ペダルを踏んで、人生漕いで
田舎住まいのため、
散歩に出ると周りは田んぼだらけです。
その道を、
自転車を漕ぎながらゆっくり進みます。
この時期、農家さんは
田んぼの水が枯れないよう、
用水路の水の流れをしばしば変更します。
すると、
用水路の中で「あめんぼ」が複数並んで、
水が流れる方向に向かって、
ぴょんぴょんと走り競争をするのです。
きっと、
パッシュファミリーも、
そんな田舎の風景を目撃しているはずです。
何しろパッシュファミリーは
自転車で世界中を旅していて、
日本の47都道府県も走破していますから。
2010年にスイスを出発されたグザヴィエさん、セリーヌさんご夫妻は、これまで50ヶ国以上で自転車を漕ぎ続けてきました。
驚くのは、
ふたりのお子さんが旅先で生まれ、
二人が育つ過程が「旅の中だった」という点でしょう。
わたしは以下のYouTube動画で
パッシュファミリーのことを知りました。
家族みんなで
それぞれペダルを踏み
ひと漕ぎ、ひと漕ぎゆっくり進みます。
(景色も圧巻です)。
動画の中で、
子ども達がこんなことを言っています。
"Imagine having to give up everything
you can't strap on to those bikes.
No TV, no hair dryer, no fridge,
nothing heavy, nothing fancy,
just the absolute essential."
"想像してみて・・、
自転車に乗せられないものはすべて諦める、
テレビもヘアドライヤーも冷蔵庫も
重いモノや豪華なものは一切ない、
ほんとうに必要最低限(=最重要)なものだけ。"
わたしは彼らが羨ましいです。
嫉妬します。
おそらく、
雨の日や嵐の日や、
極端に暑くて(もしくは)寒くて、
どうしようもなく困難が襲ってくるとき、
逆にパッシュファミリーは、
『自分たち』を再確認するのではないでしょうか。
人生を漕いでいる感覚を、です。
私たちは多くのモノに囲まれ、
情報をシャワーのように浴びながら生活しています。
それはそれでもちろん快適です。
でもそれって
自動化され、
管理され、
効率的に動かされる「自分」になったりしていませんか。
自転車に積めるモノは
ほんとうに限られています。
それを
「限られている」と感じるか、
あるいは
「最重要なモノだけに囲まれている」と感じるのか。
それは私たちのこころの持ち方次第です。
これは私見ですが、
モノや情報が
あまりに豊富にあり過ぎると、
ほんらい対峙できるはずの
自分と、世界との間の『空白』を見出せなくなってしまいます。
情報が大切なことは承知しています。
メディアやSNSがあり、
人間関係情報も多種多様です。
とくに人を介する情報については
有益なものもありますが、
しかし、
愚痴であったり悪口であったり、
怒りや噂や 誇張され単純化された煽り系の話でいっぱい一杯になると、起点の「キ」のところを忘れがちになってしまいます。
起点の「キ」とは何なのか。
動力も資源も関係なく、
自分という小さな身体のひと漕ぎだけで、
ゆっくり風を起こして、
自分を前に進めていく・・
鈍いけれど、非力だけれど、
自分で自分の人生を動かす(漕ぐ)という感覚です。
荷物は・・?
己(おのれ)以外に特になかったはずです。
(わたしにもあなたにも確かに、
ゼロから漕ぎ始めた時期があったのです)。
大人になって、
おじさんやおばさんになって、
たくさんのモノや
たくさんの情報にまみれて、
移動する箱もいつの間にか巨大になって、
電力を使って
心地よいモーター音で
「ああ気持ちいい」とか言っていますが、
その「風」は
お金で買っている風であり、
じぶんでペダルを踏んで、
自分で漕いで起こしている風じゃない、
なんて言われたら、
ちょっと腹が立ったりしますか?
パッシュファミリーを見ていると、
人生を漕ぐこと(起点)を思い起こさせてくれるのです。
わたしもコロナ禍以降、
モノを減らそうと努めています。
(内なる自分にもっと近づきたいと願うためです)。
クルマなし。スマホなし。住まいは賃貸。
紙の書籍は20冊のみ。衣服は段ボール2コ分。
極力サブスクやレンタルのみで毎日暮らしています。
でも、もっと自由になりたいです。
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