【育児エッセイ】漫画を朗読してくれる6歳へ
子どもの成長を感じる瞬間はたくさんある。
でも最近の私は、「できることが増えた」ときよりも、「こんな人になったんだな」と思う瞬間に成長を感じる。
6歳の息子は、毎日全力だ。
見えない敵と戦い、突然ヒーローになり、何かを発見したかと思えば大声で報告してくる。
男の子ってみんなそうなのだろうか。
体力は底なしだし、おふざけも全力だし、いまだにママが大好きだ。
最近は一人でお風呂に入れるようになった。
とはいえ、ただ入るわけではない。
本人いわく「お風呂プール」が大好きで、水風呂に入っては滝行ごっこをして、キャーキャー騒いでいる。
その姿がたまらなくかわいい。
その一方で、読書も大好きだ。
「〇〇をさがせ!」のような絵探しの本から図鑑、絵本、漫画まで、気がつけば何でも読んでいる。
ある朝、目が覚めて隣に息子がいなかった。
慌ててリビングへ行くと、息子はソファで静かに本を読んでいた。
「起こしたら悪いと思ったから」
そう言って、まだ寝ている妹の方をちらりと見る。
そんなことを考えられるようになったのかと、少し驚いた。
息子は本が好きだ。
そして本を読むだけではなく、自分が面白いと思った漫画をよく朗読してくれる。
「ママ!聞いててね、ムフフ…あのね…」
と笑いながら、登場人物のセリフを一生懸命読んでくれる。
私は漫画の内容よりも、その姿を見るのが好きだ。
自分が見つけた面白さを誰かと共有したい。
その気持ちが伝わってくるからだ。
その姿を見ていると、ふと思い出すことがある。
まだ言葉も通じなかった頃のことだ。
散歩をしながら、
「空が青くて気持ちいいね」
「お花がきれいだね」
「風があったかいね」
私はそんなことをよく息子に話しかけていた。
返事が返ってくるわけでもない。
意味が伝わっているのかもわからない。
それでも、自分が感じたことを息子と共有したかった。
今思えば、息子が漫画を朗読してくれる姿は、その頃の私によく似ている。
自分が見つけた世界を、大好きな誰かに伝えたい。
そんな気持ちが、形を変えて返ってきたような気がする。
かと思えば、私が0歳の妹を抱っこしていると、
「僕も抱っこして!」
と飛びついてくる。
成長したと思った次の瞬間に甘えてくる。
甘えてきたと思ったら、今度は妹のことを気遣っている。
その波が何度も何度も押し寄せてくる。
でも私は、その波を受け止める時間が意外と好きだ。
毎日「大好きだよ」と伝える。
一人の人間として話をする。
息子の考えを聞く。
私なりに尊重してきたつもりだ。
だからなのかはわからない。
でも息子は、人にも物にも敬意を持って接する子に育っているように見える。
そんな息子だけど、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。
1歳半から始まったイヤイヤ期は壮絶だった。
それまで食べていたものを突然食べなくなった。
できていたことができなくなった。
通じていたはずの話が通じなくなった。
何を言っても返ってくるのは、
「イヤー!」
のひと言。
私はどうしていいかわからなかった。
毎日が手探りだった。
受け止めきれなくて、一緒に泣いたこともある。
何が正解なのかわからなかった。
このままで大丈夫なのかと、本気で悩んだ。
だからこそ、イヤイヤ期が落ち着いた頃に保育園の先生から言われた言葉は、今でも忘れられない。
「お母さんがすべてを受け止めたから、息子くんは今こんなにも周りに愛を持って接することができているんですよ」
その言葉を聞いたとき、胸の奥に溜まっていたものがふっと軽くなった。
あの時間は無駄じゃなかったんだ。
泣いた日も、途方に暮れた日も、ちゃんと意味があったんだ。
そんな気がした。
もちろん、私が息子を育てたなんて思っていない。
私は成長の手助けをしただけだ。
育ったのは息子自身だ。
でも、その手助けの中で息子が人を思いやれる子になってくれたのだとしたら、それは親として何よりうれしい。
今、息子は妹にも優しい。
自然に頭をなでたり、おもちゃを貸してあげたりする。
人に愛情を向けることが、特別なことではなくなっているように見える。
これから先、反抗期もあるだろう。
親の言うことなんて聞きたくない時期も来るだろう。
でも、それも含めて楽しみだ。
成長は、ある日突然起こるものじゃない。
昨日までの積み重ねが、気づいたら今日になっている。
だから私は今日も、少し離れたところから息子の成長を眺めている。
見えない敵と戦いながら、お風呂プールで大騒ぎして、本を読んで、笑いながら朗読して、妹を気遣って、時々抱っこをせがんでくる。
そんな6歳を、今はただ愛おしく思う。
