日本と比べて驚いた、フィリピンの特別支援学校の”ゆるさ”が教えてくれたこと
「完璧じゃなくてもいい」
フィリピンの特別支援センターで
働くようになってから、
何度もこの言葉が頭に浮かぶようになりました。
日本で教師として働いていた頃、
私はいつも「完璧な支援」を求められているように感じていました。
目を離さないこと、失敗させないこと、
大きなトラブルを起こさないこと。
でも、ここセブ島の支援学校では、
少し違う時間が流れています。
私は現在、
フィリピン・セブ島で海外青年協力隊として
特別支援センターに派遣されています。
この記事は、
日本とフィリピンの教育を比べて
どちらが良い・悪いと結論づけるものではありません。
あくまで、
ひとりの元日本の教師が、
現場で感じた戸惑いや気づきを整理するための記録です。
「こんな考え方の人もいるんだな」
そのくらいの距離感で読んでもらえたら嬉しいです。
「完璧な支援」を求められていると感じていた頃
日本で働いていた当時、私には
「学校内で起こった出来事は教師に責任がある」
という空気が強くあるように感じられました。
子どもを保護者から預かっている以上、
完璧な支援が求められているように思えたのです。
だから、
子どもから目を離す時間をつくらないこと、
教室には必ず担任がいるようにすること、
休み時間や昼休みも一緒に過ごすことを
当たり前のように続けていました。
特別支援の生徒は、言葉で状況を説明することが難しい子も多くいます。
そのため、トラブルが起きた際には
近くにいる大人がすぐ状況を把握し、
対応できることが大切だと考えていました。
授業に入れず、
教室を飛び出してしまう子がいれば、
必ず教員がそばにつく。
それが当然だと思っていました。
フィリピンの支援学校での一日
私が関わっているフィリピンの特別支援学校は、
これまで経験してきた日本の学校とは、
多くの点で異なっています。
一日中授業があるわけではなく、
自閉症クラスでは
2時間で帰る短時間通級の子もいます。
就労クラスの子どもたちは、
朝8時頃に保護者と一緒に登校し、
校庭で生徒だけが自由に走っていることもあります。
その横で、
保護者がベンチに座って
様子を見ている場面もあります。
(その時間、担任は別の個別クラスを担当しています)
10時半からは教室に入り、
算数・言語・就労系の授業を
クラスメイトと一緒に1時間受けます。
11時半から13時はランチタイム。
生徒は保護者と一緒に食事をとります。
午後は13時から15時まで授業があります。
設備は正直、十分とは言えない
設備面だけを見ると、圧倒的に
日本の学校の方が整っていると感じます。
調理室は雨漏りをしていたり、
屋根が傷んできていたり、
机や椅子が十分に揃っていなかったり。
環境面では、
厳しい状況に置かれている部分も多いです。
いつもそばにいる保護者たち
一方で、この支援センターでは
保護者の関わりがとても大きいと感じています。
センター内には
サリサリストア(小さな売店)があり、
子どもたちが順番に店番をします。
その収益管理や物品管理は、
保護者が担っています。
クリスマス会の料理は持ち寄りで、
当日の食事当番も保護者。
行事の話し合いにも保護者が参加します。
授業中、
生徒が物を投げてしまう場面では、
担任だけでなく
保護者も一緒に声をかけることがあります。
木曜日のアーツ&クラフト、
金曜日の体育は、
保護者と生徒が一緒に授業を受けます。
この時間、
先生は細かいフォローをせず、
子どものサポートは
主に保護者が担っています。
教師が全部背負わなくていいという感覚
ここに来てから、
家庭・学校・地域で
一緒に子どもを育てている、
そんな感覚を持つようになりました。
教師がすべてを抱え込まなくてもいい。
難しいときは保護者を頼っていい。
時には任せてもいい。
保護者の負担は決して小さくありませんが、
それが子どもにとって
良い形で働いている場面も
多くあるように感じます。
完璧じゃなくても進んでいく行事
クリスマス会の出し物は、
本番の2日前から練習が始まりました。
正直、完成度は決して高くありません。
けれど、
「みんなで楽しくできればいい」
そんな雰囲気があります。
日本で働いていた頃は、
発表会があれば1か月前から計画を立て、
リハーサルを重ね、
細部まで整えることが多かったです。
こちらでは、
未完成でもいい。
練習不足でもいい。
できないことがあってもいい。
そんな空気の中で、
子どもたちは人前に立ち、
自分なりの表現をしています。
のびのびと過ごす子どもたち
この支援センターの子どもたちは、
とても明るく、のびのびしているように
感じます。
堂々とステージで歌う
ダウン症の女の子。
毎朝ボッチャの自主練を続け、
自分の得意なことを極めている男の子。
知的なハンデがあっても、
人はこんなふうに輝けるのだと、
子どもたちが教えてくれます。
おわりに
これはあくまで、
一つの現場で、ひとりの教師が感じたことの記録です。
教育に正解が一つではないように、
支援のかたちも、きっと一つではありません。
それぞれの現場で、
それぞれのやり方があっていい。
そう思えたこと自体が、
今の私にとっては
大きな学びでした。
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