書かずにはいられなかった(6)
という、著者北村匡平氏がwebちくまから始まった「藤井風論 ー救済の音楽」。
当初、今年の5月まで16回のご予定の中、5月上旬に11回目と、先日12回目がアップされました。
(美しい「言霊」に触れる機会が、延長されたようで、ありがたいです♪)
まずは、第12回目「再創造すること」。
藤井風にとってのカバーとは、(略) 原曲を忠実になぞる「模倣」ではなく、楽曲の核を引き出し、別の表情を浮かび上がらせる「再創造」である。その方法の中心にあるのが、ピアノ一台による弾き語りだ。
「少ない音」が、逆に豊かな感情を呼び込む。
初めて、風さんを知って
YouTubeの過去動画を、検索した時
風さんがまだ小学生だった頃からの、カバー動画に
強い衝撃を受けて、2時間ほど見入ってしまったことを覚えています。
「なに、これ???!!!
なんでこんな若い子が、昔の曲を悠長に弾いて、歌えるの???!!!」
それも、遠い昔の・・・
あの青春時の曲が、「新たな生命」を受けて・・・
すーは―、すーは―と、呼吸しているかのように・・・なのです!!!
まさしく、曲の「核」を取り出して、「豊かな感情を呼び込んで」いたんですね♪
それも、お父様やお姉さまの影響を受けて・・・
各時代の曲の美しさを、思う存分、引き出していた。
彼は来る日も来る日もピアノと向き合い、コードの深淵を探求し続けた。その蓄積が、カバーにおける風のコード感覚を形づくっている。
ありとあらゆる音楽を受容しながら、曲の構造や感情の働きを読み解く批評的な耳を育てていたのである。
メロディと歌詞だけで音楽が完結するのではなく、歌詞、旋律、和声が互いに対話するとき、はじめて音楽の情感が立ち上がる──藤井風のカバー実践は、そのことを繰り返し証明している。
それぞれのカバー曲に対する、その背景と、細かい説明を通して・・・
風さんの、それらの曲に対する・・・
「畏敬の念」と、深い「愛情」を、感じざるを得ないです!!
彼にとってセルフカバーとは、完成したはずの作品など存在せず、楽曲は絶えず変容しうるという、終わりのない創造行為への宣言なのだろう。
音楽という共有財産の継承者
まさしく!!
この一行と+αで、全ては集約されるでしょう!!!
藤井風は自身が「媒介」であり「楽器」であると捉え、オーディエンスと大いなる存在を繋ぐ者として位置づけている。カバー実践においても、彼は自己顕示ではなく、媒介者として、いま必要なメッセージを過去の名曲を通して運んでいるのだ。
媒介者として・・・
いま必要なメッセージを、名曲を通して。
自分の「心が震えてしかたがない」その実態が、ここにあったんですね。
彼の身体から奏でられる音楽には、歴史を超えたさまざまな音が鳴り響く。人生のすべてが音楽であり、身体のすべてが音楽である──そういうしかない存在を、ここでは「全身音楽家」と呼んでおきたい。
「全身音楽家」!!!!!
本当に、その通りです ♡
いいものはいい──その分け隔てのない耳が、彼の音楽世界の広さを支えると同時に、批評家が見落としてきたポップソングの真髄を掘り起こすことで、音楽界における価値序列そのものを切り崩す。
すべては音楽をいったん自身の身体に通し、再創造して送り返す営みだった。藤井風のカバーとは、過去の名曲への追随ではない。音楽という共有財産を自身の身体を媒介にして、いまの響きとして生き返らせ、未来へ手渡すための実践なのである。
「ポップソングの真髄を掘り起こす」・・・
それも「自身の身体を通し、再創造」し・・・
そして、「生き返らせる」・・・・
そりゃ~、心がとろ~っと溶けて・・・
きゃぁ~~~~~~♪♬♪♬♪♬♡♡♡
と、ならざるを得ません!!!!!
次に、第13回目「シンプルであること」。
藤井風を語るうえで、ローカルな言葉としての岡山弁と同じく、洋楽を介して身体化された音でもある「英語」は欠かせない。(略)
つまり彼にとって英語は、文法や会話のための言語である以前に、R&B、ソウル、ジャズ、ゴスペル、ポップスの響きであり、メロディ、リズム、グルーヴ、発音、息遣いと結びついた音楽的素材だった。
私はお隣の国で通算26年間生活しながら、日本語講師をしていました。
現地の子どもたちは、日本のアニメやJポップを通して「音」としての日本語を、憧れながら体得し、夢を描き、留学などを目標にした時、初めて語学である日本語を学びました。
そういう子たちの語学力は、暗記しながら学ぶ語学とは全く違ったもので、発音自体がとても自然で、言葉が身体に沁みていくような・・・
そんな実体験をしているからこそ、音楽家の風さんがそうであること・・・
北村匡平氏のお言葉に、しみじみ、納得です。
英語は彼の身体に染み込んだ音であり、彼の音楽的感覚を形成してきたもうひとつの母語だったのである。
まさしく、その通りですね。
また同時に、日本語の曖昧さに関しては
現地の言葉と比較しながら、強く感じていました。
一番伝えたいことは、直接言葉に表現しないという「美学」wが
日本語には潜んでいるんです。
それを空気に伝えて、お互いの「呼吸」を楽しむ?!
ようするに日本語って、わからない場合は
何をいっているか、大変わかりにくい言語なのですw!!
また今回、初めて知ったことは
「歌詞カードという英訳実践」、というところでした。
藤井風の英訳は、海外リスナーのための言葉であると同時に、別の言語を媒介にして自作の意味を解釈し直す批評的実践なのである。
わかりやすい例を挙げれば、「”青春病”」には〈青春はどどめ色〉という歌詞がある。定義が難しく、(略) 英語を介することで、「青春」は曖昧などどめ色ではなく、傷や痛みを伴う「アザの色」として立ち表れる。ここでは英訳が、日本語詞のイメージをより具体的に可視化している。
面白いのは、「もうええわ」という同じ言葉が、英語では少しずつ異なる表現に置き換えられていることである。(略) つまり英訳を読むことで、「もうええわ」は単なる投げやりな諦めではなく、執着を手放し、自由へ向かうプロセスとして理解されるのだ。
なんと、風さんはご自分の曲を、ご自身が英訳していたんですね!!
藤井風の英語詞は、日本語詞を世界に届けるための翻訳であると同時に、自らの歌の意味をシンプルに照らし出すもうひとつの原文なのである。
それは、「シンプル」に照らし出す、「原文」そのものだった!!!
それも、その自己翻訳が、更新されていく・・・という♡
ここにも、藤井風が後に語る「シンプル」への志向を読み取ることができるだろう。英訳の変更は、単なる言い換えではない。藤井風の自己翻訳が時とともに更新され、曲の重心が少しずつ移動していることを示している。
ここに、救済の感覚がある。世界が変わり続けることを否定するのではなく、その移ろいごと愛おしいものとして受け入れていくのである。
変わり続ける世界を・・・・
愛おしいものとして、受け入れるという、「救済」!!!
なんと、美しすぎます~~~~♡♡♡
そして風さんの曲は、自然と、世界に「共感」を呼んでいく!!!
藤井風にとってライブMCの英語は、誰かを置き去りにしないための共通語なのである。
きれいなものだけを吸い込み、ネガティヴなものを吐き出すよう促すスピリチュアルな時間があり、祈りや感謝がシンプルな言葉で共有される。複雑なことはほとんどない。英語のMCによって、観客はひとつの共同の空間へと招き入れられる。
誰一人として「置き去りにしない」!!!
すごいことです。
藤井風の音楽は世界へ開かれたが、その開放性は、同時に彼自身を新しい視線と緊張のなかへ置くことにもなったのである。
藤井風はパナソニックスタジアム吹田でのライブをセレモニー、「grace」を卒業ソングと位置づけ、ひとつの章をやり切って燃え尽きた状態になってしまう。だが、その状況のまま、彼の名前は世界へ広がっていった。2022年後半、藤井風をめぐる環境は地殻変動を起こしていた。もはや彼は、日本語圏の内側だけで完結するアーティストではいられなくなったのである。
そして、世界へ!!
それも、直接!!!!
2024年6月、藤井風はアメリカの大手音楽レーベルRepublic Recordsと契約を結ぶ。彼自身、セカンド・アルバムをリリースしてから、「自分が愛してきた英語での表現、英語の曲を通しての表現みたいなことは、確かにまだやれてはいないなと思うのかも」と2024年7月の時点で語っている(10)。やり残したことがあるとすれば、それは英語での表現だった。
このサード・アルバムは、藤井風にとって単なる英語アルバムではなく、燃え尽きた声を再び立ち上げるための作品となったのである。
今まで「翻訳」であった英語が、直接、歌詞となって・・・
昨日のMAJでも、最優秀アルバム賞他3部門を受賞することになる
『Prema』の誕生へと!!!!!!!
『Prema』のサウンドは、現在のグローバル・ポップに接続しながらも、1980年代から90年代のアメリカン・ポップ、R&B、ソウルを思わせる質感を濃厚に帯びている。簡素な紙ジャケットや対訳ブックレットの手触りも、どこか昔の輸入盤CDを思わせる。さらに音楽評論家・湯川れい子のレビューが収められていることも含めて、このアルバムは、かつて洋楽をCDで聴いていた世代の記憶を呼び覚ますように見える。(略)
『Prema』に収められた楽曲群は、個人的な感情から出発しながら、世代や国境を越えた感情の回路をエネルギッシュに開いている。
『Prema』において、自己翻訳として機能していた英語は、ついに歌詞カードの補助線ではなく、制作そのものの言語になった。最初から複数の言語で鳴っていた藤井風の音楽が、はじめて英語を主旋律にした作品なのである。したがって『Prema』は、突然の転向ではない。キャリア初期からあった英語の回路が、カバー、歌詞カード、MC、海外ツアーを経て、制作言語として前景化した到達点と見るべきだろう。
なるほど、この『Prema』は
まさしく、キャリア初期からの過程での、到達点だったんですね!!!
英語は、藤井風の言葉をシンプルにし、意味の輪郭をくっきりと立ち上げる。しかし同時に、日本語詞にあった遊び、揺らぎ、余白の多くは、別のものへと変換されてしまう。
『Prema』は、藤井風の音楽が世界へ開かれたアルバムであると同時に、日本語の身体から英語の身体へ移ることの両義性を刻んだ作品となったのである。
まさしく、挑戦し続ける風さん・・・・本当に、美しいです!!!
今回MAJの初めには、お鬚があった風さんでしたが・・・
トリの『Prema』パフォーマンス時には、なんとお鬚が剃られていました♡
同じように、風さんにとっては、日本語の曲も、シンプルな英語の曲も・・
見た目は、随分違いますが・・・
なにひとつ変わらない、そのまんまの・・・
進化し続ける、至高の「風ミュージック」、そのものなんですね♡
また本日、6月14日が29歳のお誕生日だということです。
風さん、お誕生日、おめでとうございます💕
生まれてくれて、そして、音楽をしていてくれて・・・・
本当にありがとうございます!!!
今年11月福岡『Prema Tour』で、お会いできることを
心から楽しみにしております~~~♡
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拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。
できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡