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時間は曖昧で泳いでもよい

わたしは20代のとき
インドを見て回って、
旅の後半、
パキスタンとの国境に近い
ジャイサルメールというところまで足を延ばしました。

この地はかつて
砂漠の中継交易地でした。

そこで毎日気ままに過ごしていたのですが、
そのうち退屈になって、
3泊4日の「砂漠ツアー」に参加することにしました。

“ラクダに乗って砂漠を横断する・・。”

言葉に記せば、
ロマンティックな雰囲気が漂いますが、

とにかく暑く、
空気が乾いていて、

また、砂漠といっても
鳥取砂丘のような
サラサラの砂の紋様の世界ではありません。

地面はゴツゴツとして、
ただ荒涼とする砂と石ころの世界です。

でも、
サファリツアーのガイドさんが、
いつも微かに笑って
片言の英語を話されて
その雰囲気に癒されました。

(ちょうど
タレントの井上順さんを
色黒にしたような人でした)。

ガイドさんはおそらく、
このラジャスターン地方の、
どこかの村に住んでいるのでしょう。

こうして時々、
ガイドの仕事をして
現金収入を得ている・・。

わたしはそんなふうに想像していました。

ガイドさんはラクダに乗りながら、
時々民謡のような
土地のうたを歌います。

ラクダに乗っていると、
2階から景色を見下ろすような感覚になります。

そして、
もう一頭のラクダは荷物係として、
テントと大きなポリタンクの水(命綱)を運んでくれました。

ガイドさんは
小枝や乾いた草で火を起こし
日に三度食事を作ってくれました。

チャパティとダール(煮込みスープ)というメニューです。
食後、銀のお皿は砂で洗います。

魅惑的な景色が広がるのは何といっても夜です。

ちっぽけな自分が
天空に丸ごと包まれるような感覚になります。

時間軸が遮断され、
ただ、今ここにいる。という事実が浮かび上がるのです。

何かの鳴き声が聞こえると、
思わず身構えてしまいます。
もしかすると肉食動物がこちらを見ているのでは?という気がしてきます。

わたしはテント幕の向こうの
焚火のシルエットを感じながら、

「今、ガイドさんがいなくなれば、自分はただ迷う細者で、もう町には戻れないだろう」と少し怖くなりました。


ツアーの3日目に
わたしはガイドさんに
「何歳なんですか?」と尋ねてみました。

How old are you?

彼はちょっと首を傾けて
そっけなくThirty. Maybe Forty. と答えます。

「そうか。自分の年齢は正確には分からないんだ」。

そのときは
それくらいにしか思いませんでした。

How old are you?

旅の道すがら、
わたしは知り合いになった人に
会話を作る感覚で簡素な質問を次々繰り出していました。

・年齢を訊く
・家族のことを訊く
・出身地のことを訊く
・好きな食べ物のことを訊く
・今までにあった嬉しい体験、怖い体験を訊く

みなテンプレートに載っている質問です。

しかし、
ガイドさんの
Thirty. Maybe Forty.” という回答は
模範の範囲には入っていませんでした。

今のわたしなら、
(その時点からずいぶん時間が経ったため)、

「まったく異なる世界にいたのだ」と、
自分と、ガイドさんのことを反芻できます。

あのガイドさんは
インドとパキスタンの国境近く、
ラジャスターンの砂漠で生まれ、
そして(おそらく)砂漠の中で死んでいくのでしょう。

インドに属しているとか、
パキスタンに属しているとか
国の祝日がいつといつだとか、
そういうこととは関係なく、

何十世代と続く村があって
見知った顔があって、
そこで人と人の関係を保ちながら、
毎日毎日が過ぎていくわけです。

陽が昇って、
陽が沈んで、
村の住人は
受け継がれる生活の律を守って、

おそらく
天気(数日とか)のサイクルはあるのでしょう・・、
そして気候(数か月、半年)というサイクルがあり、
それは記憶の層となって
どう振る舞うかという型として会得され、
それが受け継がれていく・・。

自然に働きかけ、
自然と対話し、
自然を克服しながら、
ときに妥協し、自然を上手く利用し続ける。

それが暮らすということの本質であって、
ガイドさんにとっては、
定量的概念としての
「年」とか「月」とか、

何年生きたか
=何歳であるか などということは、
大して重要ではないわけです。

そういう世界の回り方をしている場所に、彼は住んでいたわけです。

いっぽうのわたしはどうでしょう。

定量概念としての
「年」とか「月」とか「時間」、
何年なのか、何歳なのかという枠に縛られて、
生きてはいないでしょうか。

何歳ですか?という問いに対して、

Thirty. Maybe Forty.
Forty. Maybe Fifty.
Fifty. Maybe Sixty.

と答えられる人が
今の日本にいるでしょうか。

時間の経過よりも、
現に何をやったのか、
何をやろうとしているかに夢中になりたいものだと、
わたしは今、それを強く思います。

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カン・チュンド サポートありがとうございます!あなたのチップがわたしのガソリンです(笑)