儚さ、危うさ──そんな青春の逡巡が、どこに着地するか読めない構成にそのまま刻まれている。「青春病」は、グズグズと思い悩み、グルグルと行き来する、手放そうとする意志と引き戻す力が拮抗するプロセスそのものを、歌詞や歌唱で巧みに表現する。だが、もっとも胸を打つのは、こうしたドラマティックな展開の末、最後の最後、ようやく語り手が、青春との「決別の音像」に触れる瞬間だ。
なるほど・・・
この解説を読みながら、また楽曲を聞くと
どんどん、どんどん・・・どんどん、どんどん、ハマっていって・・・
それこそ「新しい地層」に、自分から埋もれていく感が、ハンパないです。
さまざまな音楽ジャンルを越境し、それらを融合させ、和も洋も軽やかに飛び越えながら、自らの音楽へと昇華してきた藤井風──。その到達点の一つにして、これまで風が作った最高傑作(マスターピース)と断言できるのが「まつり」である。次回は、この楽曲の比類なき魅惑と独自性の核へと分け入っていく。
ということで、第5回目「混ざりあうこと」。
これは単なるパーティソングではない。「愛」を歌い続ける人の思想が凝縮した力強いメッセージソングであり、あらゆるものを包み込む抱擁力をもった祝祭ソングである。
〈愛しか感じたくもない〉と冒頭で宣言するこの曲は、音として過剰に「愛」を反復し、最後の〈何にせよめでたい〉はダブルミーニングで「目出度い」と「愛でたい」が重ねられる。否定に見える「ない」が、音としての「愛」(ai)を呼び込み、肯定へとひっくり返る仕掛けだ。このようにして「愛でたい」と締められる「まつり」は、極上の愛プレマの祝祭ソングなのである。
すごい、なるほど、そうだったんですね!!!
実は、初めてこの楽曲を聞いたのが、YouTubeのタイニーディスクでした。
「なんだこりゃ!!!」
というのが、第一印象でしたね。
特にサビでは「タンタンタン」と表拍(オンビート)に切り替わることで、唱歌・童謡・演歌の水脈を引く日本的情緒が、色濃く立ち現れる。この接合部で、音韻に対応する言葉やスケールが洋的なものから和的なものへと推移し、その切り替えが「まつり」を唯一無二の融合体へと導いているのだ。
でもその時は、ただの通りかかりのおばさんでw
「イケメンの男の子が、日本的な曲を上手に作ったなぁ、すごいすごい!」
程度だったのですが。
その1年後には、なんと・・・
Prema ワールドツアーとPre: Prema ツアー全て申し込むことになるとはw!!!
2024年のアジアツアーのセットリストのラストを飾った「まつり」では、驚くべきことに、イントロのピアノのフレーズに各国の民謡や代表曲がサンプリングされたのである。
えっ、そうだったっけ?!
思わずソウルツアーを、もう一度見てしまいました。
確かに、韓国の伝統民謡である「トラジ」で始まってましたね。
それも不思議と、なんの違和感もない!!!
なんですか、この「まつり」という楽曲は?!?!
またこの「第5回混ざりあうこと」の、最後17行全てが・・・
心の奥深くまで、ドーンと響きました。
極上のジャズワルツにも姿を変え、どんなエキゾチックな異国の民族音楽をも包み込む、世界へと開かれた藤井風の宇宙を体現する「まつり」──〈まとめてかかってきなさい/今なら全て受け止めるから〉。
新自由主義が格差をどんどん広げ、勝ち組/負け組が明確に分けられてゆく。ソーシャルメディアは、自分より豊かな人の生活や世界の暴力を絶え間なく可視化してしまう──〈比べるものは何もない/勝ちや負けとか一切ない〉。
「まつり」のMVでは最後に藤井風が涅槃ねはんのポーズをしてみせる。仏教において涅槃とは、煩悩ぼんのうの炎が消え、迷いや苦しみから完全に解放された「悟り」の境地を意味する。執着を手放し、ゆるぎない安穏を得ること。いまこの瞬間の感情を根本から問い直し、炎が鎮まるスペースを作る藤井風の思想とも共鳴する身振りである。
〈愛しか感じたくもない〉──強いメッセージ性をもった言葉は、ジャンルが多層的に重なった音像に乗って、国も言語も越えてグローバルな民へと届き、その場を祝祭空間に変える。〈みな抱きしめたら踊りなさいな〉──異なる民族や文化を招き入れながら自らの核を失わない「まつり」は、比類ない包容/抱擁のマスターピースなのだ。
はぁ。w はぁ。w はぁ。w
初恋の時の、キュンキュンする心って
ちょっと、呼吸困難状態になりますよね?!
今、そんな感じでして。
こんな年になって、というか、
こういう年だから、よかったのかもしれませんっ♪
Amazonミュージックで風さんの楽曲を聞きながら、読ませていただいて、
綴らせていただきました。
お付き合い、ありがとうございました!!!
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拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。
できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡