ヘアドネーション。
髪を伸ばしてヘアドネーションをしたい。ある日突然思い立った。
きっかけは社会に貢献したいという衝動に駆られたからである。自慢ではないが、私は社会に対して何の貢献もしていない。ただ漠然と毎日寝て起きて飯を食い、排泄物を垂れ流す。強いて言えばたばこ税と酒税を気持ち多めに払っている気がしなくもないが、恐らく微々たるものだろう。思い返してみると生まれてこの方、社会のためになることなど何ひとつしていないのではないかという悲しい事実に気付き、私は絶望した。
何でもいい。何か社会貢献になり、尚且つ面白いことはないだろうかと無い知識を総動員させる。初めに浮かんだのは募金である。しかしイマイチ面白みにかけるなぁというのと、募金したい先も特に浮かばない。そもそも面白い面白くないなどで判断している時点で、社会貢献というものの本質から大きく逸脱している気がするが、この際さしたる問題ではない。
次に浮かんだのはボランティアだ。しかしこちらも私が極度のインドア人間という理由から断念。選り好み出来る立場ではなかろうに、しっかりと自身の意見は押し通す頑固者で自分のことながらため息が漏れた。
そこで思いついたのがヘアドネーションだ。ヘアドネーションとは平たく言うと髪の毛の寄贈である。寄贈された髪の毛は、病気など様々な理由でで髪の毛を失った子供達のウィッグを作るための材料に使われるのだ。これなら外に出る必要もなければ、男性でしている人も余り見ないので話題にも出来る。他に思いつかないし、もうこれでいいや~と半ばやけくそで決定した。
決定したとは言ったものの別段やることはない。ただ今まで通りダラダラと生活し、髪が伸びるのを待つだけだ。しかしながら「今自分は社会貢献をしているのだ」という自意識からであろう、自分の中に1本芯が通ったような気持ちになる。心なしか、普段は私の根性を体現したかのように曲がっている背筋もシャンと伸びているようにも感じた。
書いていて自己満足のために社会を利用しているようにも感じてきたが、理由はどうあれ、やらないよりは幾分かマシであろう。やらない善より、やる偽善である。
意識することといえば「ブリーチをしない」ことと「強いパーマをあてない」ということくらいだ。髪の毛が痛んでいると、ウィッグに加工する際にちぎれてしまい、使い物にならなくなってしまうためである。とは言っても、私は髪型にさしたるこだわりを持っていない。ダサくなければ何でもいいや~ぐらいの気持ちなので、ブリーチも強いパーマもあてがうことは無いだろう。我が子を愛する親のように、ただ健やかに育つことを願うだけだ。
ところがどっこい、そんな親心をよそ眼に、男性がロングヘアにする際の落とし穴がポッカリ口を開けて待ち構えていた。如何にセットを頑張ろうがダサい時期がやってきたのだ。
その時期がやってくることは予め知ってはいた。男性ロングヘアのコンテンツを発信するYoutubeで皆、口を揃えてそのように発信していたからだ。
余談だが、ただ髪を長く伸ばしているというだけでコンテンツを発信している気になっている人間を、私は当初鼻で笑っていた。が、伸ばしている期間その方々の発言に、だいぶ励まされることとなる。何事も無駄なものなんてないのだなぁと見解が深まった瞬間だった。
閑話休題。私は顎の少し下あたりまで伸びた時分が、ダサさの最大値であった。もっさりとしていて暑苦しく、実に野暮ったい。後ろでくくることが出来れば幾分かマシなのであろうが、それが出来るほどの長さは足りない。帯に短し襷に長しを体現していた。唯一のこだわりである「ダサくなければ何でもいいや」というささやかな願いも叶わなくなったのだ。
ちなみにYoutubeからの助言では「仕方のないものです。そこを越えればあとは楽なので我慢しましょう」とのこと。仕方のないものじゃあないんだよバカタレが。見ず知らずのロン毛男に悪態をつきつつ、ヘアカタログを見漁った。その結果、緩いパーマを当てると幾分かマシになることが判明する。可及的速やかに美容室を予約し、縮毛をあてがうことで一応は事なきを得たのだった。それでもダサかったけどね。
見ず知らずのロン毛男の言うことは正しく、ダサい期間を経て髪を縛れるようになるととても楽であった。やるじゃん。
縛れさえすれば、その後どれだけ伸びようとさしたる変化はなかった。とは言っても毎日縛るのも飽きてくる。気分転換でおろしたまま外出したりもしていたのだが、友人から「なんか今日、汚いね」という心無い言葉を投げつけられたので、すぐにやめた。
ヘアドネーションは寄贈する団体にもよるのだが、31cm以上が条件である。また31cmの髪で31cmのウィッグが作れるわけではない。ウィッグの土台となるネットに編み込むため、大体半分の長さとなってしまう。そのため出来うる限り伸ばした髪の毛が重宝される。縛れるようになってからしばらく経ち、私の髪は31cmは採取出来そうな長さにはなっていたが、上記の理由から「もう少し伸ばしてみ~ちゃお~」という軽いノリで継続されていた。
そのあたりから、ようやっと寄贈する団体を選び始める。フットが軽いんだか重いんだか。寄贈する団体によっては、自身の髪の毛が望んだ運命をたどらない可能性もあるので注意が必要だ。
そこで某NPO法人が出版している某書籍に出会った。別段伏せる必要もないのだが、伏せていたほうが配慮が行き届いている雰囲気を演出出来るかなと思った次第だ。その書籍の中ではヘアドネーションをした方のインタビューや、実際にウィッグを受け取った子のインタビュー、その親御さんのインタビューなどが記載されていた。
中でも「必ずしもウィッグを必要としない社会」という言葉に酷く感銘を受けた。髪の毛がないからネガティブになってしまうというのは、他者の勝手なイメージであり、当人はどう感じているかなど知る由もない。髪がないイコール可哀想だと決めつけて同情することなど、それこそ傲慢だ。ウィッグもひとつの手段であり、付ける付けないは当人の自由である。よって私が社会貢献のためだと勝手に決めつけ、髪の毛を寄贈することもまた酷く傲慢な行いなのかもしれない。
書籍を読み終え、自らの思考の愚かさ、稚拙さに辟易しつつも「この団体に寄贈したい」と強く思った。
細かい期間は覚えていないが2,3年ほど伸ばしていただろう髪の毛をバッサリと切った。最終的には胸あたりまでの長さとなり、40cmの髪を寄贈することとなる。担当していただいた美容師さんは「男性のヘアドネーションしたの初めてです」とのこと。美容室のホームページを確認すると、その方の歴は20年以上と書かれていた。ただ散髪をしてもらっただけだが、そんな大ベテランの初めてを頂いたという事実は、私を満更でもない気分にさせた。
手塩にかけて伸ばした髪を切るのは、自分の身体の一部がポッカリと無くなってしまったような寂しさと、それを上回る晴れやかさがあった。巷でよく聞く、失恋した女性が髪を切る理由も今ならば頷ける。
もしも、この駄文をここまで読んだ失恋直後のロングヘアの方がいればご一報いただければ幸いです。髪の毛の寄贈先、紹介しまっせ。
